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都市対抗をとりもどせ!

久しぶりの更新になりました。これまで社会人野球公式戦の再開を願い、連盟の動きを綴ってきた(そしてお休みしていた)弊noteで、敢えて触れてこなかったものがあります。

それは、応援。

間近に迫る大会の開催判断にやきもきして、応援は二の次、自分が観られなくたっていいから、とにかく選手達に試合をさせてあげたいと願っていた春。

3大大会の2つが中止となり、国の緊急事態宣言発出に伴い各チーム全体練習すら困難になり……その間も、選手やチームのことが心配で、応援は棚に上げていました。試合がなければ応援機会もないからと。

そして今、新型コロナウイルス対策は、流行を抑えながら日常を再構築する段階に入ろうとしています。
社会人野球も、11月の都市対抗野球大会開催を照準に、オープン戦、公式戦と順次再開する予定です。

待ちに待った野球が戻ってくる。
しかし、喜ばしいことばかりではありません。国から示された新しい生活様式に従えば、これまでの応援を踏襲することは極めて厳しいことが予想されます。
いや、このことは3月にNPBとJリーグが提言書を公開した時点で、悟っていたはず。

そのうち収束するだろうと目を背けていた私は、「応援」に、真正面から向き合うときを迎えたのです。

社会人野球における応援の位置づけ

日本野球連盟のファンクラブ会報誌・JABAニュースの2020年5月号、全日本クラブ野球選手権および社会人野球日本選手権の中止を伝える記事に、日本野球連盟・谷田部和彦専務理事(北海道拓殖銀行野球部OB)へのインタビューがあります。
その中で、谷田部氏は、全国大会の無観客開催を断念した理由を次のように語っています。

 社会人野球は地域と企業に大きく支えられており、一般のファンも含めたスタンドの応援と選手のプレーが作り上げる一体感こそ最大の存在価値です。しかし、現状では活気あふれる応援には濃厚接触、飛沫感染のリスクが伴います。
 皆さまの応援なしに、魅力ある社会人野球大会を実現することはできません。「選手には、応援される中でプレーさせてやりたい」というのが、大会関係者としての本音でもあります。今は、大会の強行実施ではなく、中止の選択が、社会人野球にとって最良であると考えます。
(JABAニュース2020年5月号から抜粋)

中止を判断するに至った理由として、他に球場閉鎖による会場確保の困難や日程消化の不透明さ、選手・関係者・応援者それぞれの移動と集団行動による感染リスクが挙げられています。

「応援なくして、魅力的な社会人野球大会は実現できない」という言葉は、決してリップサービスではなく、全国大会本戦は観客を入れることを前提に開催可否を検討していたと報じられています。(入場料収入という要素もあるでしょう)

社会人野球は、地域の娯楽、企業の福利厚生として発展してきた歴史があります。同じ釜の飯を食う仲間を、地位や部署を超えて応援することで、社員の帰属意識や士気を高める役目を担っていました。つまり、応援して・応援されてなんぼということ。

JR東日本野球部監督・濱岡武明氏のインタビュー記事にもその記述がありました。「なぜ企業は野球部を持つのか?」有料記事ですが、無料公開部分だけでもその答えがズバリと示されています。

新型コロナウイルスが収まって、社員とその家族に力を与えるために、私たちは存在します。野球が会社の一体感、士気を高める。野球部を持つ意味は、そこにあります。2万人を動員できるレクリエーションは、都市対抗しかありません。会社を一つにするため、粛々と練習を重ねています。
(上記の週刊ベースボールONLINE記事から抜粋)

スポーツを通じた地域貢献、企業と地域の橋渡しも運動部の大切な役目。これまた、地域の方々に認識され、応援されるチームでなければ一方通行です。

ここまで企業チーム(または企業運営に近いクラブチーム)を前提として話をしてきましたが、そうではないチームでも、職業とは別に野球に打ち込める環境(応援)への感謝を、誰しも抱いていることでしょう。

競技野球と草野球の違い。私は、自身の成長を意識してプレーができるかどうかだと思います。更に、部活動でも食い扶持でもない社会人野球というカテゴリーでは、その活動を応援してくれる人々に結果を示そうという意気があるかどうか。(JABAには専門学校生チームが含まれますが)
純粋に自分が楽しむための遊びが「草野球」。

都市対抗を彩る応援

「2万人を動員できるレクリエーションは、都市対抗だけ」
社会人野球最高峰の大会とされる都市対抗野球大会では、大迫力の応援合戦が繰り広げられます。その応援とは、どのようなものでしょうか?

百聞は一見にしかず。日本野球連盟のYouTubeチャンネル「JABA Station」では、現在、2003年以後の都市対抗野球大会決勝戦を公開しています。
東京ドームを埋め尽くす人、人、人!その大声援はグラウンドで戦う者たちに勇気とプレッシャー、そして無上の喜びを与えるのだと、視るたびに圧倒されます。

私が都市対抗本戦を観戦した中で動員のすごさを体験したのが、2019年のホンダ熊本vs明治安田生命。明治安田生命のチーム席入場列は6回を過ぎてもなお続いており、誘導されたのは一塁側2階席、眼下に陣取るホンダ熊本応援団よりさらにライト寄りでした。

周囲はホンダ熊本の真上で遠慮したのか、明治安田生命が7回表に2つも走塁死を記録するぐだぐだ展開であったからか、真剣応援というより「ええい、もっと長くビールを飲ませろ!」という雰囲気。
でも、それも含めて都市対抗は社内総出の大イベントであり、皆をここにつれてくるために選手は日々練習するのだと感じ入りましたね。

2019都市対抗

現地観戦ではありませんが、応援の力に震撼したのは2018年準決勝、セガサミーvs三菱重工神戸・高砂。1点を追う9回表セガサミーの攻撃、オリジナル応援曲「輝彦」がドームを燃え上がらせます。

ご覧のとおり、社会人野球においては内野席にチーム応援席があり、中央ステージの応援団が、巧みなマイクパフォーマンスやチアダンスや吹奏楽でスタンドを率います。

社会人野球という文化を作りあげてきたのは、選手と応援客の両方。
グラウンドからスタンドまでが一つのチームであり、両者を結ぶ応援団は、欠かせない存在なのです。

郷土色豊かな演物…ではなく応援(岡崎市代表・三菱自動車岡崎)

応援は楽しい。都市対抗野球大会本戦の応援は、特に大きくて、賑やかで、懐が広くて、やみつきになります。

私が室蘭シャークスを応援し始めた頃、完全部外者であるがゆえに、地元企業の動員で固められた応援席には近寄れませんでしたし、応援することにも躊躇いがありました。
(今も部外者ですが、自分なりの形で応援しています。社会人スポーツにおいて、企業関係者と一般客を区別するのは自然なことです。)

見事地区予選を突破して迎えた東京ドーム。誰を頼ることなく一人で応援しに行きました。見知らぬ人に挟まれ、チーム受付で入場券と団扇をいただき、やはり見知らぬ人に囲まれ、初めてちゃんと出せた声援。

そのとき、ヨソモノの私は、初めて室蘭シャークスと室蘭市を応援する何かになれた気がしました。
お祭りに乗じて誰でもウェルカム、それが社会人野球の全国大会の良さだと思います。

こうして過去の応援を思い返せば、今でも心が奮い立つ。
同時に、新型コロナを経た今は、途方も無い不安が覆いかぶさってくるのです。

それは密であった

映像を見た方はもうお気付きかもしれません。声出しを伴うスポーツ応援は、新型コロナウイルスの感染リスクが高い行為です。

もちろん、リスクは観客数や応援形式により変わるものですが、都市対抗野球本戦のような、万単位の観客が2~3時間密集・密接して大声を出す応援は、プロ野球(NPB)の応援と同程度のリスクがあると考えて差し支えないでしょう。

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5月4日に国が発表した「新しい生活様式」は、「人との感覚はできるだけ2m(最低1m)空ける」、「歌や応援は十分な距離かオンライン」と提唱しています。

この方針に則り、日本スポーツ協会が5月14日にスポーツイベント再開に向けた感染拡大予防ガイドライン」を発表しました。(5月29日改定)
同ガイドラインでは、観客管理に必要な留意事項として、次の3つを挙げています。

1. 観客同士が密な状態とならないよう、必要に応じ、あらかじめ観客席の数を減らすなどの対応
2. 大声での声援を送らないことや会話を控えること
3. 会話をする場合にはマスクを着用すること

また、観客動員を前提に再開を目指すNPBは、Jリーグと合同で新型コロナウイルス対策連絡会議を重ね、興行時における感染リスクの洗い出しを行ってきました。
同会議は3月12日に専門家の提言「日本野球機構・日本プロサッカーリーグにおける新型コロナウイルス感染症対策」を公表し、5月22日にはその第2版をアップデートしています。

この提言では、観客に生じる感染リスクとして次の3点を挙げています。

1. 不特定多数の集団が集まるマスギャザリング
2. 人込みにおける不特定多数との遭遇・接触
3. 試合観戦中の濃厚接触状態

不特定多数の集合という観点において、都市対抗野球大会本戦は、NPB・Jリーグよりも分が悪いといえます。
プロ興行は一つの会場で1日1試合が基本ですが、都市対抗は1日3試合をこなし、その都度短時間で観客を入れ替えます。当然前の試合が終わるまでは入場できないため、長大かつ密集した待機列を形成しがちです。

新しい生活様式や感染防止ガイドラインに則るならば、1チーム1試合あたりの動員数上限を大幅に減らすことは免れません。

台湾プロ野球(中華職棒)が世界に先駆けて観客動員をスタートさせたとき、ソーシャルディスタンスを保ったスタンドの画は、見る者に大きな衝撃を与えました。

こちらはコンサトートホールのテスト。言葉がない。

また、応援行為には、飛沫感染・接触感染による感染リスクがあります。
NPB・Jリーグ合同新型コロナウイルス対策連絡会議の提言書では、応援スタイル毎のリスクを次の通り評価しています。

◆感染リスクの高い行為
・ジェット風船
・集団で肩組み、飛び跳ね
・集団で立ったり座ったりを繰り返す
・指笛
・トランペット・ホイッスル等の鳴り物
・メガホンを打ち鳴らす(自然に歓声が大きくなる)
・ビッグフラッグ
・観客のハイタッチ
・両手をメガホン代わりにする
・フラッグ応援(多数が新聞紙大の手旗を振る)

◆感染リスクが中程度の行為
・応援団による声の指揮による歌唱+拍手(自席で手をたたき歌う程度)
・応援団の太鼓リードによる声援、拍手
・プレーの度の拍手や通常の声援

社会人野球の応援でいうと、吹奏楽やビッグフラッグ、通路に降りて一斉に踊るような応援は厳しい。
うちわやマフラータオルを用いた応援は、一人一つ配布されるので使い回しはなく大丈夫だろうと個人的に思うのですが、メガホン叩きのように「興奮で自ずと声が大きくなるような行為」はリスク大とされるので、何とも言い難い。

安全な距離を保てる人数で、応援団のマイク・太鼓のリードと録音済み楽曲の再生により応援するのが、現実的な落とし所ではないかと感じる次第です。

リモートで情熱は伝わるか

いち早く興行を再開したスポーツでは、まず無観客から再開し、次いで少しずつ観客を入れるテストを重ね、安全な興行ができるラインを模索しています。
また、現地以外の観戦手段には中継の視聴があり、応援メッセージや効果音や肉声を自宅から送るリモート応援の試みも始まりました。

これまでと同じ会場で収容できる人数が大幅に減りますから、現地観戦/応援は贅沢な体験として価値が高まり、その価格も上がると予想します。
一方で現地に行けないファンには、中継とリモート応援や投げ銭が提供される。スタジアムの席割以上に、応援の差別化は進んでいくことでしょう。

プロの興行ならば、それは必然と思います。
社会人野球はどうでしょうか?

社会人野球は応援して・応援されてなんぼということを先に記しました。
応援の前に、社長も平社員もありません。応援団に導かれ、ひとつのチームの勝利を願い、気づけば熱中して喜びを分かち合う。そこに価値があると考えます。

そして乱暴な物言いになりますが、現地に動員してこそ、その変化は達せられると思っています。今も。
無論、現地で声援を送ることだけが応援行為だけではありません。けれども、スタンドに集った様々な観衆を一つにまとめ上げる応援団の力は、現地に人が集ってこそ発揮されるもの。

社内の一体感醸成や士気向上は、中継に合わせてボタンをタップすることで満たされるのでしょうか…?
様々な用事がある中でデスクワーク/プライベートを2~3時間も割くのは、対象が好きでなければ、かなりの忍耐を要することです。
私が気の進まないオンラインイベントへの参加を要請されたら、惰性でいいね!を押す姿が容易に想像できます。

応援が差別化され、現地応援がごく限られた人のものとなったら、乗り気でない人をもグイグイ引き込んできた生のプレー+応援団の熱が、津々浦々に届かなくなるのではないか。
ひいては、社内や地域をひとつに結ぶ社会人野球の力が、弱まったり失われてしまうのではないか。
国の指針や専門家の提言書を読むと、そんな懸念がこみ上げるのです。

応援の火を絶やさないために

将来、ワクチンと治療法が確立されて、新型コロナウイルスの脅威が薄れれば、「大仰な」感染防止対策を取る必要はなくなるでしょう。
しかし、1年2年で解決するとは思えませんし、元通りの応援が許されるまで息を止めていることもできません。

今年限り統合の決まっているチームがあります。本音を言えば、経験のない世界恐慌の中、親企業や後援企業が今後支援を存続できるかもわからない。
だから今年の都市対抗野球はなんとしても開催してほしいし、選手がプレーするだけではなく、応援の場も確保してほしい。それが今の私の願いです。

そのためには、応援する側が、感染対策上認められる範囲での活動を模索するしかありません。
形を変えても、不格好になっても、応援を絶やさない。今はそこに主眼を置いて耐えるときなのでしょう。そして、長い時間をかけて戻していけたらいいなと思います。もしかすると、応援は全く別物に進化するかもしれませんね。

各国プロスポーツでは、無観客で寂しくなったスタンドに、応援ボード、ファンの顔写真、ぬいぐるみを置く試みが行われています。
3月に地元NPBチームが無人の客席に応援ボードを飾って録音声援を流していたとき、率直に言って、人類滅亡後の残留思念みたいで怖いと感じていました。
しかし、置物は、現地へ来られない方の思いを表現しながら隙間を埋める、重要なツールになり得るのではないかと思うようになりました。リアルタイムにこだわらない、参加しやすい応援手段として。
そこで不意に思い出しました。
応援幕や幟は、そもそも何のためにあったか。

突然湧いた厄災は、これまで何気なく扱ってきた一つ一つの物事の原点を見つめ直す機会になりました。
突然できなくなったことは、あまりに大きく見えました。でも、できることを再構築して、歩を進めることは可能なのだと思います。

そして、ここまで不安やら懸念ばかり挙げてきた私ですが、変化を受け止めて支えていく、その心を持つことが最も重要なのだとも思いました。

案ずるだけで終わりたくない

全国大会2つと予選が中止となって活動機会を失い、応援団としての練習にも制約がつきまとい、あげく新しい生活様式を突きつけられた応援団の皆さんは、いま、とても苦悩しているのではないかと推察します。
けれども応援団の方々は、その立場上、不安を口にすることは滅多に無いでしょうし、選手ほど表に出る機会もありません。

応援からたのしい!を受け取ってきたファンは、いま何ができるでしょうか。
社会人スポーツにおいて、部外者は実に非力。だからといって、問いかけを投げっぱなしにしていい気になるのは嫌いです。
だから、いま出来ることとして、社会人野球における応援の重要性、今置かれている状況を記そうと思い立ちました。それがとりとめのない内容でも。
写真や動画をほぼ撮らない私にとって、こうして文を綴ることが取り柄であるからです。

応援あっての社会人野球。
その魅力をより多くの方へ伝えたい。

そんな願いを込めて、心の叫びを最後に置きます。

「都市対抗をとりもどせ!」

◇ ◇ ◇