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The Emulator - ザ・エミュレータ - #7

1.7 調査

 アールシュよりも一回り年上のジェフ・ニールは、元アメリカンフットボール部員らしく、がっしりとした大きな体で糊の利いた白いシャツから日焼けした肌をのぞかせる。短く刈り込んだ金髪とメンテナンスが行き届いた真っ白に整った歯を見せる彼にIBリーグ出身者かどうか聞く必要などなかった。

 ジェフが連れてきたのはトンネル掘削業者で、彼らは3交代で24時間稼働し続けた。その間にマーティンたちは10マイルほど離れた土地で新しく地質調査を始めていた。マーティンを見かけて声をかけた際には以前とは違い安堵した表情をしていた。

 ジェフと毎日のように夕食を共にすることになったアールシュはすっかり彼と仲良くなっていた。当初はハイスクールの中心人物のように見えた彼に苦手意識があったが話をしてみるとジェフは公平で紳士的だった。そして知的で教養がありこの国の裕福層を代表するような保守右派の思考はアールシュにとっては新鮮だった。彼が見てきた彼の両親や祖父たちの昔話を聞くと、これまで理解できていなかったこの国の価値観を改めて理解できるようで面白かった。

 ボーリングで穴を開けたあの場所は特に岩盤が硬いためトンネルを掘る機械を使ってシールド工法という方式で掘っているのだとジェフは言う。縦穴を掘り、そこからシールドマシンを入れて少しずつ斜め下に横穴を掘り進めている。エヴァンズ教授は近くに他にも同じような観測ビューの破損個所もあるかもしれないと言っていたがそれは見当たらなかった。

 3か月で最低限の掘削作業を終え、白い空間に到達した日、ジェフとアールシュ、エヴァンズ教授、それからソフトウェアエンジニアのソフィア・コールマンが一緒に立ち会った。

 立ち会ったその日、エヴァンズ教授がディフェクトに入れたラットをリプロジェン社に持ち帰り、検査を行った。結果としてはラットの細胞も筋組織も血液からも異常は何も見当たらなかったというレポートが返された。ジェフはその間に地下の空間をより広く掘削していた。そしてディフェクトを屋根付きのフェンスで覆い、その隣とトンネルの外にコンテナの仮設事務所を設置していた。

 エヴァンズ教授、アールシュ、ソフィアの3人は地下の空間に続くトンネルの入り口のコンテナ事務所と、その近くに止めたエヴァンズ教授のキャンピングカーを拠点として5日ほど滞在して、様々な検証を行った。2日目にエヴァンズ教授がふいに、ディフェクトに手を突っ込んだ時、アールシュとソフィアは心臓が飛び出しそうなほど驚いたが、結局何も起らなかった。

 4日目にエヴァンズ教授はバーニズマウンテンドッグのマックスを連れてきたがマックスはディフェクトに怯えもせず、そして興味も示さなかった。何らかの変化や反応を期待して様々な検証を行ったが、どれも次につながるような結果をもたらさなかった。そして4日目の夕方、エヴァンズ教授が買い出しに出かけている間、アールシュとソフィアは検証のアイデアが尽きてしまい、ポーカーをしていた。圧倒的にソフィアの勝率が高かった。

「絶対におかしい。ソフィアなんかインチキしてない?」

「あのさ、アールシュ。まじで気付いてないの?」 

「何を?」

「アールシュ。あんた、嘘つくとき左の鎖骨を撫でる癖あるよ? 知らなかった? だから、レイズするときの芝居じみたあんたのブラフ、全く意味ねーから。」

 それを聞いてアールシュは思わず声を出し、手で口を覆った。それは直したはずだった子供の時からの癖だった。いつの間にか無意識に出てしまっていた自分の癖を完全に忘れていた。アールシュの反応をみてソフィアはずっと我慢していた笑いを吐き出すようにして手を叩いて大声を出していた。ソフィアは気が済むまで笑った後、ちゃんと負け分は支払えよなと言い残し、マックスを呼びつけて遊び始めた。

 エヴァンズ教授が買い出しから戻り、キャンピングカーの外にテーブルを出し、エヴァンズ教授の青春の味だという山羊とアボカドソースのタコスとチリコンカンを食べ、クラシカルな瓶入りのビールにライムを絞って飲んだ。夕日が沈みかけ荒野は過ごしやすい気温になっていた。

 ソフィアはビールを飲みながら二人を見ていた。アールシュとエヴァンズ教授という狂信的な仮想現実論者とヴィシュヌプロジェクトを進めるうちにソフィアも仮想現実論を信じるようになった。ソフトウェア技術者であるソフィアはヴィシュヌのアーキテクチャを実装するうちにそれが確信に変わっていった。アールシュが言うようにエミュレータに移住する未来、死からも物理現象からも解放された世界とはどんな世界なのだろうかと想像することが日に日に増えているのを実感していた。

次話:1.8 鐘の音
前話:1.6 イーサン・エヴァンズ

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