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ノーリスクの発狂-9/4/23

9月になってた。
最近、「丸一日休日」のありがたさが矮小化してきている。
毎日休みなもので、やりたいことやりほうだい。
スキマ時間を見つけて単語帳を開いていた受験期の、能率や熱意を思うと、今の自分が雑魚すぎて雑魚すぎて。

「勉強の時間のさなかで勉強を行う」ことができていたのすごい。
自らへの自信と不信が同時に湧いてきた。

パシフィック・ヒムをアホみたいに見ている

設楽とバカリズムが、若手の女性タレントとロケをしている日村に遠隔で指示を出し、仲を深める手助けをするというテレビ番組(の1コーナー)なのだが、例えば「日村とタレントで自撮りで写真を撮りましょう」という流れになれば、まあ当然2人の指示のせいで上記の写真のような有様になる。

ヤバい指示のせいでむちゃくちゃなロケになったり、変な空気になったりするのがすごくたまらなく面白い。

まず指示がそもそも面白い。女性と祭り屋台の風船掬いのゲームで勝負して、罰ゲームをどうするかという話題になったときに、「みんなで押さえつけて豚の血を飲ます~!」と叫ばせたり、アポをとっておいた飲食店に入店する際、何の前触れもなく「俺ムーンウォークできるよ」と言わせ、(できないのに)実際にやらせた挙げ句、ムーンウォークさせたそのまま退店させるという奇行に走らせたり、めちゃくちゃだ。

空気の「やばさ」は、往々にして、その空気のやばさを始めとする何かしらの異常性に対して、メタ的な視点から指摘できないことによって支配的に生まれる。指摘が成功すれば、それを知覚している仲間同士でそのおかしさそのものや、おかしさを前にしたときの他者などを笑い飛ばすことができる。このコンテンツはそうした状況をロケという舞台、新人女性タレントというアクターを用いて意図的に作り出し続けることで、「ナチュラルにやばいやつ(日村)がいて、空気がとんでもないことになっている」のをメタ視点から思い切り笑うことができる、という構造なのだ。

かくいう私も、ふざけとは遠い場面であればあるほど「この人の今の言い回し奇妙だったな」とか「この空気やばいな」とか「今俺がお尻だしたりしたらどうなるかな」などと逆に「ふざけの余白」が光って見えてしまうのだ。
だからハマるハマる…。

さらに言えば、これ、誰もリスクを負わないところも良い。
私は「発狂」が一番面白いと思っているのだが、発狂で笑いを取るのはあまりにも代償がデカい。それに、同じ個人に打てる玉の数にも限界がある。しかし、それまで築き上げたポジション・信頼・人格がでかければでかいほど、壊したときの衝撃も大きくなる。ドッキリという体がそれを全てノーリスクで気持ちよく笑わせてしまうのだ。(まあ必ずしもしわ寄せがあるが、それは個人へ向かうものではない)

日村の指示への従順さ、再現度の高さ、笑うことへの耐性もかなりすごいので、気になる方はユーチューブで調べてみてください。

ぜっったいくう

キャニオリングした

存外アクティブなので、川遊びをした。
最高すぎる。

むやみに身体を動かすのって面白い。
自然川の流れに身を任せて、ただ流されていくだけの時間は本当にかけがえがなかった。今水死体と同じだ、とか縁起でもないことを思いながら。

夏でも推進がある程度深ければ川の水はとても冷たくなるのでオススメ!

おやすみ~

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