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生を1システム化して、活力を導出しよう-11/5/23

今日は丸一日オフの日だった。

丸一日オフの日は、あえて早起きして朝から活動すると一日を通して気分が良くなるという普遍の法則があるので、

8h睡眠の末に7:30に起きて、朝食に昨夜作ったカレーライスを食べて、9:00にモスバーガー行って、本を読んで、12:30に帰宅し、少しゆっくりしてから散歩も兼ねて徒歩で30分かけて図書館へ行って、また本を読んで面白そうな本を2冊借りて16:00に帰宅して、ゆっくりして、夜ご飯はダイエットのために抜いて、ネフリで『騙し絵の牙』を観て、お風呂に1h入って、22:00現在日記を書いています♪

そりゃあ、音符もつくでしょ♫

近所のモスバーガー。内装は綺麗なのに、平日人居なさすぎて最高

最近、『考えて行動する』ことについて考えている。


かくいう私が漫然と気の赴くままに人生を生きているからだ。

例えば今日も、早起きはしたものの即興での行動をしていた。
結果的に私としては良い休日を過ごせたなあと思っているのだが、していることは「読書→読書→映画」と単調なものである。

例えば大学受験。自分が何を大学で学びたいかを深く考えることなく、とりあえず自分の実力ベースで一回りレベルの高い大学を目指して一旦勉強してみて、センターの結果見てランク下げた大学へきた。

例えば就職活動。激務は嫌なのでなんとなくホワイトらしい業界を見定めて、とりあえず小手先の面接ESテクなどのノウハウはまあまあ身につけ、奇跡的に大手へ内定を頂いた。

こうして私のマイルストーンを振り返ると、「自分が何を成し遂げたいか」を考えるよりも、「未来の自分が困らないように、とりあえず役立ちそうなテクニックを磨いとく」ことに志向していたことがわかってしまう。

これはあまり健全じゃない。
漠然と、人生の楽しみが損なわれている気がするのだ。

事実、大学受験を終えたときも、就職活動を終えたときも、嬉しかったが「達成感」を感じたことはなかった。「これを成し遂げるために頑張るぜ!」というモチベーションで動いていないからだ。
というか、私は「達成感」がよくわからない。これってすごい悲しいことなんじゃないか。

さて、作るか

日記を書きながら、自分と向き合う時間を設けるようにはしているんだけど、結局客観的であろうとしてしまう。身の回りの出来事の「説明」に留まってしまう。これはこういう作用なのではないか、ここにはこういう原理が背後にあるのではないかという具合に。言論を通じて「善し悪し」をジャッジすることがない。

でも、自分はどんなことを成し遂げたいのかを考える際には、絶対に「これは自分にとって善いことだ」「これは自分にとって悪いことだ」という判断を下し続けるプロセスが要る。これは自分の人生を素晴らしいものにする(=善いこと)のか?というクエスチョンに回答する必要がある。自分の漫然とした考えをフラットなままにしておくのではなく、重みを付けたり、可能性を閉ざしたり、信じたりする必要がある。
ただ、これがなかなか難しい。

自分にとって何が善いことなのか、悪いことなのかなんて分かるわけ無い。え、じゃあどうすればええの?八方塞がり?早くロープ買って、自殺しなきゃ❣という段階ではじめて出てくるのが「好き嫌い」の尺度なんだと思う。
これはなんとなく好きだ、なんか嫌いだという肌感覚で、とにかくやってみる。その後で手元に残った残滓と相談して、ジャッジを下す。
テレビでこれが紹介されてたから好きだ、でも、機嫌悪い時に観たから嫌いだ、でも構わない。とにかく好きか嫌いかを信じて、一歩さえ踏み出せればそれはこの上なく善いのだ。

アボカドディップソースでした

尊敬するある人が言っていた言葉をここ数日反芻している。

場面としては、別の人から恋愛相談を受けていて、その相談主の勇気がないがために気になっているアプローチができないことに対して苛立ちを覚えながら発せられた一言である。

「こいつ、いつか死ぬこと分かってないだけじゃん!」

本当にその通りすぎるなあと思った。
生→死の矢印を刹那的に進んでいるだけなんだよね。

どこまでも自分ごとであるはずの生が、1システムとして疎遠になってく。生という概念が極めて健全に矮小化してくる。そして、「せっかくなんだし」と、遠出した町のパン屋に寄るときのステップように、活力が湧いてくる。

いつか死ぬ。俺らは全員システム。種のシステムなんだ。生まれたのは偶然で、死ぬのは必然なんだ。じゃあせっかくなら、ねえ?なんかぁ、どうでもよくなってきません?
どうせ死ぬんだったら、自分にもっと寄り添ってあげたほうがいいのだ。
自分がしたいことに耳を傾けてあげて、叶えさせてあげようじゃないか。そのほうが多分、楽しい。
と、考える時の私は、高次元の超生命体になったような気分だ。しかし、臆病な私には、一歩を踏み出すためには高次元生命体をこの身に宿すくらいの狂気が必要なんですよね。もっと狂気を下さい。

というわけで、「みんなもっと正気うしなったほうがいいよ」というお話でした。

嘘みたいにかわいいモモンガ

悪い癖が出た。

正気を失うことで、いつも善悪の判断から逃げ続けてきたのだ。
うううう、脆弱だ。

少なくとも、正気を失ったふりをすることは「悪」!
考えることから逃げるな(#・∀・)

終わりです。

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