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お菓子作りを通して、失敗とあそんでいる

約半年前から、任意団体が主催するカフェにお菓子をつくって来てくれた人達に食べてもらう、ということをしている。
料理に関しては小さい頃から母親の手伝いをしていたけど、お菓子作りに関してはほとんど触れる機会のないまま大人になった。

こどもの頃、何度か家でお菓子作りをしたとき、失敗しないように、危なくないように、と母がいつもに増して横から口を出してくるのにイライラしてしまって、そして母も段取りの悪い娘のお菓子作りにイライラしてた。
お菓子を作るたびに、家の雰囲気が悪くなるのが嫌で、それに作ったものより買ったもののほうが絶対においしいことも嫌で、いつしかお菓子は「作るものではなく買うもの」という意識になった。

去年友人の誕生日に、何を思い立ったか米粉のパウンドケーキを作ってプレゼントしたところ、すごくすごく喜んでくれた。
気を良くしたわたしは、その数週間後、初めて行くカフェに、初めて出会う人たちに、同じパウンドケーキを焼いて持っていく、という暴挙に出る。
時間的にはそこで食べてくださった方よりも持ち帰ってくださった方がほとんどだったけど、よくよく考えてみれば、どこの誰だかわからない調理師でもパティシエでもない素人が作った、しかも米粉スイーツなんていうちょっと捻った(わたしにしては)ものを、よくまあ受け取ってくれたものだなあと思う。

そして結果的にそこでもすごく喜んでいただけた。
『普段からよくお菓子作られるんですか?』
わたし「いえ・・・もうこどもの頃ぶりです・・・」
『すごいおいしいです!米粉ってむずかしそうですね!』
わたし「あ、いえいえ、もう・・・混ぜるだけで・・・」
なんだかもうこちらが申し訳ないほどのリアクションを。
それから団体の代表の方から、今後も日程が合えばカフェに出すお菓子を作ってくれませんかとお声掛けいただき、わたしの頭でっかちなお菓子作りは気まぐれから趣味に昇格した。

日程の調整をして、お菓子を作れるかどうかを考える。
最近は土日もピラティスのレッスンや定期的な鍼治療など予定があり、それほどしょっちゅう行けないのだけど。
日程が合うと、何を作ろうかとわくわくする。

わたしの家には一人暮らし用のオーブンレンジが一台あるだけ。トースターはない。
オーブンレンジも中が回転皿があるタイプなので、注意して入れないと生地が傾いたりしちゃう。
そして製菓器具でいうと、混ぜるでいえば泡立て器一本。残念ながらわたしの腕力ではメレンゲを使ったお菓子は作れない。

あとほとんどが前日に作るのと、当日は電車で持ち運ぶので、あんまりデコレーションに凝ったりカップで個別に量産することは難しい。

そうすると必然的に「材料を順番に混ぜて型に流して焼く」という工程のものしか、(お菓子作り経験の少ないわたしには)思いつかないのだけど、意外とこれが絶妙な縛りだったりして、作りたいお菓子を考えるのが楽しい。

材料を揃えて、手順を頭に入れて、計量して、実際に作る。

ちゃんと1g単位で計量して、ちゃーんと工程通りに作って、何なら「うまくいくコツ」みたいな注釈まで読み込むし、同じレシピで作った人のレポートなんかもちゃんと目を通す。(もしかしてこれがあかんのか?)

だけど、だいたい見本通りに完成しない。

これが不思議でたまらない。

そしてお菓子作りが料理と違って厄介なのは、出来上がってから帳尻合わせができないこと。
料理だったら、味の濃い薄いは調節できるし、途中で気が変わってまったく違う料理にすることだってできる。
それがなぜできるかというと、途中で味見ができるからだ。
お菓子作りは途中で味見ができないし、味見をしても完成形の味ではないから、もう全部が成功するか全部が失敗するか全部が微妙になるかしかない。
そして今のところわたしの戦績としては全部が微妙になっている。

お腹を壊しちゃいけないので生焼けにはならないように表記よりも少し長めに焼いたり(もしかしてこれがあかんのか?)、焼き上がったものを何箇所も竹串で刺して確かめるんだけど、(もしかしてこれがあかんのか?)
「なんか・・・見た目がちゃうな・・・」
となる。

でもいざ食べてみると、味はおいしい。
これが不思議で、そしてめちゃくちゃおもしろい。
「いやおいしいんかい・・・」ただ見た目はかなり不恰好。

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お菓子を作りながら考え事をするんですけど(もしかしてこれがあかんのか?)、
わたしたち人間はどうも美しくてかっこよくてすごいものをどうやっても目指してしまうのかもしれません。
それを目指すこと自体は悪いことじゃないけど、自分が目指す到達点に達しなかったとき、ネガティブな気持ちになっちゃう。
そこに至るまでの過程で楽しかったりワクワクしたりした思い出があっても、結果を前にするとそれを差し置いて「だめだった」と反省しがちなのです。

うまくいかないことや思い通りにならないことを、楽しむ、までいかなくても、おもしろい、と思えたら、そこから先力を抜こうがストイックになろうが結果よりも過程に重きを置けるのかな。
いまのところわたしの「お菓子作り」においては、不恰好な見た目や少々のハプニング(もしかしてこれがあかんのか?)があっても、お・・おもろいがな・・・!!と思えています。
人に振る舞うものでありながらそれもどうかとは思うけど。笑

失敗するって、実はそんなに怖くないのかも。
もしかしたら、わたしにとってのちょっとやそっとの失敗は、周りから見たら全然失敗じゃなかったりするのかも。
そして、自分が失敗だと思ったことを周りが思いがけず褒めてくれたら、「いやいやこれは失敗です」と言わずに、「わーいありがとう」と受け取ってもいいのかも。
そしてあらゆる方面で失敗をしておく方が、何かにチャレンジするハードルが低くなるのかも。

謙遜することと自虐することは、ちがう。
わたしはこれを長く勘違いしていました。

わたしは自分がこんなに浅いお菓子作り経験にも関わらず、こうして依頼してくださるのがうれしい。
働くことや自分の人生の時間に対してちょっと立ち止まって考えようよと集まった人たちと、自分の過去を振り返ったり今の悩みを共有したりゆっくり過ごしたりできるのが、うれしい。
ここで出会った人たちのおかげで、自分の人生の時間をどうやって使うか、道筋の選択肢が増えたし、それを強要することなく「なんだかね〜」って言いあえるのが、うれしい。

なのでできたら毎度お店に出しても恥ずかしくないような最高傑作を持っていきたいけど、もしうまくできなかったら、ごめんね失敗しましたー!って笑って、キットカットとかおせんべいとか買っていこうと思っています。

お菓子作りはおもしろい。うまくできないけどおもしろい。
でもこうして書いてみると、うまくできない原因もいくつか思い浮かんだから、できれば今度は今までの出来でいちばんになればいいなあという気持ちで、作ってみます。

愛を込めて。

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