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読書メモ|『傲慢と善良』

今回は辻村深月さんの『傲慢と善良』。本屋で見かけてタイトルと表紙に惹かれて即買いしちゃった本。

いろいろなレビューを見ても書いてあったことだけど、めちゃくちゃ抉られる話でした。手厳しすぎて頭を抱えたくなるような表現も、一方でめちゃくちゃ共感できる部分もあって、バランスが絶妙。恋愛とか結婚について描かれているけれど、そういう話にとどまらない、人生において普遍的な教訓が含まれている話だと思います。

同棲し始めてから2ヶ月ほど経ったある日、西澤架の婚約者・坂庭真実は突然姿を消した。架は真実を探して彼女を知る人物に次々と会いに行き、彼女バックグラウンドを探るうちに、自分や彼女、彼女の両親などの内にある傲慢さや彼女の行き過ぎた善良さに気づき、彼女の過去だけでなく自分自身にも向き合うことになる。

「傲慢」は元からあまりいいイメージのある言葉ではないと思いますが、「善良」もこの物語の中ではネガティブなニュアンスを持って使われています。言われたことになんでも従うような「いい子」である続けること、その程度が行き過ぎてしまうことが「善良」であるが故のことであると。
そして現代の人々の内には、自分の価値観に重きを置きすぎる傲慢さと「いい子」でいるような善良さが矛盾なく存在していて、がんじがらめになってしまう。

本当に最初の最初に描かれる場面で、(考えすぎかもしれないけど)そんな「傲慢と善良」を感じてしまった一文があります。真実がタクシーで慌てて架に電話をする場面。

車内で急に電話をかけるなんて失礼だろうからと、他の人たちがもはや断らないようになっても、自分はーそうしてきたのに。

タクシー内で電話をするときに運転手さんに断りを入れる、そんな真実の振る舞いは善良だと思います。ただ彼女は、そうしない人たちを少し見下しているように感じてしまった。自分だけはそっち側に行かないようにこれまではちゃんとやってきたのに、と言っているように聞こえてしまう。
…なんて書いているけれど、この感覚はわからないでもないから心がキュッとなる。

そして婚活の話が結構出てきた中で「うまくいくのは自分が欲しいものがちゃんとわかっている人、ビジョンのある人」「ピンとくる、こないの感覚は、相手を鏡のようにして見る、皆さんご自身の自己評価額」というのが、これって就活とかでもそうだよなぁ、とすごく印象に残っています。
後者に関連して「謙虚で自己評価は低いのに、自己愛だけはやたら高い」というのが出てきた時は、ここでもこれが出てくるか、と思いました。内省的なことをし続けて毎回ぶち当たるのがこれで、それはわかってるんだけど、じゃあその肥大した自己愛をどうすればいいんだ…という気持ち。ただ、「そんなこと知ってる、わかってるから」と、認める・受け入れるのではなく強制的にそこで思考を止めてしまうと、そこでもまた予防線を張ることになってしまうので、そこで傲慢になることだけは避けたいなと思う。


朝井リョウさんの解説もすごかったです、ほんとに。

「何かに従っていい子でいると自分の意思がわからなくなるが、不正解を出すわけではないので、間違わない自分への自己愛は募る」というような話はめちゃくちゃ食らった。

そして「じゃあ自分の意思はどこからなのか」という話も。親という一家庭内での価値観に影響を受けているから狭い世界に閉じこもっているように見えてしまうのであって、社会の規範や価値観に影響を受けることだって実際同じではないのか。純粋な自分の意思なんてあるのか。
究極を言えばそんなものはないような気がするけれど、決めつけではなく、他の価値観や考え方を一旦受け止めた上で自分がどう思うのかを再考して出す答えが、自分の意思と呼ばれるのかもしれません。
でも人間には、自分の信念を強化する情報ばかり取り込んでしまう確証バイアスがあり、再考しなくとも最初から答えが出ている、むしろ再考することによってその思考が強化されることだってあるはずで、その思考を開いていくための視野の広さと余裕と忍耐力と柔軟さが欲しいなと思いました。


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