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読書メモ|ハイデガー『存在と時間』2022年4月(NHK100分de名著)

ちょっと前に読んだやつですが。今回はこちら。

『存在と時間』自体は読んだことないんですが、ある本屋さんのインスタでこれが紹介されていて、その紹介文にあった「不安」「責任」というキーワードが引っかかったので読んでみました。

私自身、結構常に不安だし、なんなら不安要素を探しに行っているまである気がします。あと責任はなるべく取りたくないと思ってしまう。だから人を巻き込む決断とか苦手なんですよね。どうにかしたい。


「不安」について「そう、これ…」とめちゃくちゃ共感してしまった部分。

地図も道標もなく、誰かに「それでいいんだよ」と背中を押してもらえるわけでもない。そんななかで自分自身と向き合い、全て自分で考えながら決断し、生きていかなければならない。これは人間にとって、たまらなく不安な状態です。それに耐えられないから、現存在(人間)は自分と向き合うことを避け、自ら世人(世間)に飲み込まれていくことになります。

ハイデガー『存在と時間』2022年4月(NHK100分de名著)

これまではレールに乗ってここまできた感があります。高校受験、大学受験など自分で選択する機会はありつつも、偏差値的にこのあたりかな、国公立でそこまで遠くなさそうなとこならここら辺かな、と、結構限られた尺度で、しかもある種消去法的に決めてきたな、と今振り返って思います。その時はそこまで自分と向き合うとか、自分で決断するんだという強い意識はなかった気がします。

でも、大学に入って自由度が増すと、自分で能動的に決めるという機会が増えました。特に就活なんかは、自分で判断の基準から定める必要があり、数多ある企業の中から納得のいく企業を自分で能動的に選び出さなければならない。これでいいのか、と不安にならないわけがない。だからできるだけ不安要素をなくすために、無難なリクルートスーツを着るし、就活サイトなどに載っているようなESを書いて周囲に合わせる。やっぱりそれで少し安心するんですよね。

世間から提供される「当たり前」の確かさは、人間を苦しめることもあります。しかし、その苦しみから逃れるために「当たり前」から離れようとすると、何も確かなものがない、という不安が立ち現れます。そして、非本来的な現存在(人間)は、何も確かなものがない苦しみに苛まれるくらいなら、確かなものにしがみついてその結果苦しいほうがまだましだ、と思うのです。

ハイデガー『存在と時間』2022年4月(NHK100分de名著)

周りに合わせて得られる安心感は、その苦痛をも上回りうるというのは、確かにそうかもしれないなと思います。「わからない、不確かである」ことへの不安は耐え難い。


そんな世間に合わせている状態は、人間の非本来的な姿であると言っています。じゃあ本来性を取り戻すにはどうすればいいんですか、という話になるわけですが、結局は「自分の人生を、自分の人生として引き受けよう」ということのようです。

・・・自分の人生において起こることは、すべてが別の可能性もありえたのであり、そうであるにもかかわらず自分は今ここにいる自分なんだ、だから自分の人生に起きるすべてのことは、「私」が「私」であるということに「負う」のだ・・・

ハイデガー『存在と時間』2022年4月(NHK100分de名著)

結論だけ見ると「いや、それはわかってるんだけど」と思ってしまう気もします。詳しくは読んでみてほしいのですが、ここに至る過程には「私だけのものである死」に向き合い「多様な可能性に気づかせる良心」に応えて生きる決意を持つということの必要性が説かれています。


本来性を取り戻せるかと言われるとハードルはまだまだ高そうですが、みんな不安なんだな、昔からある課題が未だ解決できていないということは、人ってそんなもんなんだな、とちょっと気楽になった気がします。