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競馬を見始めて2カ月の初心者が、香港カップを見て感じた競馬の魅力

競馬ほど、「もっと昔から見ておけば良かった」と思うスポーツはない。
そう強く思ったレースがあった。

2020年12月13日。
シャンティン競馬場で香港カップが行われた。
今年の10月下旬から本格的に競馬を見始めた私にとって、海外競馬を見るのはこの日が初めてだった。

今年の香港国際競走には、日本馬が6頭出走した。
「鞍上はほとんど外国人騎手なんだな。まあコロナで海外渡航しにくいもんな」。
そんなことを思いながらレースを見ていると、1人の日本人騎手の名前が目についた。
松岡正海。
聞くと彼は、自主隔離のため年内残りの国内レースに騎乗できないのを覚悟で、香港に渡航したらしい。
彼が騎乗する馬はウインブライト。
秋天に出走していたので、なんとなく名前は知っていた。
この香港カップが引退レースになるらしい。

そして香港カップの出走時間が近付く中、彼のインタビューが流れた。

このインタビューの中で、少し興味を惹かれる表現があった。

「(ウインブライトは)友だちみたいな感じなんで」

お手馬のことを「友だち」と呼ぶ。なんて素敵な表現なんだと思った。

「この馬のために騎手を続けてきたと言っても過言ではない」

「松岡騎手はウインブライトの引退レースに強い思いがあるんだろうな」。
インタビューを見た私は、少しずつウインブライトと松岡騎手に惹かれていっていた。

そして、日本時間17時30分。
香港カップがスタートした。

結果はノームコアが1着。
個人的にエリ女で彼女を軸にして爆死していたこともあり、今回GⅠで彼女の活躍を見られたことはとてもうれしかった。
しかし、最後の直線でノームコア以上に私の目を奪った馬がいた。
2着に入ったウインブライトだった。

"執念の追い"と言うべきだろうか。
ウインブライトの、そして鞍上の松岡騎手の、絶対に勝ってやるという気迫が、画面越しに感じられたのである。

ウインブライトのラストランに衝撃を受けた私は、それからウインブライトに関する松岡騎手のインタビューを必死で探し、むさぼるように読んだ。

19年4月のクイーンエリザベス2世C。
それは不思議な体験だった。
レースは発馬で後手を引いたが、手応え良く追走して迎えた3角。
何かが聞こえた。「用意はいいのか?」。
耳を疑ったが、4角でまた、今度ははっきり「準備はいいのか?」。
ブライトの“声”だ。
「うん、行こう」。返事をすると、前が空いた。
人馬の思いがシンクロし、初めてのG1タイトルを海外で手にした。
「そういう類いの話は嫌いだけど、本当に声が聞こえた」

5秒、6秒…。
松岡は美浦トレセンの調教コースを見つめたまま、じっと黙って答えを探していた。
軽快に、時にやんちゃに話すいつもの姿はそこにはない。
3回目の香港は、愛馬ウインブライトのラストラン。
ともに魂を燃やし続けた4年半を振り返ると簡単には言葉にできなかった。
十数秒の静寂の後、「一つ言えることは、騎手としてだけでなく、人生の思い出」。
愛馬への惜別の思いを絞り出すように吐露した。

2月上旬の落馬で左大腿骨を骨折した。
2度の手術でも回復せず、年明けに3度目の手術が決まっている。
ブライトも今年3月の中山記念(7着)後、左前肢の蟻洞(爪に空洞ができる病気)で戦列を離れた。
それでも、年内引退を知っていた松岡は、「その時」に向け、「重い筋肉は付けたくない」と拒んできた筋トレさえも取り入れ、体脂肪率が5%から4%に減るまでに鍛え抜いた。

乗っていた松岡さん自身も、完全に回復していたわけではないんですよね。
実際、香港から戻ってきたら、再手術が決まっているんです。
そういう状態なのを知っていたので、直前に”応援している”というメールを置くと、“足が折れても追ってくるぜ”と返ってきたんです。
そういう状態でも、今回の追いっぷりは本来の松岡さんのそれでしたし、ケガを抱えながら乗っていることは感じさせませんでした。
これこそが、松岡正海なんですよね。

知らなかった。私は知らなかった。
松岡騎手が2月上旬に落馬で大ケガをしたこと、ブライトも病気で戦列を離れたこと、ブライトの復帰に合わせて、本調子でないながら松岡騎手も復帰したこと、松岡騎手がブライトのことを「騎手としてだけでなく、人生の思い出」と思っていること、「足が折れても追ってくるぜ」という意気込みで松岡騎手が香港カップに臨んだこと。
知りたかった。私は知りたかった。引退レースを見る前に知りたかった。

見たかった。リアルタイムで見たかった。クイーンエリザベス2世Cを、去年の香港カップを。フジTVスプリングも、福島記念も、中山記念も、中山金杯も見たかった。もう新馬戦から見たかった。ブライトと松岡騎手をリアルタイムで応援したかった。

―ああなんで、私は競馬を見ていなかったんだろう。

「ウインブライトの騎乗はこれが最後になりましたが、これ以上ない競馬ができて感無量です。種牡馬になっても頑張って欲しいです。いつまでも応援しています」

松岡騎手のレース後コメントを読みながらあふれ出た大量の涙を、私はぬぐうことができなかった。

松岡騎手は、年明けに3度目の手術を控えている。
香港のメディアに対して、引退をほのめかす発言をしたという話も目にした。
実際2月の落馬負傷の際に、引退も考えていたらしい。
大腿骨の骨折というのは、それだけ騎手のキャリアに影響を及ぼす大ケガなのだろう。
でもできることなら、彼にはこれからも騎手を続けてほしい。
ウインブライト産駒に騎乗する騎手・松岡正海を見たい。
これは私のわがままである。

幼い頃、父と一緒になんとなく競馬中継を見ていた。
競馬をあまりよく思っていない母の圧力に父が根負けして以降、私が競馬を見ることはなくなった。
そんな子どもの頃の私に、今もしメッセージを伝えられるとするならば、私はこう言うだろう。

「競馬ほど、『もっと昔から見ておけば良かった』と思うスポーツはないよ」。

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