【書評・感想】オーラの発表会/著:綿矢りさ
なぜ自分は車に轢かれず、墜落した飛行機の下敷きになることもなく、誰かに刺されることもなく、ここまで生き長らえているのだろう。
『オーラの発表会』の冒頭では、上記のような主人公の疑問が提示される。
そんな主人公の思考に私は共感し、「この作品は、主人公に感情移入しながら読み進めていくんだろうなあ」と思っていた。
しかし、私はその考えを一瞬で取り消すこととなる。
本作の主人公・海松子は、「変」という一言では到底言い表せないほど、かなり変わった性格をしている。
それを象徴するのが、海松子が大学の同級生との会話の糸口を探すエピソード。
なんと海松子は、学食のメニューを覚え、相手の口臭からなんのメニューを食べたか当ててしまうのである。
この行動に悪意なんぞは全くなく、「学食」という共通点でなんとか会話を盛り上げようとした末の行為だと言うのであるから恐ろしい。
「さっっっすがに私もここまで変な人間じゃない」と、以降私は異星人を見るような目で海松子のことを捉えるようになった。
そんな海松子に、好意を寄せている男性が二人登場する。
一人は海松子の幼なじみ、もう一人は大学教授をしている海松子の父親の教え子である。
私は最初、「なんでこんなキテレツ女が男二人から好かれるわけ???少女漫画でもありえねえからな???」と、かなりキレそうになりながら本作を読み進めていた。
しかしページをめくればめくるほど、「こりゃ二人とも好きになるわけだわ……」と、何より私自身が海松子の虜になっていった。
海松子の浮世離れしているものの、他者に流されない芯の通った言動は、本を読み進めるたび爆笑してしまう。
小説を読みながら「爆笑する」なんて、なかなかないのではなかろうか。
そして他人に惑わされることなく、ユニークな言動を突き通し続ける海松子は、非常に魅力的なのである。
海松子が幼なじみと夜の海辺でデートする場面は甘酸っぱく、海松子の自宅で父親の教え子から猛烈なアプローチを受ける場面はかなり刺激的で、恋愛小説としても十二分に楽しめる。
その一方で、上記のような恋愛イベントにおいても、海松子の心情は常軌を逸しており、海松子のことを読者はどんどん好きにならざるを得ないのである。
そうやって、「個性」という言葉では人柄を言い表せないほど個性的な海松子の言動を他人事のように散々楽しんだ後、物語のクライマックスで海松子が次のような発言をする。
自分とは全く違う人間だと冒頭で結論付けた海松子から、私自身の核心を突くような発言が飛び出し、私はかなり精神的に喰らってしまった。
大学時代までの私は、「誰かと一緒に生きる」ことができなかったな、だから学生生活であまりいい思い出はないな、逆に周囲の人に迷惑もたくさんかけただろうな、社会人になってやっと「誰かと一緒に生きる」ことがなんとかやればできるようになったな……と、脳内で思考がグルグルして、残り数ページとなった本を読み進めることができなくなった。
「足りちゃいけないところまで、足りている」せいなのか、「一人で足りすぎている」おかげなのか、私は趣味に費やす時間が人一倍長く、自分の好きなことのためならフットワークもかなり軽い。
そして可処分時間を趣味に全ベットしているため、プライベートで対人関係に割く時間がほぼないに等しい。
海松子の独白を通じて、私は自分自身の人間としての欠陥を指摘されたような気持ちになり、気分が重くなった。
しかし物語のラストで海松子は、こう語るのである。
「人は一人で生きるよりも、誰かと生きた方がいい」と結論付けるのは簡単だ。
しかし本作では、安易に「一人で生きる人生」を否定しない。
「一人で生きる人生」と「誰かと共に暮らす人生」は、それぞれ同等に価値があるという結末に着地する点が、「足りちゃいけないところまで、足りている」私のような人間には、かなり救いとなった。
私は、物語の終盤で自宅に引きこもって「オーラの修行」を始めた極限状態の海松子のようにならないよう、最低限「誰かと一緒に生きる」ことを意識しつつも、引き続き「一人で生きる人生」を謳歌していきたいと思った。
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