家族の他界から。1
こんばんは、鼓マキです。
本日より本格的に、不定期ではありますが、ノートを更新してゆこうと思います😃
イラストがメインで、描くことについてを中心に
時折雑記なども交えつつ。
もしご縁があったときには、宜しくお願い致します🍀
ここからは完全にプライベートな内容なので、気が向いた方だけどうぞです。
今日で、家族が他界してから一年です
彼女は胆嚢がんで
その年の自身のお誕生日に告知を受けるという
なかなかのヘビーな闘病生活のスタートでした
早くで3ヶ月 という宣告を
家族皆と主治医さんでレントゲンの画像を囲み告知をうけたときは
ただただ信じられなくて、あーこれテレビでドラマでみたやつやん…といった様な気持ちになりました
そんな中、当の彼女は気丈に
先生、ありがとうございました、と。
笑顔で先生にお礼を伝えていたりして
まーーー私だけがめっちゃ泣いてた(弱いので)😂
そこから抗がん剤をするかしないかで迷い
普段自分はあまり薬に頼らない生活をしていたのですが、
さすがに家族の命がかかっているので、薬はあぶないから、とか、自分たちだけの知識で簡単にきめることはできませんでした。
そんな中、悩みに悩んで
私は自分なりに思いの丈を手紙にかき、彼女へ渡します。
それを読んでくれたからなのか
どうしていいかわからない、きめられないといっていた状態から一変し
その後、彼女は抗ガン剤治療をするときめました
結局、抗ガン剤の副作用に耐えきれなくて
彼女はその後程なくして入院となります
わたしが言ったせいで抗ガン剤をしたから、
もしかしたら、抗ガン剤をせずにいたら
家にいられる時間は長かったかもしれないのに、と
色々なことを思うと、時間がたった今でも、未だに涙が出ます。。
そんなわたしに、
やってみなくちゃ、わからないんだから。
抗ガン剤は、合わなかった。それがわかったんだから良いじゃない。
やったからわかったことよ。と
彼女は笑いながら伝えてくれました。
しんどいのは自分なのにね。優しいね。
あーだめだ。かくと泣いてしまいますね。笑
これは何回かにわけ、ゆっくりとかいてこうと思います。
今日、一つだけつたえたいのは
本当に、人間って、終わりがきます。
夢じゃなく。まるで、夢からさめるように、当たり前だったと思っていた夢が突然に終わるように。
それはみんな順番こで、誰も終わらない人はこの世の中にはいなくて
話せなくなってからでは、あえなくなってからでは
本当に遅いことがたくさんで
がんで入院→脳梗塞→脳梗塞→他界という過程を
彼女は進んだので
ある日突然意志疎通がとれなくなってしまってから
色々沢山お話しとけばよかったと
たらればなことばかりを思い悔やみました。
本人に意識はあるのに、意志疎通がとれない。
それなのに
延命治療はどうするか。
管をとおすか。
など、他人の命の行方を、私が家族が待ったなしで選択し、採決をはからなければいけないことが、当時は本当につらかったです。
ゲームならリセットできる。リセマラしたらいい。
でも、そんなんじゃないから。
明日でいいやの明日がこないこともあるから
どうか、したいことをして
話したいことは話して
好きな人にはすきと、
よかったら、つたえてあげてください。
ドラマ、カルテットの台詞で
「泣きながらご飯食べれるヒトは生きていけます」
というのがあって
複雑な家庭環境で、ほぼ最近はあうことのなかった父親の死を迎えたすずめちゃん(満島ひかりさん)に
まきさん(松たか子)がそういって、一緒にご飯をたべるシーンがあります。
すずめちゃんは、沢山沢山泣きながらも、目の前のご飯をまきさんとたべます。
その台詞が心にじんわりとあって、それを励みに、この一年いきていました。
まだまだ悲しくて仕方ない日もありますし、これからもあるでしょう。
でも、今日で一区切りして
よちよちでも、私も歩き出そうと思います
他界してから4ヶ月後に、10年ほどやめていた(ドラマやバンドのファンアートはかいてましたが)絵をまじめに再開しだして、ここにいます
今日これの前に上げた絵で、彼女のブローチとコラボした絵を描きました。空の上に届きますように。
本当にまとまってない文章ですが、読んで下さった方、ありがとうございました✨
また。
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