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やじろべえ日記 No41 「激突・前編」

今日予定していたセッションだが,結局伏見さんと浅井さんも呼んで3人でやることにした。たぶん,わたしがやりたいことを一緒に見てもらったほうがいいという判断である。

わたしは野良のキーボード弾きだ。名前はないのではなく名乗らないだけだ。いい加減冒頭で名乗ったらいかがですかと各方面からお叱りの声を受けている。しかし反論させてほしい。大体名前が必要な時は誰かが言ってくれるので私がわざわざ言う必要ないし,名前が出てこない日は私がだれにも呼ばれない日なので名前などなくても話が成立する。だから私がわざわざ名乗る必要はない。うん,証明終わり。

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浅井さんと伏見さんは私と戸村さんより後にスタジオに姿を現した。もともとこちらのウォームアップのため集合時間を3時間程度遅らせたのだ。

「市村さん!ごめんね遅れて。それより,いきなり伏見さんと来てほしいって,どういうことだったの?」
「こんにちは,伏見さん。浅井さん。突然お呼び建てして申し訳ありません。」
「私は構いませんけど,市村さん,なんでまたこの人がいるんですか?」

伏見さんがやや不満げに声を挙げる。大人びた容姿をしていてもやはり中学生。この手の本音はすぐに顔に出てしまう。まあそこらへんは大人でおいおい教えるとして,今は集まった目的を話すのが大人としても義務だろう。

「…ここ数日,浅井さんと伏見さんは私のために一生懸命練習を組み立ててこなしてくれていました。ですが,この問題はやはり私が向き合わないといけない問題なんだろうなと思います。お二人がここの所個人練習をしているのは,私のあわせがしっくりこないからでしょう?」

二人の苦虫を踏み潰した表情が答えだ。ここ2日間の個人練習という名の私抜きのあわせ練習はおそらくそういう意味だったのだろう。ただうまくいかないのは当たり前なのだ。私が私の問題に向き合っていないのだから。

「戸村さんと昨日話してて思ったんです。やっぱり,戸村さんの期待に沿えなかったのは私の問題もあると。」
「いやそれは…!」
「それは100%正解とは言えない。君だけの問題ではないよ,市村さん。」
戸村さんと浅井さんが二人がかりで止める。二人の言いたいことはわかる。二人が言いたいのは戸村さんが初見の演奏だけを見て私の力量を勝手に判断した短絡さを認めたものだろう。二人の言いたいことはわかる。でも違う。

「いいえ。あながち間違いではないんです。私はセッションがうまくできなうのは私が周りに合わせられないからだとずっと思ってたんです。…ただもしかしたら違うのかもしれません。」
「…どういうことですか?」
「浅井さんと伏見さんの演奏を一緒にやって気づいたんです。…おそらく私には合わせる以上のものがない。」
「合わせる以上のもの?でも君の癖は合わせることに特化した癖だよね?それを生かさない手はなくない?」
「浅井さんの言う通り,合わせることで現れるのが私の特徴の一つです。ですが必ずしも万人受けする癖ではない。浅井さんや伏見さんのように私を心の底から認めてくれる人ばかりではないんです。」
「そんな…」
「おそらく浅井さんに会う前の私がうまくいかなかったのは,単純に『相手に合わせる』以外私の演奏には何もなかったからだと思います。華やぎも,個性も,メッセージも何一つない。私が受け入れられなかった理由はそれもあるのかもしれない。戸村さんが指摘した『思ったのと違った。』の正体はこれでしょう。」

ふと戸村さんのほうを見るとこちらを不思議そうに見ていた。
「市村さん,ずいぶん難しい顔しているけど…要は自分がうまくないって言いたいの?」
「うまいうまくないっていうよりかは『うまいかうまくないか』以外に見せつけられる何かが私にはないのでしょう。」
「君そんなに下手じゃなかったと思うけど。」
「魅力がない…ということでしょうね。」
「それで,今日僕は何をすればいいの?」
「昨日話した通りです。容赦のないセッションをします。厳密にはセッションというにはかなり危うい演奏をします。そして伏見さんと浅井さんには聞いてもらいます。」
「おお。なぜそうなった。」
「前回の戸村さんとのセッションは合わせることに注視していたものです。しかし,合わせることで期待外れになったのなら逆をやってみよう。という魂胆です。」
戸村さんはめをパチクリさせた。
「浅井さんと伏見さんにとっては退屈な時間になるかもしれません。退屈になったら退室してもらっても構いませんが最初の1音くらいは聞いていただけると幸いです。」
「面白そうじゃん。」

ふと横を見ると戸村さんがのりのりでドラムを準備している。

「つまり俺とのセッションでぶちかますってことだね。」
「ぶちかますほどの実力はありません。ただのんきに合わせに行くだけで終わらせるつもりもありません。」
「市村さん,私,ききますよ。」

伏見さんはまっすぐこちらを見ていった。

「始めましょう。私,市村さんのぶちかました演奏,聴きたいです。」

(後編へ続く)

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