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批判を受けないための方法。何もしない。何も言わない。存在すらしない。-Yukko side-


誰だって批判を受けるのは怖いし辛い。

わたしは昔から何をやってもそこそこできる子供だった。憎らしい事に。なので、人一倍批判を受けてこなかったが故に人一倍批判に敏感である。


その上、感覚で平均ちょい上くらいには物事をこなせていたためにわたしは努力がとても苦手だ。まるで中学生のように、努力をすることがダサいという今思えば間違いだらけの先入観が抜けず、大人になっても遮二無二にがんばることがどうしてもできない。



大人になると、才能じゃどうにもできないことがごまんとある。子供の頃は「こんなことができるなんて天才!」と才能を褒められる機会が多いが、歳を重ねるごとに自分の能動的な努力で勝ち取った功績が重視されるようになる。努力をせずに漫然と生きてきたわたしの薄っぺらな人生にはこれが尚更堪える。



なんでこんなこともできないんだろう、

いままでは上手くやってこれたはずなのに、

みんなはできてるのになんでわたしだけ、



…それがいままでサボってきたツケだってことはわかりきっているのに、ちっちゃなくだらないプライドが邪魔で認めることができない。


努力のできないわたしが才能でなんとかならない物事にあたったとき、批判を避けるためにすること。それが、なかったことにすることだ。

決して失敗を認めないということではない。失敗は失敗だ。ここでいう「なかったことにする」とは、成果というよりは過程において、自分が他人より劣っているということを周りに知られないように沈黙をするということだ。隠蔽とは違う。取り繕うわけではなく、誰も自分に気づかないようわたしはゆっくりと息を吸い、そして空気に溶ける。


なんと!今回のテーマにぴったりではないか!と、名言に肯定されたことを喜んだのもつかの間。エルバード・ハバードはこの言葉のあとにこう続けている。



ただしそれでは生きているとは言えない  、と。



今わかった。わたしは死んでいたのだ。努力も批判も嫌で、体裁を取り繕うために沈黙をする。そりゃ自我も形成できないわけだ。

人格云々の前にわたしは生きてすらいなかったのだから。


まずはそのちんけなプライドを捨てなきゃな、と思う。

努力を嫌煙するのは決して悪いことではない。それも人生である。問題はそんな自分を認められない自分である。ダメな自分もちゃんと自分として認めてあげなくちゃ、批判を怖がって避けているだけではなにも成長しないし死んでるも同然だ。


ということに気づけたことは収穫だが、20数年間も大事に持ち続けた自己防衛の手段はなかなか手放せない。これを駆使すれば自分が傷つかないことを知っているから。そんなんだから人生に厚みがないしつまらない人間なんだよ、と囁く人格にこれからはちゃんと耳を傾けようね。もう無視はしないよ。わたしはちゃんと存在しているから。