成長への拒絶

自分がかつて出来なかった事が、出来た瞬間っていうのは人生でいっぱいあると思う

「あ。分かった」

「あぁ…理解できた」

「成程」

こういった経験は人生でいっぱいあるだろう
理解した瞬間の快感ってのは本当に得難いもので、今でもITの知識(上手に使えるかどうかは不明)とか、無駄知識を知ると脳汁ドバドバでて
_|\○_ヒャッ ε=\_○ノ ホーウ!!
とかテンション上がるから知識が増えること自体はきっとみんな好きだろう

ただ 成長 と考えるとどうだろう?

普通の人は、「出来た!」とか「克服した!」とか「前より出来た!」となったとき、すごく嬉しいんじゃないんだろうか?
例えば、算数の公式で答えが出せた時とかが分からいやすいかな

二次方程式とかそういうのでもいいや

どちらにせよ、学校の授業で問題溶けたら普通は


いよっしゃああああああああああああああああああああ!!!!!


となるんじゃないだろうか?
いやだって、嬉しいでしょふつう
じゃなきゃ苦行どころの騒ぎじゃない


まぁでもその普通が起きない事があるっていうのが問題なんですけどね


調べてみたら「成長」という言葉が嫌だってのはある程度ある感覚らしいね

でも基本的にそういう人が成長というのを嫌がるのは他人からの圧とか、成長する理由がわからないとかそういう「外部」の理由ばっかりが目に映る

だから思うんだよね

じゃあ自分で「は?なんで出来るようになってるの?意味わからん。なんで出来た?出来るように”なった?”なんで?おかしいでしょ?こんなふうに出来るようになったなら今までの行為は何??????」と思う自分のこの思考は何?

で、結局わかんないまま30年は生きてきた
小学生になる前は記憶がないんだけど、多分小学生~中学生くらいにはもうこの感覚は合った気がする
成長拒否というか、成長そのものにマイナスイメージはないし、むしろ出来るようになりたいこといっぱいある
けど大体色々学び始めるとこれが発動するから長く続かないんだよ

いや、ほんとこれ辛くてさ

他人から「なんで出来ないの?」「こんなのもわからないの?」とか否定されるなら分かるのよ。否定されるの辛いよね。って


これの嫌なところって、「わかんないよー!」って自分から教わっといて理解できた瞬間「理解できた事実」に怒りが向くから教えてくれた人には本当に本当に申し訳ないんだけど「良かったね!」と理解できたことを喜んでもらうことそのものが「いや、良かったじゃないが?」となるんだよ
その人は好意で教えてくれたわけじゃん?なのに望み通りに出来るようになったのに”出来るようになった事に怒り出す”という矛盾が起きるわけよ

真面目にこれがなんなのか分かんなくて、調べてもなんかみんな
『成長しろと他人に共用されるのが苦しい。辛い』と言ってるから絶妙に違うんだよね
その心は痛いほど分かるのに、自分は自分で自分の成長を願った、もしくは環境を変えてそれに慣れようとした結果なのに最初に感じる自分の成長への感想が「は?なんで成長が出来たの?おかしいでしょ?は?苛つくわ」だもの。ちょっと違うんだよ
解決方法とか自己理解による原因解明すらできんのよ



なんとか調べてなんとかそれっぽい病が見つかった。名前をインポスター症候群という


インポスター症候群とは、「客観的に成功している事実があるのに、自分に自信がもてない」と感じてしまう心理の特性をいいます。 「疲れているのに努力を続けないとダメになってしまいそう…」「本当の自分を知られたら失望されるかもしれない…と自信が持てない。



頑張っているのにいつまでも安心して休めない、成功したことによりさらに心理的負担が大きくなり追いかけられているような気持ちになってしまう人もいます。

インポスター症候群の人の中には、自分で自分を追い詰め、いつのまにかうつ病や不安障害など心療内科や精神科の病気につながってしまう人もいます。


まぁこれも少し違う気がするんだけどね!!!!

もしこの感覚が分かる人いたら教えて欲しい

正直不意にこれが出ると一気に気力がなくなるからほんときつくて……

お願いしまーす……


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?