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クラウン*ベスのアメリカ体験記 vol.23

エリザベスは米国で”地上最大のショウ” リングリングサーカスのブルーユニットに入団! 今回は前回の続きで「キロス」について、それからキロスのメンバーであるヴィンセントと話した「クラウン」について綴ります。


キロスのこと

私は「ザ・キロス」のハイワイヤーのショーを見るのはこの時リングリングサーカスに入団した時が2度目で、1度目はというと、90年代の始めに「ザ・キロス」がフランスで1リングのテントのサーカスで巡業していた時でした。
この頃私は日本でクラウニングをしていて、スティーブと訪米した際にドイツ行きの格安チケットを利用してクリスマスの時期にフランスへ行き、冬の最中数少ないサーカスを見て歩いていた時でした。もちろんキロスのアクトはハラハラドキドキで観衆もエキサイティング。スティーブとショーの後に出口を出てテントのまわりをあるいていたらハイワイヤーアーティストの一人ヴィンセントが暗い夜道を犬と散歩していました。20分前にはきらびやかな衣装で光線の上を軽い足取りで走っていたアーティーストはショーの後は地味な服装で犬と散歩している極普通の人に変身です。スティーブは「あなた達のアクトはいつも見ても素晴らしい。実は僕は1988年にリングリングサーカスのブルーユニットにいたんだけど、その時にキロス達がいたこともよく覚えているよ。」と言いました。ヴィンセントは急ににっこり笑って、あーそんなこともあったな〜という表情で「そうだったね〜。またいつか会おうね」そして別れました。
スティーブはアメリカの「リングリングブラザーズ アンド バーナム&ベイリー クラウンカレッジ」(RBBC Clown Collge)を1987年に卒業。1988年の新しいブルーユニットのツアー(118th Edition) のクラウンとして採用されます。

1988年ブルーユニットのショー、118th Editionのパンフレット

このツアーの14分36秒の動画YouTubeのリンクを見つけたのでアップします。

「ザ・キロス」のパフォーマンスの一部もこの動画で見ることができます。

動画で彼らの鋼線上3人間ピラミッドの頂上には女性のアーティストが椅子に座ってバランスを取っています。この女性は毎日限りなく続く高所鋼線上でのパフォーマンスのストレスに耐えられず、ツアーの終わりにはやめてしまったそうです。一緒にショーを共にしたスティーブは幾度も彼女が身体的精神的に参ってしまっていた姿を目にしていたそうです。それくらいハイワイヤーアクトは肝が座っていないとなかなか続かない難しい芸なんですよね。「ザ・キロス」のハイワイヤーアクトは男性の闘牛士の力強さや情熱が感じられるパフォーマンスなのでそのアーティスト達は日本でいう九州男児的な「俺についてこい」型の性格と思いきや、皆静かでおとなしい性格。私が入団した時は後から加わったリネイ以外は皆それぞれ家族を持っていて、ロバートは小さい子供がいる優しいお父さんでした。毎朝アリーナのフロアーで同じ時間に会うので次第に顔見知りになり、それからいろいろ話をするようになりました。時々話していると、この優しい雰囲気のキロスが実は毎日死と向き合わせのアクトをしているということを忘れるくらいに普通の人っぽかったことをよく覚えています。

キロスのヴィンセントと話したクラウンのこと

ある朝スティーブと私は練習の後、ヴィンセントとクラウニングの話をしました。彼の親戚もクラウンなので子供の頃からクラウニングをよく目にしていたヴィンセントの意見を聞くのは興味深かったです。
この時の話題は、オーディエンス・ボランティアと行うクラウニング。クラウンなら一度は聞いたことがある、またはこの形のギャグを演じたことがあるのではないでしょうか。英語でAudience Volunteerというこの意味は、観客の中から協力者を募ること。よくあるパターンは、クラウンがこの観客にこの様に動いてください、といろいろ命令し、その不器用な動作のリアクションが笑いとなります。この形のギャグを見る観衆は、この一人の観客が自分たちの代表であり、且つクラウンの餌食になってしまったという気の毒だけど笑っちゃうというなんとも言えない仲間意識的な気持ちになり、会場はアットホームな雰囲気になります。私自身もショーのディレクターからの要望でいくつかあるギャグのうち一つや二つはオーディエンス・ボランティアとのギャグをしたことは多々あります。その経験から学んだのは、オーディエンス・ボランティアとのギャグは簡単に笑いを取れること。もちろんクラウンと協力者とのコミュニケーションの面白さははクラウニングの巧みさにより変わりますが、協力者が不器用であればあるほどたくさん笑いが取れます。私の理想は、協力者を使わずクラウンのギャグのみで観客を魅了できることです。それがどんなに難しいことか!
スティーブと私が崇拝するクラウンは、スイス出身の「グロック」(Grock)。彼の白黒映画をフランスの映画館で見た時、私達二人は本当のクラウニングに目覚めた〜と感じました。

スティーブと私が崇拝したスイスのクラウン「Grock」

グロックはソロ、そしてパートナーと約40分の演技を見せます。グロックの動画のリンクはこちらです。

映画館で初めて見た時、私は言葉は一切分からなかったけれどおかしすぎて泣き笑い状態。白黒のあまり質の良くない映画の観客達は小さい子供からお年寄りまで、皆大笑い。スティーブとこんなショーが二人で作れたらいいね、と話しました。

ヴィンセントが育った時に目にしていたクラウニングの中には「オーディエンス・ボランティア」などという形式のものはありませんでした。彼はそのような形のクラウニングはアートではない。ただの怠け者のクラウンのするアクトだとはっきり言いました。
当時イタリアンクラウン、「デビッド・ラリブレ」(David Larible)はリングリングサーカスと1991年から契約を結び注目を集めていました。彼はサーカス一家6代目のアーティスト。クラウニング以外にいろいろなサーカススキルの経験がある彼の有名なクラウンギャグはオーディエンス・ボランティア。彼一人で見せるギャグも沢山あるのでしょうが、私自身も彼のオーディエンス・ボランティア以外の動画は見たことがありません。ヴィンセントは、「デビッドのオーディエンス・ボランティアとのクラウニングはよく知られているけど、そのような芸をする彼がアメリカでなぜこんなに人気があるのかわからない。ヨーロッパで彼のクラウニングが素晴らしいと言う評判は聞いたことがない。」アメリカではうなぎのぼりの人気のデビッドのヨーロッパの評判に驚き、同時にクラウニングについて私達はヴィンセントと同意見でなぜかとても嬉しかったことを覚えています。

1991年デビッド・ラリブレがリングリングサーカスでパフォーマンスを始めた頃のポスター

続く。。。



書いたのは、

エリザベス

1990年クラウンカレッジジャパン2期卒業生。7年間日本でクラウンとして活躍後、渡米。アメリカとカナダのサーカスで10年間クラウニングを続行。その後10年間マクドナルドのクラウン、ロナルドのアシスタントを務める。現在アメリカ在住。


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