僕は誕生日の価値がわからない。
死にたい、と思っているわけではない。
生きたい、と思っているわけでもない。
生と死の狭間で、神にも死神にも嫌われ、今日も生きている。
過剰な春だ。
桜が咲き誇っている。花びらが道を染める。或いは道を隠している。
桜の木の下には屍体が埋まっている、と謳ったのは誰だったろうか。
それならば、桜の花に濡れる僕も美しく映るのだろうか。
いや、しかし。この人類の悠久の歴史を鑑みると、屍体はどこに埋まっていてもおかしくはないだろう。
僕らは歩くたびに、死を冒涜しているのだ。
思えば、なんだってそうだ。今の僕は、今の世界は、今の利便は、誰かの不幸をもとに成り立っている。
イヤホンから、不幸の音楽が流れる。
今日は僕の誕生日。
冬が死ぬ季節。
四季が死ぬ季節。
別れの季節。
この時期は大抵春休みだから、友人に誕生日を祝われることは殆どなかった。
親にも祝われなかった。
祖父母だけがひっそりと祝ってくれた。
だから、僕は誕生日の価値がわからない。
そもそも、誕生日とは何なのだろうか。
クリスマスはわかる。
偉大な人の誕生をお祝いする日だから。
バレンタインもわかる。
素直になれる日だから。
僕がこの世界に生まれ落ちたことに、何の意味があるのだろう。
僕はその瞬間を覚えていないのに。
どんな顔で、何を喜んだらいいのだろう。
僕は自分の生を祝う意味がわからないから、自分の死を悼む意味も分からない。
だから、いつ死んだっていいと思っている。
友人にそう話すときには、後悔しない人生を送っているからだ、と言い、
心の中では、自分の掌が何とも繋がっていないからだ、と思っている。
それらは、どちらも正しくて、どちらかだけでは正しくない。
この心を一度だけ開いて見せたことがある。
見た友人はそれを穢らわしいもののように、見せるものじゃないと僕を諫めた。
それから、この命題は心の中に仕舞っておくことにした。
泥酔した夜があった。
その日、君にこの話をしてしまった。
心の奥底に沈んでいたはずの感情は、大酒で溺れた水死体の如くぽっかりと浮いてきた。
その腐乱した屍は、自分にとってホムンクルスのようなものだった。
僕は掌が何とも繋がっていない代わりに、その屍で掌を埋め、愛玩していた。
同時にそれは、傍から見ればただの襤褸人形に過ぎないのだとも知っていた。
だからその屍を君に見せてしまった時、僕はせめて能う限り克明に、鮮明に、公正に描写しようと試みた。
それが僕に許された最大の誠意なのだ。
笑ってくれ。あなたはそんな人じゃないじゃない、と。
どうしたの、酔っぱらってるの。
そういうことにしてくれ。
そうだ、酒で頭が回っていないのだと思ってくれ。
ただの語り上戸だと思ってくれ。
僕は、本当の僕は、陽気で、快活で、強いやつなんだ。
君がそう思ってくれたら、その間にこの屍をそっと心の中に収めるから。
しかし、君は泣いた。
何を言うでもなく、ただ泣いていた。
僕は取り返しのつかないことをしてしまったのだと気付いた。
慌てて、この屍は自分にとって大切なものだと繰り返し説明した。僕にとって、これは穢れではないと。
しかし君は首を横に振る。
違うんだ。見てくれはこんなだが、僕はこいつと話すことで解決した悩みもある。僕が道を外れようとしたら諫めてくれたこともある。とても、とてもいいやつなんだ。
また首を振り、君はこう言った。
――違うわ、それはあなたの重荷になっている。
それは掌に収まるものじゃない。あなたの背中に覆い被さっている。
ほんとにいいやつだって言うんなら、きちんと手を繋がなきゃ。
あなたは背負ってばかり。ずぶずぶと沈んでいく。
君はぐしゃぐしゃになった顔で僕を見つめる。
――私が最初にその手を握ってあげる。
とはいえ、現実はそう簡単に変わらない。
今日も家庭教師のバイトの為、自転車を漕いでいる。
生徒に宿題をしろ、と毎日怒る。
やるべきことはやらないといけないのだ、と怒る。
できないのではなく、やらないだけだろう、と怒る。
それらはすべて自分に跳ね返ってくる。
学校で、受験から逆算して今やるべき勉強を考えなさいと教えられたのに、
死ぬときから逆算して今日の生き方を考えなさいと教えてくれなかったのはなぜだろう。
今は別れの季節。
君と共に歩み始めたこの季節に、君は遠くに行ってしまう。
きっとまた会える。
だけど、そんな遠くばかりを見ていたら、自分がちっぽけに見えるから、だから教えてくれなかったのかな。
帰り道、おじさんの歩き煙草を睨みながら通り過ぎる。
睨んだって何も変わらないのに。
きっと現実が変わらないのは、自分が後悔しない人生を送っていると思いこんでいるからだ。
それを盲目的に信じられるのは、昨日の自分は今日の自分と別物だと思っているからだ。
昨日の自分は朝に殺す。
今日の自分も夜には殺されるだろう。
ついさっきも疲れたとか飽きたとか喚いていたから殺してやった。
誕生日を迎える夜には、人を殺める夢を見た。
その部屋には、自分を含めて5人いた。
僕はその5人にどこか親しみを感じていた。
1人の男が入ってきた。その男に僕たちは飼われているらしかった。
彼の顔色に怯え、媚び諂い、体を差し出した。
しかし、僕は他の4人が虐げられているのに耐えられなかった。
いや、厳密にいうと、虐げられている様を僕が見ることに耐えられなかった。
だから、彼の頸を薙いでやった。
ソーセージのように柔らかかった。血溜まりがじわじわと広がっていった。
ああ、こんなもんか。
そこからは皆で逃げた。誰かがずっと追ってきていた。
僕は捕まることよりも、皆が共犯になってしまうことを恐れていた。
だから、自首した。
警察には死体確認だと言われ、屍の前に連れてこられる。
腐乱した四肢と、捨て置かれた頭蓋。
ぐるん。
頭がこちらを向く。
それは僕の顔だった。
頸を薙いだときの感覚は今もまだ残っている。
その手で今これを書いている。
悲しいときは悲しむのだと教えてくれた君。
僕はまだ悲しみきれてないのだろうか。
でも、つらいよ。
ほんとうに心から悲しむのはつらいよ。
今までは、悲しみが飛んで行って皆に迷惑をかけないよう、心に蓋をしていた。
蓋をして煮詰められた悲しみは、沸騰して、蒸発して、固まって、乾いて、いつの間にか、灰のように散り散りになった。
それを君が必死にかき集めてくれたから、だから今僕は自分の足で立っている。
そう呟き、あなたに渡した合鍵で自分の家に入る。
今日は僕の誕生日。
君がいない六畳一間で、やっぱり僕は誕生日の価値がわからない。
ただ、今はやるべきことをやるべきだ。
自分を殺したっていいのだ。
季節だって四半期に一回は死ぬ。
年だって365日で死ぬ。
ただその後に何度だって生き返ればいい。
今から春が始まる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?