【短編小説】哀しげな君に

先週の席替えで斜め前の席になった松本叶絵ちゃん。
窓際の席の彼女はいいな、と思う。
彼女はいつも窓の外、遠くを見つめている。

今年の夏休み明けに転入してきた彼女は遠くの田舎から来たらしい。
ベッドタウンにあるこの学園。窓の外、遠くには高層ビルが見える。ここは高台にあるから。
そんな都会の風景は、彼女の瞳にはどのように映っているのだろうか。

分からない。この席から彼女の表情は分からないし、分かろうとする方が間違っているのかもしれない。
私はいつからか他者との間に明確な線を引くようになっていた。
誰かに合わせたり作り笑いをするのは苦手だし、誰かの顔色を伺うのも馬鹿馬鹿しい。
自己の内面と自分の見ている世界を大切にしたいと思うのだ。
だから堂々と一人でいる。周りにどう思われているのかは知らない。来るものを拒もうとは思わないけれど、みんなは他者だ、それ以上でもそれ以下でもない。
他者の心は分からない。分かろうとする方が間違っているのだろう、と思う。

授業から開放された放課後くらいは自分の世界に浸っていたい。微風と広い空と遷ろう季節を感じていたい。
坂道を下る。
文化の日、即ち文化祭が迫る今日だけれど、部活にも委員会にも入っていないしクラスの出し物は他の子たちが準備してるから。

手を上げて横断歩道を渡る小さな女の子、それに気が付きゆっくりと減速する初心者マークの軽自動車、スマートフォンを耳に当て何かを敬語で話しながら歩くスーツの男性。玄関先で植木鉢に水をやるおばあさん。
淡い色の青空の元、その日常を眺めているだけで幸せになれる。
一人なら沢山の物が透き通って見える気がした。何にも邪魔されないから。
あぁ、この世界は悪くないな。


「……桃香ちゃん、だよね??」
突然呼ばれた自分の名に思わず振り向く。そこには叶絵ちゃんがいる。
「……そうだけど?」
「あ…あの、一緒に、帰っても、いい…?」

顔を赤らめながら、彼女は道中様々な話をした。私が話そうとしないから、無理して話題を振り絞ってるように思えた。
「部活入ってる?……あ、そうなんだ。私も入ってないよ。何か、文化祭終わってからじゃないと迷惑かけちゃいそうで…」そう言って困ったようにはにかんだり。
「…この学校はすごい人だよね。前の学校、1学年1クラスだったから。」と自虐的に微笑んだり。
駅の改札を通る時は「電車乗ったことなかったから、未だに改札に挟まれそうでビクビクするんだよね〜」とまたはにかんだり。
無視出来るほど私は冷たくはないが、耳を傾けるだけ世界が閉ざされていくように思えた。


電車に乗り、ふと会話が途切れた。
吊り革に掴まりながら、なんとなく隣の叶絵ちゃんの横顔を見た。
窓の外に流れる景色を見つめる彼女は、どこか哀しそうな顔をしていた。
迷子になった子供のような純粋さと、この世の闇を知った大人のような暗さを併せ持つ瞳、その瞳に引き込まれるような気がして、

「…ん?桃香ちゃん、どうしたの?」
私が見ていることに気が付き向き直った彼女はまた微笑んでいた。


彼女が電車を降りた後も、あの表情は脳裏にこびりついたままだった。 

分かるはずのない、踏み込むことのないその奥を知れた気がした。


翌日の授業中もまた彼女は何処か遠くを見つめていた。


チャイムと同時に教室は騒がしくなる。そこから抜け出してお手洗いに向かい、戻ってくると人はまばらになっていた。次の授業は音楽室だ。
ロッカーからリコーダーと教科書を取り出す。
筆箱を取りに机に戻る。斜め左前の席から、叶絵ちゃんが立ち上がったところだった。


哀しげな君に、手を伸ばしたかったのだ。


「……行こ、音楽室。」


そう言うと彼女は振り向き、その瞳を輝かせて「うん!!」と笑顔を向けた。


君が瞳に映す世界を私にも見せてほしくて。




そんな、友達の始まり。


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