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2021.4.15 『スリル・ミー』(成河・福士ペア)/東京芸術劇場シアターウエスト

2021年版『スリル・ミー』。
4月10日の田代万里生・新納慎也ペアに続き、

(なお、上記ツイート。シアターイーストじゃなくてウエストだし、
 「「彼と出会わなければ あなたの人生は全く違うものだったでしょうね」にそうだね×100くらいしたくなる“彼“」って書いているけれど、「「彼と出会わなければ あなたの人生は全く違うものだったでしょうね」にそうだね×100くらいしたくなる“私“」の間違いです💦)

本日は成河・福士誠治ペアを。

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2018年の際は作品自体初見で、展開のスリリングさも相まってか、
サイコパスな成河”私”に捕獲された凡人な福士”彼”
という感想だったのだけれど、
今回は
ソシオパスな福士”彼”と、その関係に共依存している成河”私”
という印象。 

福士”彼”をサイコパスではなくソシオパスとしたのは、父親や弟との関係から後天的に反社会的人格を得たのでは?と思ったから。
逆に、前回の成河”私”をサイコパスとしたのは先天的に反社会的気質を持ってるように感じたから。
(比較すると、新納”彼”は【自己愛性パーソナリティ障害】っぽかったかな。田代”私”に「自分が仕組んだ」と護送車内で告白されたとき、どこか安堵したような表情に見えたんだよね。
<他者を蔑み軽んじることで内在された自己の脆弱性を補っている(wikipediaより)>。
それがニーチェの超人主義に出会って、ますます誇大な自己愛と劣等感が加速して精神的に崩壊寸前だったんじゃないかな。
なんて、あくまでも「自分がそう感じた」妄想です(苦笑))

彼が刑務所内で死んでから数十年。
彼に対しての共依存は落ち着いているのか、殺人という犯罪行為や被害者に対して罪の意識はあるようにみえる50代の私。
(成河さんの10代の私と50代の私。雰囲気や声色だけじゃなく、歌声が全く違っていて凄かったです。そして歌も前回より段違いに上手かった)
だけれど、話しているうちに彼と過ごした日々を思い出したのか、徐々に態度が変わっていく私……。
釈放時に返却された持ち物の中にあった10代の彼の写真。おそらく、彼が死んだあとも独りで生きてきたこの何十年の間に靄がかかったようにボンヤリとなっていたであろう”彼”の顔。
それを見た成河”私”の表情。
ただただ哀しい顔で切なかった。
懐かしそうでも嬉しそうでもない、ただただ哀しい顔。
彼が亡くなっても結局、契約(共依存)は破棄できなかったのでしょう……。

ちなみに、このペアの今回のテーマは『資本主義の病』だそう。
資本主義と宗教倫理。
ブルジョワジーな家庭で不自由なく育っているのに精神は満たされていないという歪さ。
殺人という犯罪を犯しても、金銭で減刑になったり、監獄を移動できるなど囚人が自由がきく状態になれる社会構造(ただこれは反資本主義でも同じでは?とも思う)など。
今回、“私”がサイコパス的な演技になっていなかったので、愛以外の見方が朧げながら理解できたような。
……実際はどうなのか知らんけど(笑)  

『スリル・ミー』はミュージカルなので基本歌で進行。
でも、成河・福士ペアはミュージカル特有の縛り(音楽に合わせるが故の、正直《規律的》とも感じる動きと歌い方)の中で、どこまでその日のリアルな感情を剝きだせるかというライブ感で、ミュージカルよりストプレのほうが好きな自分には合ってるみたい。「私をゾクゾクさせて」なんてキレイなものじゃない、直情に「セックスして!」と欲望丸出しで彼を求めていて、ものすっごくエロかったです。成河”私”の歌う『スリル・ミー』。


来週はニューフェイスの松岡・山崎ペアを観劇予定。
10代である”私”と”彼”に最も近いこの二人、きっとまた違った”私”と”彼”の世界が生み出されるのでしょう。楽しみです。

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