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【短編小説】「神よ、」
西への旅の途中で、ある異国の地を訪れた。
正午を告げる鐘がなったその時。ところどころ崩れてぼろぼろになった石造りの神殿に群衆の大合唱が響いた。
「神よ、我らをお助けください!」
「お助けください!!」
皆、つぎはぎだらけの貧相な服を着て、天を仰いでいる。虚ろな目で必死に叫んでいるさまは、まるで酒や薬物におぼれているかのようだった。
(……すごいところに来てしまったな)
私は内心苦笑いをした。
この国の住民は、みな神の訪れを待っているらしい。
旅荷の補給のためにこの国に立ち寄ったが、町中は混沌としていて、まともな店はなかった。
みな昼間から酒をあおり、賭け事や喧嘩に興じていた。広場では人身売買が平然と行われていて、先ほど賭けで負けていた男が手枷につながれて出てきたときにはぎょっとした。思わず隣にいた男に聞いた。
「……これを神は認めているのか?」
男はにやにや笑いながら答えた。
「もちろんさ。我々がより豊かになる行為を神が認めないはずがないだろう」
そして、慣れた手つきで奴隷を購入した。
見ていられなくなり、広場を去ると町中に人だかりができていることに気づいた。
人をかき分けて前に出ると、腰から刀を下げた、ならず者風の3人の男たちが一人の女を傷めつけていた。女の顔は見るも無残に腫れあがっている。
「……おい。この女には殴られる理由があるのか?」
怒りを押し殺した声で、3人の中のリーダー格と思われる男に尋ねる。
「なんだよ、おっさん」
リーダー格の男は私が腰から下げている剣をちらりと見ながら、よどんだ目で言った。
「そんなの特にないに決まってるじゃないか。ただの暇つぶしだよ」
「……神は認めているのか?その暇つぶしを」
「当然だ!神はどんな人間も救ってくれるからな!……ちょうどいい。今度はお前の番だ」
男は言い終わるなり、抜刀して私に切りかかってきた。視界の端で残りの2人も動いたのが分かった。
考えるよりも前に体が動いた。男よりも早く一気に間合いを詰めると、剣を抜き放ち、喉元につきつけた。
「……!ひぃ!」
毎日丹念に手入れをしている刃は太陽の光をぎらぎらと反射し、それは命のやり取りに慣れていない者を死の恐怖に突き落とすのに十分だった。
「神よ!あぁ神よ!わが身を助けたまえ!」
男は泣きながら、私ではなく天に祈った。残りの男たちはすでにどこかへ逃げていた。
「……その女、おいていけ。そうすれば放してやる」
「神はそのような下道を許さないぞ!」
……なんとも都合のいい神だ。
先ほどの奴隷の値段が銅貨5枚だったことを思い出すと、6枚の銅貨を懐から取り出し、遠くに向かって空高く投げた。
「ほら、いけ。銅貨6枚だ」
男をこづくと、あっけなく離れていった。
残された女はさっきからずっと俯いたままだった。
「もうお前は自由だ。どこに行ってもいいぞ」
消え入りそうな声が返ってきた。
「……神よ、わが身を助けたまえ」
耳を疑った。
「……いま、助かったんじゃないのか?」
「この世の救いは神にしかないわ。……神よ、わが身を助けたまえ…」
女はそう唱えながら力なく去っていった。私はその姿を見守るほかなかった。
そんなことがあったからだろう。
珍しく、財布をすられた。いつもなら目線の動きで事前に見抜けるのだが、油断していた。おそらく犯人はさっきぶつかってきた、あの瘦せこけた青年だろう。すられたのはダミーの財布だからそれほど多くは入っていないが、取り返しておくにこしたことはない。
青年が路地に入っていくのが見えた。気配を殺して追いかける。青年はひとけのない場所までくると、あたりを伺いながら懐から私の財布を取り出した。
私は気づかれないように背後から回り込むと、財布の中身に夢中になっている青年の背に鞘ごと剣を押し当てた。
「それを返してもらうか」
青年はぱっとこちらを振り返ると、唇を固く結んだ。すんなり従う様子はなさそうだ。
恐怖を植え付けるように剣に力をこめる。青年は怯むことなく、ぎらぎらとした視線を私に向けた。私は少し、面白くなってきた。
「神に祈らないのか?」
「……おれは神なんて信じない!」
その燃えるような瞳になぜか圧倒された。
一瞬の隙を見逃さず、青年は即座に体を反転させ、同時に激しい蹴りを私の頭に向けて放ってきた。おっと。すんでのところで身をひねってかわすと、一気に青年の懐にとびこみ、拳を青年のみぞおちに叩き込んだ。
急所をつかれた青年はよろよろとあとずさって、ドサッと地面に座り込んだ。苦しそうにうめいている。
慎重に間合いを取りながら、私は言った。
「この国で初めて会ったな。神に祈らない者に」
青年は吐き捨てるように言った。
「みんなおかしいんだ。自分勝手に神を使いやがって。酒や女におぼれているのと同じだ。祈ってもこの世界がよくなることなんてないのに。……でも、神を信じないおれはこの国じゃつまはじきものだ。」
「ふーん。私は君のほうが正常だと思うけどね」
青年はふっと笑った。
「なあ……あんた旅してんだろ。おれをこの金で買って、連れて行ってくれないか。どんなことだってやるぜ。足手まといにならないことは約束する」
その目には、必死な色がうかんでいた。
……私の奴隷になると言っているのか。
しばらく無言で考えた。鍛えればかなり強くなるだろう。根は真面目そうだし、最近一人旅にも飽きてきたし、奴隷と言わずに旅の友として悪くないかもな。そう口を開きかけたとき。
「……いや、やっぱりいいや」
青年は静かに首を左右に振った。
「いいのか?」
驚いて聞き返した。
「あんたに助けを求めるのも、神に祈ってるのと同じだ。おれはおれの生きざまをつらぬく。自分で生きる」
……ほう。
「そうか。……私は西にいく。そこで香辛料を買ったら、東へ戻る。数年かかるだろうが、必ずここに来る。また会おう」
「わかった」
「それは君への餞別だ」
「!」
青年の目が見開く。銅貨20枚。彼からしたら大金だろう。それを生かすも殺すも彼次第だ。
西の果てで香辛料を買った後、帰り道に海路を選んだのがよくなかった。
運悪く嵐に巻き込まれた。いまや船は沈没寸前だ。万策尽きた。この時ばかりは天に祈るしかない。
「神よ、わが身を助けたまえ……!」
明るい青年の声が耳に響いた。
「はは、あんたも神に祈るようになったのか。世も末だな」
「!」
あの青年だった。小船を見事に操って、水没しかけている私の船の隣につける。
「助けにきたぞ」
「……ありがとう」
青年の船に乗り移ると、彼はたくましく船を漕ぎ出し始めた。私は力なく座り込んだ。
「君は……まるで神のようだ」
「……やめてくれよ。おれは今でも神なんて信じてない」
そう言ってそっぽを向く。改めて見ると、見違えるほど立派な身なりをしていた。
……ああ、神は自ら動く者に宿るのかもしれない。
感慨にふけっていると、青年の懐から、ちらりと見覚えのあるものが目に入った。ぼろぼろで、今の彼とは不釣り合いなそれは、かつての私のダミーの財布だった。
私の視線に気がつくと、青年は照れくさそうに笑った。
「……もし神がいるとするならば、それはおれに銅貨20枚をくれたやつだ」
(おわり)
貴重なお時間をいただき、長い文章(約3000字)をここまで読んでいただいて本当にありがとうございました!
この世界では、みな何かに縋らないと生きていけないのかもしれません。でも、できるだけ自分の足で立っていたい。そんなことを裏テーマにして、自分自身への戒めも込めつつ書きました。
今まで投稿した話のテイストと違って、戦いの場面が多めになりました。描写に違和感がないことを願っています……!
今日も、みなさまが良い夜を過ごせますように。
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