人生初の大挫折
大学受験。
それは、人にとっては人生を大きく変えるポイント。
大学がその後の人生を決めることも多くある。
私の高校は、部活動に力を入れている学校で、
偏差値は40程度。
そのなかで「どちらかというと頭がいい」コースに私は進学した。
中学校のときの私は、テストで学年上位5位ぐらいに入る成績だった。
市で一番頭が良い高校もきっと目指せたけれど、
その高校を選んだ理由は、
「早く試験が終わる」、「制服がなんとなくかわいい」、
そして、「同じ中学から行く人が少ない」という理由だ。
高校に入っても、テストでは学年3位以内を基本キープ。
卒業式では成績優秀者にも選ばれ表彰された。
クラスでも、「あの子は成績が良い」というイメージがついていた。
私は、
「周りからそう思われてるから、イメージを守らなきゃ」
というプレッシャーを勝手に感じていた。
本当は、めちゃくちゃ怠惰な人間なのに、
テストに関しては周りからのイメージや視線を気にして、
前日に徹夜をしてなんとか成績を保っていた。
だから、勘違いしていた。
狭いコミュニティのなかで、
基準が低めの世界で、
そこで上手くやれてきたから、きっと受験もなんとかなる。
と自分を過大評価していた。
高校3年生の春。
ある先生に、
「1年間必死にやれば、お前は良い大学に入れる」
と言われた。
「勉強ができる子」というイメージがついているから、
大学も良い大学に合格しなきゃ恥ずかしいな。
今までもなんとか上手くやれてたし、
きっと頑張れば今回も上手くいくだろう。
と思って、先生からの推薦入学の話を断り、
「1年だけ必死にやって良い大学に入るぞ」
と意気込んだ。
とても大変な1年だった。
塾にも予備校にも通わず、
ただ参考書だけで闇雲に勉強する日々。
いい成績を取れていた学校のテストだって、
この学校の基準のものだから、
徹夜でやれば100点を取れた。
でも受験は全国のレベルで、コツコツやっていくもの。
今までのやり方は全く通用しない、
新しいやり方で、
一人で、
取り組まないといけない。
寝る時間を除いて、
ご飯を食べるときも、
湯船でも、
ドライヤーをするときも、
移動のバスや車でも、
とにかく、ずっと勉強した。
長期的にコツコツ勉強したことがなくて、
効率良い勉強の仕方が分からないから、
とにかく時間を費やした。
でも結果は出ない。
終わりも見えない。
未来も見えない。
でも落ちたら恥ずかしい。
両親に迷惑をかけ、期待も裏切る。
きっと人生終わりだ。
毎日勉強した。
夜には、部屋で一人泣きながら、
それでも、とにかくやった。。。
結果は、大失敗。
センター試験提出も合わせれば、
20校くらい多分受けた。
一つ残らずキレイに落ちた。
試験を終え
実家に帰り
結果が全て出揃ったとき。
絶望を感じて泣いた。
父は、
「初めての挫折だね、」
と言い、
母は、
横になりながら背を向けて号泣する私を見て
「いいんだよ」
と言った。
母も泣いていた。
当時の私は、
大学受験がすべてで、
落ちたら人生終わりで、
それが知られたら学校で大恥をかいて、
親と先生の期待を裏切り、迷惑をかける。
これだけが受験をやりきる材料だった。
はあ。
どうして、
今まで大きな失敗をしてこなかったのに
こんないっちばん大事なところで
いっっちばんしてはいけない最悪な
大挫折をしてしまうんだろう。
何も残らなかった私は、
絶望を感じた。
その頃には、ため息をつくのが習慣になっていた。
でも、
今になって思うこと。
あの時、絶望を感じたけど、
それから今までずっと絶望で笑うことが無かった?
そんなことない。
1か月後の卒業式では
楽しそうに友達と写真とったりして、
半年後には
好きな人ができて毎日ルンルンで、
新しい世界で新しい生活を送ったりしながら、
笑って生きてこられた。
確かに重要な局面だったけど、
失敗したからと言って
人生終わりじゃない。
笑えなくなるわけでもない。
全然ヨユーだった。
それに、
高校の人たちはみんな、
私の進路なんかに興味ない。
両親だって、
「良い大学受かってほしい」
「期待してるよ」
なんて一言も私に言ったことなかった。
周りの視線や期待、私のイメージを
勝手に自分への負担に作り上げ、
一人で勝手に悩んでいただけ。
全く全くバカらしい。
しょうもない。
でも、
それに気づけて良かった。
何も残らなかったけど、
自分のダメな部分に気付けて良かった。
今、高校3年生春の「私」に言いたいことは、
「お前、コツコツ勉強したことないし、それ苦手だから
おとなしく、推薦受けてみるべき」
これに尽きる。
ダメな部分に気付けたけど、それを直せるかはまた別問題。
あの頃にはもう戻りたくない。
しんどかった、、、、、
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