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本当に頭の良い人

その抵触を感じたとき,信念体系と事象内容のいずれを修正するのかの比較であれば,これは頭の良し悪しに本質的な事情ではないという私見がある。

例えば,

①つい先ほど脚を切られた私
②今、昨日寝た記憶のある自室のベッドで起床した私
③いま脚のある私

という私にまつわる事象①を(切られた脚は刹那に再生しない等の)諸信念から夢だと見做した人を,頭が悪いとただちには思わない。むしろ知性を巧く活用しているとさえ評価できる。

知識とは事象という堅固な足場のうえにリフォームを繰り返せば着実に成ってゆくような種のものではなく,それは泥沼で足掻くしかない知性の轍(わだち)なのだ。

信念化あるいは帰納の仕事とは,たんに楽をすることではない。それは諸事象(その様態の本質は沼)の整地という重大な仕事を担うのだ。

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