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(ネタバレあり)新しい映画の旅:EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション

私は2010年代には平均すると週に10本弱のアニメを見ていて、あるクールで放送された全作品の1話見たりみたいな事をしたりもしました。そのようにアニメ視聴にはまり込むきっかけになったのは、15年前に「交響詩篇エウレカセブン」を見たことでした。そしてその新たな劇場版シリーズの最終作が今日公開されたので、ある種自分に決着をつけるような気持ちで、見てきました。

免責事項:この記事はネタバレについての考慮を行いません

見てから読むのが良いかなと思います。よろしくおねがいします。

TL; DR

・唐突に見えるいろんな風味(ハリウッド風とか)は、最後まで見ると腑に落ちてきた
・ドイツ巡礼がエモい
・京田監督&作り手たちの次回作、あるいはエウレカセブンの今後に期待

序盤:「何を見せられているんだろう」という違和感

ハイエボ1でもそうであったように、本作も派手なアクションから始まります。私はスパロボが好き→ロボットアニメに触れる(→エウレカセブンに出会う)というルートでアニメ好きになったくらいで、人間もロボもですけど、アクションシーンは好き…なはずです。でも本作の序盤、私は全くテンションが上りませんでした。それはなぜか。

様々に考えられるのですが、大きいのは、自分がエウレカセブンに期待するものとは全く違うものが出てきた事による戸惑いであったように思います。

本作のエウレカ(24歳)、めっちゃ強いです。筋トレと酒が趣味の特殊部隊員、みたいな感じで、過去作のKLFとは明らかに雰囲気の異なる、いかにも兵器的ないでたちのロボット(パンフレットを見て気づいたのですが、デザインをガンダムとかの大河原さんにお願いしていて、雰囲気を変える意図は強くあったようです)に乗り、遠隔兵器を操り(ドローンと呼んでいましたが、これも明らかにサイコミュ兵器然としたもの)、戦場で敵を撃墜し、宇宙船に単身で突入し、銃撃戦の末にアイリスを誘拐から救い出します。

その様子はまるでハリウッドのアクション映画のそれであるかのようでした。でも私が、少なくとも今日見に来たのは、日本のアニメ映画なので、そのモードとずれている。なんだこれ?なぜこうなっている?その意図は?疑問が頭の中を回っていました。

エウレカとアネモネ(24歳)とのやりとりも、前作の雰囲気を引き継ぎつつ、しかし、やはり海外の映画で見るような若い強い女性のバディの雰囲気で。TVシリーズで言えばタルホとヒルダの関係に近かったですが、彼女たちの関係はことさらに強く描かれてはいなかったことを考えると、主軸に近いところにそれを持ってきたのは、やはり今までとは違う、という印象を強く感じました。

中盤:作品の精神的源流を巡る旅

中盤はエウレカとアイリスが墜落した地点から基地を目指しつつ、関係を築いていくロードムービーでした。私は旅が好きで、旅をする話も好きなので、ここはテンション上げて見られたところです。

2人は墜落したオーストリアからドイツのベルリンに向けて(狙われないようにフェイント的な寄り道をしながら)旅をします。この、旅をするのがドイツなのは、メタ的にはドイツがテクノの本場だからという理解で良いと思います。ハイエボ3部作でも何度も言及される「アクペリエンス現象」は、ドイツのテクノユニットであるhardfloorによる楽曲であるacperienceシリーズが元ネタです。

本作の公開に合わせて、TVシリーズ全話を再見して、当時はできなかった、各話サブタイトルの元ネタとなった楽曲を聞いてまわる事を行いました。(全部上のツイートのスレッドに連ねているので、良ければ見てみてください)

それは2005年までのクラブミュージックをたどる旅となったのですが、とりわけテクノが重要で、TVシリーズでは重要な回に「アクペリエンス・2」のようなタイトルがつけられていますし、劇中にも日本のテクノアーティストたちが提供した楽曲が各所で使われています。get it by your handstiger trackは有名でハイエボ3部作でも使われましたが、それ以外にも全部で10曲くらいは使われています。全部サントラに入ってるのですが、私はサントラを初めて聴いた時「こんな曲どこで流れた?」って思っていて、今回はそれを確認する旅にもなったのです。

劇中に出てくるロボなどの名前もシリーズ通してテクノやクラブ関連の用語(シンセサイザーなど)から引用があり、本作に至っては軍司令部のオペレーション画面にシンセサイザーのパネルがそのまんま貼り付けてある!という派手な引用ぶりです。そのように、作品の精神的源流にテクノがある。そのシリーズの締めくくりと言える本作で、テクノの本場と言えるドイツを巡る旅をさせる。エウレカとアイリスにその意図は全くなかったとしても、それを見る私にはそれが巡礼、あるいはお礼参りであるように思えたのです。

私はテクノについてそんなに詳しいわけじゃないので、旅路で立ち寄ったドイツのいろんな場所にも何かネタがあったのかもしれないのですが、それはわかりませんでした。詳しい人が見たらもっと何かわかるのかもしれませんね。

最初は対立するばかりだった2人が旅を通じて少しづつ心を通わせる。そしてアイリスを任務で保護していたつもりだったエウレカも情を覚えていく。そのタイミングでアイリスが連れ去られてしまう。この流れ自体は「よくあるパターン」の範疇に収まるもので、見慣れたものではあるのですが、ここの2人の演技が、顔芸(作画)も声の演技も感情が生き生きしていてぐっと来ていました。また、バス移動のシーンや、眠ったアイリスを背負ってエウレカが歩く森の中のシーンは、単館でかかるヨーロッパ映画のような風情を帯びていて、序盤のハリウッド風味から随分と風向きが変わったのが面白いなと思っていました。

終盤:そして、夢は生まれ続ける

本作のデューイ(山ちゃんが引き継いで演っているのだけど、これがまたバッチリはまっているんだ)は、自分が「エウレカの夢」の世界の住人である事に自覚的で、その夢の筋書き通りにしか生きられない事を嘆き、ではこの自分の感情は何なのか、と叫びます。

これは、劇中のそのとおりの意味であると同時に、観客である私には、「物語の登場人物として作られた者の叫び」の意味にも聞こえました。

それは、前作であるANEMONEがこういう話だったからです。本作のグリーンアースは、世界(ブルーアース)と融合した『エウレカセブン』なので、グリーンアースの人間はみんなエウレカセブンシリーズ過去作の世界の人間だという事になります。ゲーム版の主人公だったサムナ&ルリやAOの登場人物だったエンドウがデューイの仲間として登場するのもその一環と考えて差し支えないと思います。

(本人が自分で語る通り)狂ってしまったデューイの「みんなまとめて自死して、俺たちが人間だと証明してやる!」という作戦は、エウレカによって阻止されます。エウレカはレントンとの再会を果たしてどこかに消えていき、しかしアイリスが新たなEUREKAとして生きていく事を決意して、幕が引きます。

私はこの結末を見て、「今まで作られてきたエウレカセブンシリーズ各作品は夢だが、その夢が続いても良い」「夢を見る者(≒作り手)がいなくなっても、また新たな者が夢(≒新しい作品)を見る、それで良い」という事なのかな、と思いました。

そうだとするなら、本作は、「夢を見ていた者の最後の夢」という捉え方ができるように思えて、そうなると、ここまでの事が全部キレイに腑に落ちてくる感じがしてきました。

序盤のハリウッド風味、モビルスーツ風味、ファンネル風味、中盤のドイツ、ロードムービー、ヨーロッパ映画風味、終盤のアクシズ落とし風味、スーパー6機の合体変形のアクエリオン(?)風味。これらのものはすべて、作った人(名指しで京田監督でたぶん良いはず)が「俺はこういう物を見て、こういう物が好きで、だから作ったんだ、夢を見たんだ」というものを余すところなく載せてきたんじゃないか。最後だから、残弾を全部発射したって事なんじゃないか。そして、後を引き継げるようにして(この点はパンフレットでそう語っています)、さよならを告げたのではないか。

そう考えると、だいぶ腑に落ちてきたし、奇しくも今年長く展開したシリーズを畳んだエヴァンゲリオンとはまた一味異なる、シリーズの締めくくりとして、悪くない後味に思えました。

アイリスの見る夢は「誰かが作る新たな『エウレカセブン』」でも良いでしょうし、「『エウレカセブン』を作っていた人が、新たに作る別の何か」でも良いように思います。いずれにしても、その新たな夢に触れられる日は、きっとそう遠くない未来に来る。それを楽しみに待てるのはとても幸せな事だと思います。

2021/12/07追記:なぜエウレカは世界を救う行動を取ったかは、結局よくわからない

この感想記事を書き上げるにあたって、終盤でわからないことがあって手が止まってしまいました。それが「なぜエウレカは世界を救う行動を取ったか」です。終盤にエウレカを動かしたのは「アイリスを助け出したい」という気持ちだったはずなのに、気がついたら世界を救う役割を背負っていて、本人もその気になって行動している。

この疑問を解決するため(それ以外にも、サムナと認識できなかったサムナを見るためとか、細かいのが色々)に、今日、2回めを見ました。

結論から言うと「結局よくわからん」です。アイリスを救う行動から世界を救う行動には、その場では特に説明はなく移行しています。レントンと再会したときに、この世界の人と過ごしてこの世界が好きになった…という趣旨の事を言っているのですが、本作でエウレカが感情的なコミュニケーションを行ったのはアイリスとアネモネだけなので、「世界を好きになる」には数が全然足りていない、と感じました。

あと、終盤でデューイがエウレカに伝える花飾りの意味、「この意味がわかるな…」で締めてるんですけど、いや流石に(観客には急に言われても)わからんやろ!!ってなって(パンフレットの監督インタビューに書いてあるから今はわかるけど)、終盤の突き放し感は結構きつかったという事を再確認したのでした。

それから、キャラデザが変わってしまったせいで、前作まで&過去シリーズと同一人物かどうか判断しづらいキャラが多くいるの、これすごく勿体ないのではと思います。ホランドは特に声も変わってしまっているので別人感が半端ない。2回めでも誰だこいつって半分くらい思いながら見てました。サムナにしても、初回なら「デューイが部下の女性をルリと呼んだ」→「ルリがいるならサムナもいて然り」→「じゃあこの黒髪短髪の男がサムナなんだろう」までわからないと彼とわからない(名前が劇中に出てこないので)。声をはっきりだしてるのもエウレカとのシーンだけです(ダメ絶対音感が強ければそこでわかるか)。「なんだこのやたら目立つ一般兵?」でしたからね、初回の印象。
脚本の大さんもそうなんですけど、パンフレットで監督が語っている「エウレカというキャラは佐藤さんと吉田さんの物だと感じていたので、本作を作るために自分に引き寄せる必要があった」の、それで2人を今回スタッフから外してるんだったら、そんな自意識みたいなことで過去作の引用が引用として機能してないような作りに結果的にしてしまっているの、なんなんだその判断はという気持ちにはなります。

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