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ドキュメンタリー映画の旅:東京クルド

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東京近郊に暮らすクルド人の若者2人の、ままならない青春。遠い話と思って見始めて、彼らの「普通の若者っぷり」に目が覚めた。バックボーンは違うけど、違っても、佇まいに日本に生まれた若者と差はなくて。彼らのことがぐっと身近に引き寄せられる感覚。

友達にいてもおかしくない気がしたんだよ。音楽も聴くし、下ネタも言うし、そういうところまで含めて普通というか。

きっと彼らのような人たちの事は、今ならwebの記事で触れる機会は全然ある。だけど、彼らのあり方を感覚的に受け取って、身近に感じるようになる、というような事は、自分は映像が一番体験として強く感じる。そこが本作の力なんじゃないかと思う。

そんな彼らはしかし置かれている境遇が極めて厳しく。入管の職員に「働いてるでしょ?許可出してないからね」「いや、どうやって暮せば」「それはなんとかしてよ」とか「いつでも収容・強制送還あるからね」みたいな事を2ヶ月に1度とかのペースで言われ続ける、という時点でもうひどいわけなんだけど、「それでも、祖国で死ぬ思いに遭うより良いんで」っていう言葉が出てくる18歳。どうよ。自分も、現代日本で生きていくハードルが上がるような属性を持って生まれてしまった感覚は多少あるけれど、もう、比じゃないよね、という。

ままならない、というのが本当にままなってなくて、いろんな権利が制限されているから、入学しようとした学校に断られまくったり、せっかく稲川素子事務所に登録できるかと思ったら結局就労制限でだめになったり。ちょっと想像の及ばないようなレベルで、心を折られ続けていて。

現実がそうであるように、そうであるから、本作は最後まで彼らの状況は上向かない(一応、片方は裁判で在留特別許可を得ようと行動してはいる)。そういう意味でとても後味が悪い本作だけど、ドキュメンタリーは「続きは現実で」なんで。まずは知った、感じたという事から始まるのかなと。

ただ、そうねえ…、本作の「悪役」である入管の職員、クルド人の主人公たちに「他の国行ってよ」みたいな軽口を(いかにもその意味の重さを意識せずに)言えてしまう彼らに、単純に怒ってしまうのは簡単なんだけど、あんまりそうしたくないなって気持ちもかなりあるのよね。

入管の職員は公務員なわけだし、今あるルールに従って手続きをするのが仕事で、ルールに従えば認定されていない難民は不法滞在者で、ルールを決めたのは職員ではない。警察に「この国の法律おかしいやん!」って叫んでも意味がないわけじゃないですか。法を犯した事実は変わらない。叫ぶ相手が違う。

まあ日本人のだめなところが出てる感じはするんだけど、感覚としては速度オーバーで捕まった人に「もっと早く出発しなさいよ」って言うのに近い感覚というか。ガツンと言うのを避けるとそういう表現になりがちな日本人、みたいな、ところはあるように思う。

パンフレットの弁護士さんの話がわかりやすかったんだけど、日本は「国Aからの難民を受け入れると、国Aの政府(追い出した側の人達)との関係が悪くなる」のが嫌だから難民認定を極力避けている、という背景があるらしくて。

だとすると入管の職員の意識は「(難民を弾くことで)国を守っている」じゃないか、と推測はできる。たぶん難民1人1人に気持ちを寄せられるような資質を持った人には入管の職員は(きつい矛盾に精神が保たなくなるから)務まらなくて、「切断」できる人が残るんだろうな、とも思う。

この話は政治の方面からでないと解決には向かわなくて、でもそういう動きになるには、今たぶん関心を持っている人が少なすぎるんだろうなと思う。だからまず、他人事に思わなくなるのが出発点で、そのための映画として、本作はとても良いので、誰か見てくれると良いなと思って、この感想を書きました。




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