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(ネタバレあり)予告編ではわからない、折り重なる閉塞感――新しい映画の旅:茜色に焼かれる

今週のムービーウォッチメンの対象作品だったので、先んじて見てきました(5月にアトロクを聴き始めてから、先に見れたのは初)。

予告編から推測が難しい内容をネタバレの対象とみなすならば、本作はネタバレ要素が多い作品と感じています。なのでTwitterに書くのでなくこちらにまとめます。

TL; DR

・ものすごい閉塞感とストレスの話
・悪役の露悪感がきつい(男性に偏っている)
・いじめ描写でフラッシュバックに近い事が起きた

閉塞感の話

ムービーウォッチメンの対象になる前にも予告編を見てはいましたが、ピンと来ていませんでした。さっきもう一度見たんですが、やっぱりピンと来ません。

それはそのはずで、なぜなら予告編では、本作の柱になる閉塞感とストレスにまつわる描写はほんのさわりしか使われていないからです。それは思うに、主人公がアラフォーのピンサロ嬢だけどさすがに仕事の描写は使えないとか、閉塞感とストレスの描写はかなりきついので、鑑賞のモチベーションを削ぐ可能性が高いとか、そういう理由であるように思えます。

その閉塞感とストレスに対して、本作は決定的な打開を行いません。最終的にも「気持ちがちょっと前向いてる」くらいで終わり、です。

みんながしんどい思いをしているコロナ禍の中で、どのくらいの人が本作を良いと思えるのかわかりません。少なくとも、カタルシスや爽快感を求める向きにはオススメできません。私は後述の個人的な理由で、ある程度良いと思える部分はあっても、全体的に良いとまでは言いにくく感じています。

しんどさの疑似体験という意味では優れた映画ではあると思います。しかし、見て幸せになれるかというとこれは別の問題だと思うのです。

以降は、本作にどのような閉塞感とストレスの描写があったか、それについてどう感じたのかを書いていきます。

「飲食代:15000円」

正確に同じ金額ではない気がしますが。

本作では、「このシーンでは主人公がいくらのお金を出したか・もらったか」という字幕が出てきます。ざっくり10回くらいはあったように思います。

飲食代は主人公が飲み屋で数年ぶりに酔ってくだを巻いた(このシーンは本作のピークに近い箇所です)帰りに表示されました。ほかにも、家賃はいくらだ、バイトの時給はいくらだ(ちなみにピンサロの時給約4000円は風俗で働く中ではかなり安い方になるはず)、義理の父の老人ホームにいくらかかってる、そんなことがいちいち表示されるのです。

これは、実際にその立場になるとわかるんですが、暮らしをやっていく中で、出費を抑える事が必要になると、いつでも「いくらかかったか」を意識することから逃れられなくなります。たとえば月給50万円の人が外で1000円のランチを食べるのはなんてない事ですが、月給20万円の人にとってはかなり慎重な判断が要求されます。一事が万事そういう感じで、これは積み重なると結構なストレスになります。あの字幕には、この例で言う「月給20万円の人」の、お金の事が頭から離れないという世界観が見えました。

不良少年の薄ら笑いが呼び起こす記憶

本作の主人公は夫に交通事故で先立たれたシングルマザーで、13歳の息子がいます。彼は本作のもう1人の主人公とも言えます。

彼は学校で不良に目をつけられて事あるごとに絡まれるようになります。事故の再現映像を見て笑われたり、親が風俗嬢なのに(息子は聞かされていません)公営住宅に済むのは税金泥棒とか言われたり、持っているものに対しても危害を加えられます。

この不良少年たちが――今思い出すだけでも精神の平静を保つのが難しいのですが――とても不愉快な形で描写されています。ずっとにやにやしているし、反論の難しい、本人ではどうにもならないことで罵倒するし、最終的には暴力で解決できることをちらつかせて余裕を見せています。

これで私は昔の記憶をフラッシュバックしてしまいました。四六時中いじめられてたわけではありませんでしたが、どんくさく、ASDの傾向で人と違う振る舞いをすることが少なからずあった私は、スクールカーストの底辺に近いところにいて、時折目をつけられて被害にあう事がありました。本作の不良少年たちの目は「あのときの」「あいつらの」「あの目」と同じ薄ら笑いに見えました。今もう吐きそうです。

そして本作は、彼らに罰が下る描写がありません。それは、現実も大抵はそうなので、そういう意味でリアルなんですけど、作品としては、不快を不快のまま置いて去るということです。他の点で良い評価ができたとしても、これだけのストレスを与えられては、本作の事を「良い」というのは、感情の面で、私にはとても難しいことです。

「コロナ禍」の使い方、連鎖するストレス

本作は、創作コンテンツとしてはめずらしく、作品世界中でも新型コロナウイルスがまん延したことになっています。なので、今まさに私達が接しているものに近い描写が登場します。

最初は「本作、コロナなくても成立すんのでは…?」と思って見てて、それも間違いではなくて(実際、家の外でもマスクしてないシーンのほうが多かったはず)、取ってつけた感が拭えなくもあるのですが、その中でも、これは確かにと思えるところもありました。

主人公は昼のバイトとして花屋に勤めています。上司の男の人Aは最初は温厚なのですが、さらに上の上司Bから「おえらいさんCの娘さん(大学生)がコロナ禍でバイトがなくなったからねじこめ」という無理難題を押し付けられたところからおかしくなっていき、主人公に突然冷たくなり、今までつけなかった難癖をつけ、最終的にクビにします。

これって、Aが押し付けられたストレスが主人公にさらに押し付けられる、言ってみれば「弱いものがさらに弱いものを叩く」構図ですが、平時であればどこかで誰かが食い止められたかもしれない、でもみんな限界だから、抱えきれないストレスがこのように連鎖していくこと、あるよねという実感/ありそうよねという想像を喚起する内容であったように思います。

まあただ、Aはバイトに来たCの娘に「ベタベタとやさしく」接するので、もとから碌でもない感はあったようにも見えますけど。

みっともないおっぱい

本作には、主演の尾野さんのおっぱいが見えるシーンが0.5秒くらいだけあります。これが、ここぞというタイミングで、すごくえげつない形で使われているので、その話がしたいです。

本作の中盤、主人公は、学生時代にいい感じの仲だったクラスメイトDに再会して、デートして、セックスに及ぼうとします。

主人公は、疲れ果てる生活の中、一時的に恋する乙女に戻ります。作中で自分で驚いているように、アラフォーともなって本気で恋愛感情を抱く(ことができる状況に巡り会える)というのは中々難しいことで、その僥倖にすがる気持ちが湧くのは自然に感じられます。

主人公はこの時点で風俗嬢をやめていますが、自分がその仕事で汚れた身であることを気にして、Dにそれを告げるかどうかで悩みます。

セックスに及んだ際に、「自分は風俗嬢をやってて汚れてしまったけど、今のこの気持ちは本物である」ことをDに告げます。ここがこの一連の流れのピークで、このときの主人公の語り口は少女のそれ。主人公はすでに裸ですが、恥じらうように毛布を胸元に持ってきています。

これに対するDの返しは「どうでも良いよ、だってこれ遊びでしょ?アラフォーにもなって本気とかちょっとやめてよ」でした。Dには主人公の本気を受け止める甲斐性が全くなかったのです。Dは現実を見ろよとばかりに毛布を剥ぎ取り、そこにあらわれる(これは尾野さんにとても失礼な気がするけど、描写の意図としてはそうだと思うので言っちゃうと)アラフォーのみっともないおっぱい。あまりにも現実、ディスイリュージョンの比喩としてえげつない。

風俗嬢としてサービスをしているシーンでも上半身裸っぽいところはありますが、そこでは背中くらいしか見せていなくて、さすがにおっぱいは見せないんだなと思っていましたが、それが「現実の比喩として使うために出す場所を厳選した」という事だったわけです。すごい取捨選択をしているなと思います。

クズが男ばっかり

AやD、不良少年たちを代表として、本作には総勢10名ほどのクズ(保身が第一の教師、弱ってるところにやさしくしてセックスを狙うおじさんなど)が登場します。そして全員男性です。登場人物の中でまともな男性は、息子と、ピンサロの店長が半分くらいまともかな?くらいです。

本作はシングルマザーが現代において取り巻かれている閉塞感とストレスの話なので、障害となる相手に男性が多くなるのはまあしゃーないかなって気もします(実態もそうだろうし)。また、私も自分の性欲なんかを省みても胸張って「俺はこいつらとは違う」みたいな線引きができたりはしません。

しかし、クズの露悪的な描写がきついのと相まって、「誰かを上げるために他の誰かを下げる」という良くない構図が際立って見えました。

Aについて少しだけ描写されたように、クズに見える1人1人にもそれぞれ色んな事があるだろうし、色んな事があるけどクズになる手前で踏みとどまっている人もいるはずなんですよね。それは性別を問わず。

せっかく「連鎖するストレス」みたいな描写ができているのに、悪を悪としてだけしか描けてない、そしてそれを特定の属性に押し込んでいるのは片手落ちに見えました。

つたない反逆者

というように、素直に良いと言い難い本作ですが、主演の尾野さんの演技は全編通して良かったと思います。

なんというか、主人公は最初はよくわからない人に見えるんです。自分の夫を轢き殺した老人がのちに病気で死んだらその葬式になぜか行っちゃうし、何かを訊かれても「まあがんばりましょう」としか言わないし。

でも色んな事があって追い込まれていって、あるときにピンサロの同僚に誘われて居酒屋に行き数年ぶりに酒を飲みます。そこでやっと、彼女から、少しづつ、抱えている激情の吐露が始まります。

ここの、「怒りを抱えながら、しかしそれをうまく表出ができない、できないんだけど、なんとか吐き出していく」演技が、本作で一番真に迫るように感じた箇所でした。本作冒頭のテロップで、「田中良子(主人公)は演技が上手い」みたいな文字が表示されたんですが、その(強い女性の?)演技が、板につきすぎたのか、素を出せなくなってしまっている、あるいは元々素を出すのは下手(演技の上手さと表裏一体)、という感じで、主人公の存在の悲哀が詰まっているように感じられたのです。

そうして後半は、引き続き閉塞感とストレスはありつつ、しかし主人公の日々はそうしたものへの「反逆(Fateシリーズのスパルタクスが語るような文脈での)」であることを背景に話が進みます。しかし具体的な反逆行為は1つ行っただけで、「反逆は続く」という形で本作は終わります。「ありそう感」「自分との地続き感」と物語の盛り上がりのバランスを取った結果だと思いますし、そういう意味で終わり方として悪くはないとは思います。

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