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ネコの魔力と隈研吾展

猫。

実物を見たのではない。私は会社の広報をしており、メンバーの自己紹介をちょうど管理しているのだが、そこで、おびただしい…とまでは行かないが「猫」を特記事項(趣味・嗜好欄)に書いている人の多さに驚いたのだ。

猫。

ネコと聞いて、どんなイメージを持つだろうか。可愛い、自由奔放、気まぐれ、小悪魔、規則性のなさ、孤高…いろいろなことを思う人がいるだろう(因みに私の記憶違いでなければ、幼少期にネコに怒られたことがあるので苦手だった。今では克服したもののネコアレルギーなので別の苦しみがある)。

猫。

ネコといえばスピッツ。スピッツの「猫になりたい」はあまりに秀逸な曲なので、全ネコ好きに聞いてほしい。

というわけで、話が若干脱線したが、今回は「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」に行ってきたので、レポしていこうと思う。

(実は東京展は昨今のあれこれの影響で約1年延期になっており、今年待望の開幕。高知、長崎と巡回して東京展が最終会場の展示となっている)

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結論:とても良かった!特にこういう人には絶対見に来てほしい↓

内容についてはネタバレにならない程度にこの後書いていくが、絶対(絶対とかいう言葉をなるべく使いたくないのだが)刺さる人にはぶっ刺さる展示なので、以下に該当する人は必ず観に行ってほしい。

・隈研吾ファン
・空間デザインが好きな人
・最近街で見るおしゃれな建築に興味がある人
・都市計画・公共空間の作り方に興味がある人(図書館とか、市役所とか)
・そしてなによりネコが好きな人!!!

※なお、表記が揺れているように感じる人がいるかもしれないが、実体としての「猫」と概念としての「ネコ」という定義で書き分けている

どんな展示なのか

展示会場は有料の第1会場と無料の第2会場で構成されており、第1会場では、世界各地に点在する隈作品のなかから公共性の高い68件の建築を建築模型・写真・解説などを通じて紹介している。一方第2会場では、動画作品を中心とした展示となっており、「ネコ」の視点から都市での生活を見直すリサーチプロジェクト《東京計画2020(ニャンニャン)ネコちゃん建築の5656(ゴロゴロ)原則》(Takramとの協働)が公開されている。

第1会場の展示はよくある?時系列形式ではなく、「人が集まる場所」のための方法論5原則を

・孔
・粒子
・斜め
・やわらかい
・時間

に分類してあり、それぞれが建築模型・写真・解説などの形式で表現されていた。

(ちなみに面白かったのは、「建築模型のみ撮影OK」というレギュレーション。「むむ…?これは…?」という感じのギリギリなプレイをするお客さんが多く(かつ、模型には触れたり近づいてはならないということもあり)スタッフの方がとても大変そうだった)

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「人が集まる場所」のための方法論5原則とは

ここからは、上記5テーマのそれぞれについて少し感想も含め補足していく(写真やメモが断片的であるため、かなり不完全ではあるが、詳細は実際に足を運んで体感してほしい)。

・孔:
「虚の透明性」という、格子状に柱を組み立てることでその間に空間を作り出す、というやり方が、透明性を持ちながらも「ここである」感を出していたのがすごかった。

・粒子:
建築と言う大きな塊を、粒子が集まった雲(クラウドのようなもの)としてデザインしている、というのが感覚的に理解できてよかった。

・やわらかい:
日本と西洋では、建物の作り方が異なるそうだ。固い壁をつくってから開口部に木でできた枠を取り付ける西洋に対し、木の枠を付けてから塗り壁を施工する日本。また、そのやわらかさの序列がそのまま身体と空間の関係性にも響いていると提唱している。硬い〜柔らかいを外側→内側に表現することで、守られている感じを出しているのがすごいなと思った!木で作ることで柔らかさを出すのも「日本らしい」やり方なのだと知れた。

・斜め:
西洋的な考え方では、止揚(アウフヘーベン)されたもの、として「斜め」という概念が出てきたが、日本的には異なる解釈をすると隈は主張する。そして、そのインスピレーションのきっかけは水平な平面と垂直な壁にとらわれず、屋根からドブまで自由に移動するネコだったそうだ(ネコの登場機会がやや強引なのではないかと言わざるを得ない感もあるが)。

・時間:
エイジングと言われるものは、ただアンティーク調にしているのではない。「物を弱くすることで、公共空間が楽しくなり、公共空間が人間のものになる」と考えている、という根底思想を知ることで、見える景色が変わる。

また、第2会場についても、軽く言及したい。

・動画作品はインタビューが中心なのだが、「隈研吾建築を発注した人」「実際に建物を使う人」などに着眼していて、これを観ることで一気に現実に引き戻された感覚があり面白かった。裏側の意図だけではなく、「使用者がいて初めて、建築は建築足り得る」ということだなと実感(どうでもいい話だが、隈研吾自身の語りのシーンもあり、こういう人なのか…!という驚きがあった。イメージって怖い)。

・ネコの視点から都市での生活を見直すリサーチプロジェクト《東京計画2020(ニャンニャン)ネコちゃん建築の5656(ゴロゴロ)原則》は、人間以外の視点から街を見る、というテーマ。神楽坂のカフェにいる半ノラのネコ、トンちゃんとスンちゃんにGPS機器をつけて、行動をリサーチしたものだ。動画作品にしたのはかの有名なTakramさん。ネコちゃんワールドに思いを馳せられるのは最高だったのだが、ネコの世界にもルールや法則性があることが分かる。例えば、他のネコと鉢合わないような工夫など。ネコも大変だなと思った

ネコの魔力と鑑賞法

「ネコ」という甘美な響きは、おそらく多くの観客をこの展示に足を運ばせる理由になったのではないかと思うが、当然、特に第1会場においては話の本筋は「公共デザイン」。解説文にもネコは度々登場するのだが、上記にも述べたように若干の取ってつけ感があり、本当にネコなのか!?と思うこともなくもなかった。

もし(公共デザインや建築にはあまり興味のない)ネコ好きがいたのであれば、「岩合光昭の世界ネコ歩き」を観たほうが良いのではないかと思う。

しかし、それと比べると第2会場は一気にネコめいている(?)。特に《東京計画2020(ニャンニャン)ネコちゃん建築の5656(ゴロゴロ)原則》は、ネコ好きには永遠に観ていられるくらいのサイコーさがある。これだけであれば無料展示の範疇で観られるので、ネコだけが観たいんじゃ!!!という人は第2展示(無料)のみを鑑賞されたし。

また、ネコを味わう上で見逃せないポイントについてもお伝えしておこうと思う。これは普通に見ていると見落とすポイントなのだが、解説の文末や模型の随所にネコちゃんがいるのだ。ほんとーーーに小さくネコがいるのは、発見したときに感動すら覚える(内容がよくわからなくても、ネコを探す、ということをしているだけでも場は楽しめる)。凝視されたし。

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(見えるかな…ネコがいるの!ほら!上の方に!是非探してみてほしい!)

その他、展示を通じて考えたこと・感じたこと

・いま色々と物議を醸している国立競技場のスタディ模型はいろいろと感慨深いというか、シニカルな気持ちにならざるを得ず、人が集まる空間は、人が集まることによって完成するのだよなぁ…という、哀しいと言うか、不思議な気持ちになった

・全体的に「壁」ではなくあえて「柱」や「木の組み合わせ」によって空間を作っている理由の片鱗が朧げに理解できた

・久しぶりにUX界隈だったときに触れていた(が難解でよく分からなかった)「アフォーダンス」の話を思い出せた。ものの設計によって人間の行動が決まるという観点では、建築はその際たるである

・新奇性と公共性という言葉は、一見近接する領域にないようにも見えるが、隈研吾の建築の多くが公共物の設計に使われているように、「建築は(勿論特定の誰か、という文脈もあるのだろうが、より)万人のためのデザイン」という観点を含んでいるのだなと思った

・途中展示されている街のなかの建築物の動画(スコットランドのV&Aダンディーのタイムラプス動画)は(一瞬酔いそうになったが)没入感が強く、これだけでも来てよかったと私は感じた

・また、ヤンゲール(デンマークの建築家であり、コペンハーゲンに拠点を置く都市デザインコンサルタント)、ジェイン・ジェイコブズ(アメリカ合衆国の女性ノンフィクション作家・ジャーナリスト、郊外都市開発などを論じ、また都心の荒廃を告発した運動家)など、今まであまり知らなかった人やもののことを知れたのは大収穫だった

・熱海のアカオハーブ&ローズガーデンにあるコエダハウスに圧倒的に行きたくなった。というか、日本全国の様々な建築のケースを見てしまったので、突発的かつ圧倒的に旅行に行きたくなった(のだが、いま遠方への外出は憚られるので、勢いで近隣のホテルを予約した)

コミュニティへの応用について

今回一緒に巡っていたメンバーと、こういう空間設計はコミュニティも一緒だよねという話になった。ルール・規範をきっちり決めるいわば「壁型の組織」ではなく、コミュニケーションパスや情報の流れる川のようなものが輪郭を創る「柱型の組織」を作れるほうが、理想的だなと思った。

知の輪郭をつくるもの

今日見た展示は、偶然にも直前まで朝カフェでペアドクしていたレヴィ=ストロースの構造主義(ひいてはソシュールの言語論)とも繋がっており、物事はやはり何らかの柔らかいつながりを持っているのだと強く感じた。

美術館を訪れる、という文脈(誰と、どのように)

今回は、インアウトラボというコミュニティのメンバー4名で行ったのだが、実は、美術館に友達と一緒に行く、というのはなかなかレアなケースだ。そこで自分が美術館に行く文脈を思い出してみたが、

・美術鑑賞自体は祖母とすることが最も多かった
(いろいろあって祖母はその界隈ではそこそこ知られた人物だったらしい。がゆえ、無料券や年パスを持て余しており、私はそのおこぼれに与ることが圧倒的に多かった。私がおばあちゃんっ子であったことも一因している。しかし、祖母が亡くなってからはその機会もなくなった)

・次点は祖母からもらった無料券の行き先としての彼氏、およびそれに準ずる人物と
(が、お付き合いしている人ならともかく、イマイチ距離感やコンテクストが掴めていない人との美術館鑑賞ほど不毛というか気をもむことはなかったので、これは次第に避けるようになった)

・一人では絶対に行かない
(感想戦がしたくて行くので、一人で行くのは選択肢としてなし。映画なども同様である)

といったところだ。

しかし、今回、珍しく友人と美術館を訪れた結果として、自分だけでは解釈できなかったこともたくさん分かり、かつ、興奮や気付きを共有できる感じが非常に有意義だった。この経験を通じ、これまでの「慣習」としての祖母との美術鑑賞を卒業し、自分にとってより幸せな鑑賞の形を見つけたい。

私にとってのネコとは何だったのか

最後にネコの話をしよう。私は先にも述べた通り、重度の猫アレルギーであり、猫カフェに行って全身に蕁麻疹をこさえて命からがら逃げ出したこともあるのだ(というのは少し大げさで、マスクとメガネをしていればある程度はなんとかなる、と信じている)。

なので、どうしても概念(「ネコ」)の話が中心になるのだが、これまで私は「ネコ的でありたい」と願い、「ネコ的な人」を好きになった。冒頭でも述べた

・可愛い
・自由奔放
・気まぐれ
・小悪魔
・規則性のなさ、非連続的
・孤高

といったものは、私がずっと憧れ、願った姿だったのだ。しかしそれは叶うことがなかった(し、最もネコめいていたかつてのパートナーは、尊敬こそしていたものの本当に「ネコ的」だったので、やはり生涯にわたって続くことはなかった)。

私にとってのネコは、羨望の対象であり、ネコ的な人もまた、そのような存在なのだ。自分と合一にはなれない、理解できないからこそ、リスペクトを持ち続けている。そういう距離感で見ている対象こそが「ネコ」なのだ。

しかしながら、同居人に「私はイヌ的かネコ的か」と聞いてみたところ「どちらかというと(私は)気まぐれで家にあまりいない、ネコ的な生き物なのではないか」と言われ、友人からも「メモの仕方からハコの無い、自由な思考の動線が垣間見え、ネコ的である」と言われたので、自己認知とはかくも危ういものである

東京国立近代美術館での展示は2021年9月26日まで

まだまだ2ヶ月ちょっとはやっているので、ご興味ある人は是非お見逃しのなきよう、是非行ってみてほしい(そして、感想を聞かせてもらえればそれより嬉しいことはない…!)。

※このご時世であることからも当然予約が推奨されているが、どうしても今日、という場合には、当日券でも問題なく入場できたことを申し添えておきたい。

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「隈研吾展新しい公共性をつくるためのネコの5原則」
会期:2021年6月18日~9月26日
会場:東京国立近代美術館
住所:東京都千代田区北の丸公園3-1
電話番号:050-5541-8600 
開館時間:10:00~17:00(金土〜21:00)
※入館は閉館30分前まで。6月18日・19日は10:00~20:00(最終入場19:30まで)。最新情報は美術館ウェブサイトにて要確認
休館日:月(7月26日、8月2日、9日、30日、9月20日は開館)、8月10日、9月21日 
料金:⼀般 1300円 / 大学生 800円 / 高校生以下・18歳未満無料

以上、久しぶりのnoteでした。次回はフルーツサンドについて書きます。


UXコンサル、BtoBマーケ、人事を経てコミュニケーションマネージャー(広報、マーケ、採用広報、組織開発)なう。 書くこと:パン偏愛、可愛いもの布教、働くこと、生きること、1日1考、新サービス考察、旅行、読書録、銭湯、恋愛。 頂いたサポートは、もれなくパンの研究に使われます。