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暮らしにも棚卸しを。2月、わたしの日常から削除したもの

遠いむかし、雑貨屋に勤務していた時代がありました。時にホコリまみれになったり、手を切ったり、クレーム対応をしたりもあったけれど、大好きな雑貨と触れあう時間はしあわせでした。ある作業を除いては。

年に1回ある、永遠にこないでほしい日。それが棚卸しでした。

やらないわけにはいかない重要な任務。そうとわかっていても、気が重かったのを忘れません。終わると、めちゃくちゃいい達成感があるんですけどね。それに、いろいろ”データ”がみえてくるので、つぎの仕入れなどにも役立ちますし。

ふと、「暮らし」にも棚卸しって必要だよな、なんて思っていた2月。

時間が足りないとボヤいているわりには、ムダな動きをしている自分に気づいて。いったいなにに時間をつかっているんだろうと、ある日、注意深く俯瞰してみていたんです。

そしたらありました。けっこうな時間のムダづかいが。

まずはメールのチェック。

自分のPCで、自宅で、マイペースで仕事ができる環境にあると、届いたそばからみてしまうメールボックス。

ここを開きたくなる衝動をおさえるために、あらゆるメルマガの解除を敢行しました。

もうそれだけでかなり気持ちがスッキリ。

メルマガ読む→リンク先へ飛ぶ→サイト内を回遊する→ショッピングする

こういった、「ついつい」がなくなりました。

つぎに気づいた時間のムダづかいが、SNSです。

もともと、ダラダラ1日中みているようなハマりかたはしていませんでしたが、「みる」というタイミング内においてはかなりの時間を費やしているなと。

限られた時間のなかで、質をあげて「みる」にはどうしたらいいかと考えた結果、厳選するという方法に行き着きました。

ひとつひとつくまなくチェックしていたのが、ちょっとしんどくなってきたのもあって。こころのバランスを整える、いい機会にもなった気がします。

余計な期待をする。これが、2月にわたしの日常から削除したもののラストです。

なにかを期待するのはいい面ももちろんあるけれど、一歩間違えると”自己満”になりかねません。期待された側だって、ありがたくない場合もあるでしょうしね。これでけっこうムダな時間を過ごしていたなと、そんなふうに考える節目がちょいちょいありまして。

淡い期待をする時間も、期待が空振りしたと感じる時間も、もう必要ないんです。

時間は有限。人生は一度きり。

自分のための時間に生きていきます。

「ボクはいつも自分の時間を過ごしているよ」