正しいか正しくないかではなく、感覚があうかどうか
長年通っていた、とあるお店に行くのをやめました。
信頼していたひとから、数ヶ月にも渡って欺かれていたと判明したのが最大の理由です。それまでも出向くのがだんだんおっくうになる要因が環境の変化によってあったけれど、それでも培ってきた関係を大事にしたいという想いがあったから足を運んでいたのに。
ほかのひとからしたら、まったくもって取るに足らないことなのかもしれません。でもわたしはダメでした。「がっかり」した感覚は、もう拭えなかったのです。
むかしから「感覚」を大事にして生きています。
それが正しいか正しくないかは問題ではなく、自分がどう感じるか。そこを無視していると、いずれひずみが生じるのは何度も経験しているだけに。
こんなこともありました。
初対面で意気投合した(つもりの)そのひとは、連絡先の交換としてInstagramを指定。てっきりわたしの投稿に興味を持ったから今後もチェックしたい、つながりを保っていきたい、そう願っての”交換”だと思いきやとんでもない勘違いだったと気づいたのはそれからほどなくしてでした。
わたしは投稿をみていいなと思えば「こんにちは。みてますよ」という気持ちをこめて「♡」をするけれど、そのひとからの「みてますよ」は一度もないまま数ヶ月が経過。こちらもだんだん”あいさつ”をしなくなり、やがて忘れかけていたころに届いた突然のDMに目を疑いました。
そこには、今までなんのリアクションもコミュニケーションもとっていなかった件に触れもせず、お願いごとだけが書かれていて。しかもかなり無礼と感じる内容の要求を。
日頃からコミュニケーションがとれている間柄なら喜んで引き受けていた依頼でしたが、残念ながら「感覚」があいません。関係性を構築しないままのお願いごとは、ただの無礼でしかなく。
ペットサロンでは、ひとの感じかたはいろいろだなと思わされました。
愛犬Joeyが「シャンプーコース」を受けているサロンでのこと。終わっているはずの時間に迎えにいったその日はどうやら施術に追われていたようで、まだJoeyのカラダにドライヤーをあてている最中でした。
そこへもうひとりのスタッフがやってきて、爪をパチンパチン。案外大胆に切るものなんだなと思っていたら、そのときに深爪していて出血。オーナーさんは謝りながらすぐに手当をしてくれて、おやつまでくれて、その日は悪い印象もなく終わっていました。
それからわずか数ヶ月後。シャンプーから帰ってきたJoeyの足ふき中に気づいた爪の出血。「あぁ、また深爪か」と、よくよくほかの爪をチェックしてみたら唖然としました。素人のわたしでもこんな切りかたはしないと断言できるほどの雑な状態で。いい加減にカットされているから、部分的にものすごく尖ったまま刺さりそうなままになっていたんです。
現状を説明し「一度みてください」とサロンに向かうと、この日は以前と対応がまるで違っていました。
「あそこで暴れていたときに折れちゃったのかもしれませんね」と、わたしが迎えにいくまでのあいだJoeyが待機しているスポットを指さすのです。シャンプーした日は「ずっとおりこうさんにしてましたよ」といっていたはずなのに。そして実際、Joeyはそんな暴れかたはしないし。
はたまた「爪を切るときに暴れちゃうと、うまく切れないときあるんです」とも。
爪の切りかたが変だからみてほしいと再訪しているにもかかわらず、自分からはそれをみようともせずにJoeyが悪いとの言い分。
「どうします?爪整えますか?」としぶしぶ道具を持ってきたとき、わたしは怒りをぶつける気はさらさらなくなっていました。
このひとにとっては、この爪の切りかたがなんらおかしいものではないという、そういう「感覚」なのだと思ったから。この「感覚」の違いをここで議論しても時間のムダだと感じたから。
黙って同じサロンに通いつづけるか、ほかへ行くか。残された任務は、どちらを選択するかのみだなと。
「感覚」があう/あわない
わたしが生きていくうえで非常に重要な指標です。