見出し画像

周りの顔色を伺って相手に合わせすぎてしまう理由


そんなに敏感でない人には理解しがたいと思うけれど、私が人と一緒にいて1番大事にしていることは、「相手が不快だ・嫌だと感じていないか」ということ。

なぜなら、一緒にいる人が不快だ・嫌だと感じることがあると、自分もその気持ちを察してしまってすごく心がざわつくし、いてもたってもいられなくなるから。心穏やかな気持ちでいられなくなるから。自分も一緒にネガティブな気持ちになってしまうから。心がザワザワして落ち着かなくて、緊張感・不安感が高まって、大袈裟に言えば危険が近づいているような感覚になってしまうから。

だから、誰かと一緒にいるときは、常に相手の欲していることを察して顔色を伺って、自分の意見を聞かれたとしても「相手が欲しがっている答えはなんだろう」と勝手に推測して、本当に自分が思ってもいない(けれど相手にとっては良さそうな)回答をしてしまう、ということが当たり前になっている。

そんなことをしているから、どうしても人といると相手に決断を委ねてしまったり自分から「こうしたい」と自己主張することができなくなっている。
自己主張したがる人にとっては「合わせてもらえて嬉しい!」となるのかもしれないけれど、あまりに相手にばかり決断をさせてしまうことで相手を困らせてしまうこともある。しかし、私にとって1番大切なことは”相手が不快な思いをすることで自分も影響されて心がざわつくことを避けること“ であり、“相手が不快に感じない選択であればなんでもいい” という気持ちしかないため、いくら「あなたはどうしたい?」と聞かれたとしても、「本当のところ、相手は私にどうしてほしいと思っているのだろう」と考えざるを得ない。
相手の意見なくして自分の意見を決めることはできない。


それくらい、私にとって一緒にいる人がネガティブな状態になることで心がざわついたり、ピリピリしたり、緊張感・不安感が高まる状態はすごくすごく苦手で、1番に避けたいと思っている。

それを避けられるのであれば、自分の意見や欲求なんてどうでもいい、と思ってしまうところがある。


だから、人と一緒にいると「なんでこの人はいつも『なんでもいい』とか『合わせるよ』とか言ってくるんだろう」と思われているかもしれない。だけど、その理由は話したところでなかなか理解してもらえない気がしている。

だけど、「なんでもいい」と言って自分の意見を言わないことでこの人は不機嫌になりそうだな、とか感じた時は、もちろん自分の意見を言うようにはしている。相手が不機嫌になることが私にとって1番避けたいことだから。
でも、それも本当に自分の欲求に忠実なものではなく、「相手の欲求を想像して察した上で出した、相手を不快にさせないための最適な結論」というものを、あたかも「これが自分の意見です」と思わせるかのように伝えている。


こんなことを考えてしまうから、
人と一緒にいると相手に合わせすぎてしまって疲れる→ やっぱり1人でいたい

ということになってしまう。


別に不快な思いをさせたり迷惑かけ合うのはお互い様だし、自分だってどんなに親しい人に対してもイラついたり不快な気持ちになることはある。
そのことは頭ではわかっているけれど、いざ一緒にいる人が不機嫌でピリついていると危険を感じてその場から逃げたくなってしまうから、仕方ない。
生理的な反応に近いんじゃないかなと思う。


でも、こんな敏感さを少しずつ和らげていくためには、やっぱり幼い頃の自分が感じた恐れや恐怖と向き合って、少しずつ自分を癒していくしかないのかなとも思う。


なんていうか、少しでも同じように感じている人がいたらいいなという気持ちで書いてみました。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?