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博物館お散歩 〜大阪歴史博物館〜

大阪に行く用事があったので、帰り際に寄ってみました。

私は日本史は殆どやってませんが、歴史や文化に興味が出てきたので取り敢えず行ってみた!というのが背景です(笑)

博物館は学芸員の方が工夫して下さるおかげで門外漢にもとても優しい教材だと思います。
一方でなんとなく見て勉強した気にはなるのですがイマイチ理解してない‥というのが私個人として思うところでした。
そこで今回は、スマホのメモに展示内容を自分なりに要約して理解しつつ楽しんでみました。
自分用の記録としての意味合いが強いですが、以下展示内容のメモになります。

古代の大阪

難波は朝鮮や中国との外交の舞台になった。
大阪府のあたりは5世紀(古墳時代)はほぼ水の下だった。(河内湾→河内湖→陸と遷移)
この頃の遺跡が「法円坂遺跡」

これ。博物館前に再現模型がある

天皇を中心とした体制の構築
難波宮(なにわのみや)
所在地がわからず永らく「幻の都」だった。建て直しがあったため、前期、後期と細分化されている。
・前期難波宮(飛鳥時代)7世紀前半〜後半
日本最古の本格的な大陸式宮殿。左右対称の建物配置。前期は焼失。大蔵省(おおくらのつかさ)から出火。

宮内の柱跡。火災によって外周の土が赤く変色しているとされる。

・後期難波宮 8世紀前半〜後半(奈良時代)
726年造成開始。大極殿の成立
前の方の赤い柱の作りの建物が仕事場で、後ろの方の日本式建築部分が天皇の居住スペースだったそうです。

後期難波宮の模型

744年に恭仁・難波のいずれを都とするか
→一時的に難波を皇都とする。

784年に都は平城京から長岡京に遷された。難波宮は解体されて長岡へ運ばれて役目を終えた。
長岡京では後期難波宮の瓦が出土しており、後期難波宮の瓦が輸送されて使われたことがわかる。

中世 近代

中世では信仰の対象を中心としてまちや村が発展した。

中世の人々の暮らし

・四天王寺
古代依頼の寺院であり、平安以降は浄土信仰が盛んとなり、人々の信仰を集めた。江戸時代は法会が営まれ、庶民の現世利益を叶える場でもあった。
・大坂本願寺の時代
大坂本願寺(1533-1580)浄土真宗の本山寺院
寺院を核に寺内町が生まれた。

庶民の住宅の模型

※16世紀おわりには織田信長が大阪に攻めてきた。(石山合戦)

天下の台所の時代

大坂は商都であり、工都であった。
年貢米や鮮魚・青果など、様々なモノが行き来する市場機能を担っていた。≒天下の台所
以下機能(外部リンクあります)
安治川口 物資が仕分けられた
雑喉場魚市(ざこばうおいち) 生魚の卸売市場
堂島米市 米市場。先物取引も。全国の物価を左右。
・蔵屋敷 諸藩が年貢米や特産物を販売するために設けた施設。参勤交代の途中に藩主が滞在したりし、経済的機能だけでなく政治的、文化的機能も持っていた。
天満青物市 やさいの卸売市場。
八軒家着船場 京都ー大坂を結ぶ淀川交通の起点
新清水寺 1640に本尊千手観音を移したと伝える。

※戊辰戦争で旧幕府軍は大阪から撤退したことで、歴史的な転換点を迎えた。

近代

近代の展示は庶民の暮らしが実物大の模型で紹介されており、見て感じる。にとどまりました。

大大阪の象徴

大大阪の象徴として、「御堂筋」が取り上げられていたことが印象的でした。

当時の書斎とお魚屋さんですね!

まちの地蔵

大阪の街には路傍にお地蔵様が多くいらっしゃるようです。

都市の民間信仰

最後の方の展示でしたがとても印象的でした。
一例ですが榎(えのき)の神木に鎌を打ち込んで悪縁や病気との縁切りを願っていたようです。

すごい絵面です・・ちょっと怖い

まとめ

今回メモしながら博物館を歩いてみて、歴史を見ていく上で以下の点に気をつけると学びが深まるかなと勝手に思いました。

・「誰がいつ何をしてどうなったか」という事実を押さえる
・次の角度で時代毎に生活を見て比較する
(食器、くらし、建築様式、橋、信仰、芸能、学問、芸術など)
・展示から置いていかれないよう、パネル展示→実物の展示の順で見ていく

また博物館行くときには、メモ取ってみたいと思います。
*このまわり方は2人以上でいるときはやらない方がいいですね。

おまけ

博物館のエスカレータから見える大阪城


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