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第二章 ハプニングに翻弄され続けたサンフランシスコ滞在記

この本は、僕が2005年11月3日より9日間(+α)かけて体験したアメリカ西海岸縦断の一人旅の記録の第二章です。

この旅は、9日間という短い期間ではありましたが、縦断ルートとしてはサンフランシスコ→ロサンゼルス→ティファナ(メキシコ)→サンディエゴ→シアトル→ バンクーバー(カナダ)と、アメリカ西海岸の主要都市をほぼ制覇するというものでした。

この章は、最初に降り立った地サンフランシスコでの滞在記です。

第4話 アメリカの公衆電話事情

僕を乗せた航空機がサンフランシスコ国際空港へ向けて高度を下げて迂回を始めている途中、ふと窓から外を覗くと、鮮やかな青色の背景に何か白く長いものが垂直に伸びていた。

周りが海だという事は何となく分

かり、海の上に重なるものといえば、「橋」なのかなというところまで連想出来た。

「こ、これが、かの有名なゴールデンゲートブリッジか!」と興奮を抑え切れなかった訳だが、後でそれがサンフランシスコのもう一つの有名な橋ベイブリッジだったという事に気づくのであった。

ゴールデンゲートブリッジはインター ナショナルオレンジという鮮やかな朱色なのだ。

航空機は墜落する事もなく、無事、サンフランシスコ国際空港に到着。

この時、現地時間で11月3日の朝の8時30分頃。自宅を出発した時刻にほぼ舞い戻った形だ。何て恐るべき事なのだろう!!

噂で、入国審査は1時間くらい列に並ぶような噂を聞いていたのだが、ほとんど並ばずに済んでしまった。噂を信じちゃいけないよ、ほんと!

初の入国審査では、滞在予定の場所やその目的など基本的な事を聞かれただけで難なく乗り切れそうだったが、最後に聞かれた質問が良く分からなくて分かったふりし「イエス」とだけ答えたのだが、それだけでは当然許してもらえなかった。

どうやら、パスポートの写真と見比べる為に「メガネを外せ」と言っていたらしく、言う事を聞かない僕に対して審査員もどこかうんざりしているようだった。

入国審査のゲートを出て出口に向かって歩いて空港ロビーに行き着いたところで、まず、無事到着した旨を現地で会う予定の数人に電話して伝える為、公衆電話を探した。

公衆電話はそこら中にあったので、適当な公衆電話から早速電話をかけようとしたのだが、事前に教えてもらっていた電話番号は、番号の頭に「1」が付いたりつかなかったりになっていて勝手が全く分からなかった。

1を付けてみたり外してみたりするが、英語で同じ自動音声が流れるだけで、その自動音声さえも全然聞き取れないという何とも情けない状態だった。

一旦、落ち着いて作戦会議(僕の脳内会議)をする為、ロビーに戻り、ガイドブックを開いてみた。

どうやら、お金が足りない時に音声が流れる場合があるとの事で、どうやら公衆電話から電話をかけるには最低¢50が必要なようだった。

という事で、今度は¢25、2枚を挿入してリトライしてみるが、それでもうまく電話がかからなくて、ついには$10のAT&Tのコーリングカードに手を出すまでに至ってしまった。 

コーリングカードの案内に従い、まず、AT&Tの指定の番号に電話してみたところ、「PIN番号を入力してください。」という自動アナウンスが流れるだけだった。

今度はこのPIN番号というものが何を指すのか分からず、電話がかけられなかったのはアメリカの仕組みのせいにして、ここの公衆電話機でこれ以上悩むのはやめた。

という事で、アメリカの公衆電話の事情は、僕の結論としては、僕のような初めて利用する観光客を途中で諦めさせてしまうほど使いにくいという事だった。

それとは裏腹に、買ったばかりのボーダフォンの新携帯を使っての姉とハジメさんへの生存確認ワンコールはすぐに成功した。

電話で悩んでいて途方に暮れている間に、何やら、アジア系のお偉いさんのお通りがあり、ロビーが一部、ボディーガードみたいな人によって通行止めになった。

ロビー内に一瞬緊張が走ったが、あっという間の出来事で、やはりプロの仕事は違うなと思った。

第5話 アメリカ社会からの早速の洗礼

公衆電話での通話が結局成功せず、仕方ないので空港を脱出して先に進もうと、空港内のトイレで薄着へ着替えてからバート(地下鉄)の乗り場へ向かった。

さて、この日の予定は、

1.午前中にスタンフォード大学を訪問
2.夕方にサンフランシスコのダウンタウンにて、ミヤタさんと合流
3.ミヤタさんとダウンタウンを観光
4.夜はバークレーのホテルに宿泊

という、初日からハードスケジュールだった。

まず、バートでミルブレーへ向かうため、$1.5分のチケットを買おうとしたが、券売機で、ちょうど$1.5分のチケットの買い方が分からなかった。

持ち越し式なのかな?と思って、とりあえず$2分のチケットを買った。

さて、「これからどんな旅が始まるのだろう?」とドキドキワクワクしながら、ミルブレー方面の電車に乗り込んだところ...

次の駅で一緒の車両にいた人が、「ハ~ン!?ファ○ク!!」と叫びながら電車を降りていってしまった。

その車両には僕と彼しかいなかったので、アメリカに来て、早速殺されてしまうのかと思ってしまった。

何が起こっているのか知らずにその後も電車に乗り続けていた訳だが、デイリーシティという駅まで来て、やっと僕の乗っていた電車が逆方向に向かっている事に気付いた。

単に、僕が方向を間違えたと思いきや、実は電車のダイヤが混乱していただけらしく、一緒の車両に乗っていた人も、それに気付いて怒って一足先に降りていってしまったようだ。

仕方がないので、デイリーシティで降りて、逆方向のホームに行って電車を待ったが、いつまで経っても電車が来なかった。

挙句の果てに「逆のホームから電車が出るから移動するように」と駅員さんが誘導を行い始めた。

結局、元のホームに戻ってやっとミルブレー方面の電車に乗れたのだった。

アメリカに着いて、早速、アメリカ社会のルーズさの洗礼を受けた形だ。

アメリカ社会はルーズだという事は聞いていたが、こんなにも早くリアルな体験が出来るとは思わなかった。

初めてだからそこまでストレスはなかったが、さすがにこれがしょっちゅう起こるとなるとストレス溜まりそうだなと思った。

これも、世界に類を見ないほどダイヤにシビアな日本で育った日本人の定めなのだろうか。

ホームで電車を待っている間に、現地に住んでいると思われるおばあちゃんに電車の行き先を尋ねられた。

僕は明らかに日本人で、いかにも英語を話せなそうに見えそうだが、やはり、アメリカ西海岸にはアジア人が多く居住していて、スーツケースをゴロゴロと転がしていない限り、現地住民と見られてもおかしくないのかもしれない。

バートに乗ってミルブレー駅で下車し、今度はカルトレインに乗り換えようとチケットを購入するタイミングで、またもハプニングが起こった・・・

発券機にお金を入れようとするが、いくら$1札を入れても受け付けてくれない。

やり方が悪いのかな?と思い何度も試みるが、それでもダメ。

途方にくれている間に、工具を持った人が近づいてきて、僕より一回りも二回りも体の大きいアフリカンアメリカンの方だったので何となく後ずさりしてしまった訳だが、その人は問題の発券機に向き合っていろいろな工具を使って作業をし始めた。

何と、発券機が故障していたのだ。

アメリカに着いて早速多数のハプニングに見舞われて、そういう経験もしたいと願っていた僕にとっては結果的にラッキーだった訳だが...

バートのダイヤの乱れで大いに振り回され、発券機故障で途方に暮れていた時間も長かった為に、もう予定が乱れまくりだ!僕の時間を返してくれ給え!!

次のカルトレインが来るまで30分程時間が空いてしまい、ミルブレー駅周辺を散策などしていたが、このタイミングで公衆電話から再び通話のトライをしてみたところ、何とか繋がった!

だが、挨拶をして本題に入ろうというところで、何故か勝手に電話が切れてしまった。

サンフランシスコ-ロサンゼルスというカリフォルニア内の通話でも立派に長距離電話になるらしく、¢50ごときではすぐ切れてしまうようだ。

コーリングカードや携帯電話を持たない者にとって、公衆電話からの長距離電話をするには、¢25コインを大量に持っているという事が条件のようだった。

まぁ、とりあえず無事に到着したという事は伝えられたし、PIN番号の意味がカードの裏面にあるコインで削って出てくる番号だったという事も理解でき、今後はコーリングカードでの通話も可能となった事だし、まぁ良しとした。

ミルブレー駅のカルトレインのホームは、そのまま外部との仕切りがなく、そのままホームに入れてしまうので、何だかとっても違和感があった。

チケットを通す改札もなく、乗務員さんが列車内を巡回して、乗客個々にチケットを持っているかを確認するというスタイルだった。

やろうと思えば切符を買わずにカルトレインに乗り込み、見つからないようにどこかに隠れていれば切符を買わずに済んでしまうようだった。

やはり、車社会のアメリカと道路の狭い日本とでは、電車の存在の重さが全く違うという事が良く分かった。

ここの駅のホームでも女性に電車の行き先について話しかけられた。

片言の英語でだけど答えてあげて、日本から今日来たという事を話したところ、その女性は若い頃に大阪に行った事があるという事を話してくれた。
やがてカルトレインが地響きと伴に到着した。

カルトレインは、サンフランシスコ~サンノゼ間を結ぶ2階建ての列車で、その重厚な造りから僕に連想出来たのは、これに轢かれたら一たまりもないだろうという事だけだった。

車内は非常に空いており、一人のアフリカンアメリカンの男性が携帯電話で通話している声がやけに気になった。

こんなに多くの席があるのにこんなに好いていたら採算が取れないのではないかと思ったが、ラッシュ時には一転して賑やかな車内に変わるらしい。

目的のパロアルト駅まで40分くらいあるので、このタイミングで寝とかなきゃまずいと思っていたが、到着駅の車内アナウンスが聞き取り辛く、乗り過ごす危険があって逆に神経を使う羽目になってしまった。

何とか乗り過ごす事もなく目的地の最寄り駅のパロアルト駅まで無事到着した。

第6話 スタンフォード大学訪問

パロアルト駅で下車し、僕のイメージでは、ここからスタンフォード大学まで歩いていけるものだと踏んでいたが、とんでもなかった。

どこの情報か忘れたが、ユニバーシティ通り沿いを歩いていけば行けるという漠然とした考えだけあったのだが、結局ユニバーシティ通り自体どの道かよく分からなかった。

という事で、早速、ガイドブックを片手に、旅行初心者丸出しのいでたちでうろちょろする事になるのであった。

ガイドブックを良く見ると、パロアルト駅からは「大学行きの無料のシャトルバスに乗る」としっかり書いてあり、早速前準備不足が露呈され始めた。

とりあえず、無料のシャトルバスと思われるバスに乗り込み、スタンフォード大学へ出発。

大学っぽくもあり住宅みたいでもありっていう判断が難しいエリアに近づいてきたところで、バスに乗っていた学生と思われる人たちは徐々に降り始めた。

多分この辺一体が大学なのだろうなと思い、僕も降りるタイミングをずっと狙っていた訳だが、なかなか勇気が出なくて降りられなかった。

だからと行って、一周してまたパロアルト駅まで逆戻りするのも情けないので、勇気を出して適当なところでバスを降りた。

何しろ、話しかけられるのが恐くて、行動を起こすのが億劫になっていたのだ。

この時点で時計を見ると正午近く、到着と同時にスタンフォード大学の広大な敷地内を散策し始めた訳だが、12時30分から13時40分という時間限定で夕方会う予定のミヤタさんに電話する事になっていた。

その事が気になってしまって実際はあまりゆっくり見て回る事が出来なかった。

また電話でトラぶって取り乱すのは嫌だったので、12時30分には公衆電話のある場所を探して電話を試みた。

しかし、ここの電話機はまた事情が違って、カードを差し込むところがない事に気づいた。

この時点では、コーリングカードの正しい使い方を知らなかっただけに、「え~~~?コーリングカード使えない公衆電話もあるの!?」とびっくり仰天してしまった。

後で判明したのだが、コーリングカードのメカニズムとしては、
 1.まず、AT&Tの指定の電話番号に電話をかける
 2.自動アナウンスに従って、コーリングカードの裏に明記されているPIN番号を入力する
 3.相手先の電話番号を入力する

という、3つ分の電話番号を入力して初めて相手先に電話がかかるというものだった。

逆に、この3つの番号を控えておけば、もうカード自体は必要ないという事だ。

AT&Tの方で、相手先に電話がかかる度に残り通話可能回数のカウントをする仕組みなのだろう。

実際、これが便利なのか不便なのか良く分からないのだが、僕は日本のテレフォンカードに慣れてしまっているのでえらい不便に感じてしまった。

その一連の仕組みを知らなかった僕は、わざわざ食堂で買い物をして¢25コイン数枚をゲットし、そのコインを使ってミヤタさんとコンタクトを取ったのだった。

電話の結果、待ち合わせは、15時40分にダウンタウンのパウウェル駅近くのGAPでという事に決まった。

しかし、パウウェル駅なんぞ聞いた事さえなかっただけに、本当にその駅まで辿り着けるのか微妙だった。

待ち合わせ方法が決まってしまうと、今度はここを出発するタイミングが気になってしまい、あまり余裕をもって大学観光を楽しむ事ができなかった。

結局、ベストな出発時間は計算不能だったので、とりあえずスタンフォード大学を縦断するだけにした。

異国の地で、時間的にマストな事をこなすのはかなり難しい事だ。

こうやって時間に敏感になるのは日本人特有の文化から生まれるものかもしれない。

もちろん、日本人の中でも千差万別だろうが、少なくとも僕は待ち合わせの時間に間に合うように正確に自分のスケジュールを組む方だ。

だけど、それが出来るのも使い慣れたツールがある日本での話であって、初めて訪れた国で同じようにスケジュールを組むのは至難の業だという事を今回思い知った。

せっかく、アメリカでトップクラスの大学を訪れた訳だけど、この大学に対する僕の印象は、「とにかく広い」、という事と「とにかく自転車が多い」という事だけだった。

しかし、そんな再びシャトルバスに乗り、颯爽とパロアルト駅に戻らなければならなかった。

パロアルト駅にて帰りのカルトレインのチケットを買おうとしたら、今度は男性に話しかけられた。

「電話をかけたいから$1を¢25に崩してくれないか」というお願いだったはずだが、僕もコインは持ってなかったのでその旨伝えた。

だが、その直後にカルトレインの発券機でチケットを$10で買ってしまったので、そのおつりで僕の財布はコインだらけになってしまうのであった。

早いもので、アメリカに到着してから話しかけられたのは既に3回目だ。

第7話 初日にして早速の危機到来

スタンフォード大学を後にして、ミヤタさんと待ち合わせ場所のパウウェル駅に向かう為、ミルブレー方面のカルトレインをホームで待った。

無事カルトレインに乗車して何とか待ち合わせに間に合うとほっとしたところで、初日にして早速の危機が到来した。

ちょっとの油断からカルトレインの中でいつの間にか居眠りしていたらしく、起きた時にはバートに乗り換え予定だったミルブレー駅を過ぎたところだった。

それも、たまたま、ミルブレー駅を過ぎると終点までまっしぐらな電車に乗ってしまっていたらしく、今から折り返したとしても絶対待ち合わせ時間に合わない状況だったのだ。

「やべぇ、こりゃやべぇよ、マサルさん・・・」、などと口走りながら動揺を隠せないまま、その時は何故か待ち合わせに遅れてしまうという事より、カルトレインの乗務員さんがチケットのチェックに来たら事情を説明して無事清算してもらえるかなという事をびくびくしながら考えていた。

それだけ目の前の事を何とかするのに精一杯な状況だったのだ。

寝たふりしてごまかしちゃおうかなとも思ったが、その時は心臓が物凄くドキドキしていて、実際のところその鼓動で乗務員に感づかれてしまいそうな状況だった。

だが、そんな僕の焦りとは裏腹に、結局、電車内でのチケットのチェックはなしで、清算なしで終点までいけてしまった。何てルーズな電車なのだろう!!

日本では全く考えられない!!

カルトレインを終点のサンフランシスコ駅で下車し、最悪、禁断のタクシーという手段もやむをえない状況下だった。

現在地を確認する為に駅に備え付けてある周辺地図を覗いてみたところ、偶然にもパウウェル駅は地図の範囲内にあるではないですか!

それも歩いていけそうな距離だ!

この時点では、一人でバスに乗る勇気はまだなかったので、とりあえず歩いていく事にした。

くはぁ、「ぼぼぼ、僕は、ア、アメリカにいるんだなぁ」と、とんでもないとこに来ちゃったなと今更ながら思いつつ、パウウェル駅を目指して歩き始めた。

その後歩く事30分、何とか時間前にパウウェル駅に到着出来て、何とか最初の危機は回避出来たのだった。

第8話 NICE TO MEET YOU!

パウウェル駅に到着し近くのGAPを探すと案外分かりやすいところにあり、早速、そこで待ち合わせをしていると思われる日本人を見つけた。

多分、この人がミヤタさんだろうなと勝手に当たりをつけていたが、話しかける勇気がなかったので、時間までとりあえず様子を見る事に。

しかし、時間が過ぎても他にミヤタさんと思われる人が現れず、その人がミヤタさんだと思い込んでいた僕は新携帯を使って電話をかけてみる事にした。

「鳴るだろう、鳴るだろう??」と心の中で呪文のように唱えながらその人の様子を見ていた。

しかし、その人の携帯は全く着信している気配がなく、そのうちに本物のミヤタさんが電話に出て、到着まで後2、3分かかるという事だった。

思い込みというものは恐ろしいなと思った・・・

暫くして本物のミヤタさんが到着・無事初対面を果たし、ミヤタさんは、日本語が使えなくて心細い思いをしていた僕の心のオアシスとなった。

話を聞くと、ミヤタさんは、偶然にも僕が派遣で働かせて頂いている某大手IT企業の社員さんだという事が明らかになった。言語習得の為に1年だけアメリカで学校に通っているのだそうだ。

あちゃー、無理言って休み取ってきちゃった事に関して突っ込まれやしないかと思ったが、ミヤタさんはそんな小さな事にいちいち触れるような懐の浅い人ではなかった。

ダウンタウンで回るコースを簡単に話して次のような計画を立てた。
1.ダウンタウン中心部を軽く散策
2.バスでゴールデンゲートブリッジに行く
3.バスでフィッシャーマンズワーフに行く
4.フィッシャーマンズワーフでディナー

まず、ダウンタウン中心部で、ナイキやノースフェイスなどの店に立ち寄り、アメリカ北部に向けて購入予定のジャケットの相場をチェックしてみたところ、期待していたほど安くなかったのでちょっとがっかりした。

また、日本から持ち込んだアナログ腕時計のアメリカ時間へのセットの仕方が分からなく、このままでは使い物にならない事が判明したので、代わりの時計を近くの雑貨屋にて$10で買ってしまった。

その後、バスに乗ってゴールデンゲートブリッジへ向かった。

一人だったらバスには乗らないと決めていた僕だったので、ミヤタさんのサポートはかなり助かった。

実際、バスにでも乗らなければどこにも行けずにその辺をぶらぶらして終わりだったかもしれない。

バスに乗っている途中で、ミヤタさんの通う学校のクラスメイトのスティーブンスが同じバスに乗り込んできた。

スティーブンスは背の高いスイス人で、カバンに、メタリカやAC/DCなどのHR/HMバンドの刺繍を多数貼っていた。

2人の楽しそうな会話が羨ましかったが、なかなか入り込む余地がなく暫く黙って聞いていたが、途中で、ミヤタさんに「練習だから話しかけてごらん?」と言ってもらえて、僕的に切り出しやすい音楽ネタで話しかける事にした。

まず、「HR/HM好きなの?」という僕の質問を発端にメタルバンド談義が始まった。

スティーブンス的に一番好きなバンドはメタリカで、最近もライブを見に行ってエキサイトしていたらしい。

その他、ソイルワークとかシャドウズ・フォールとかキルスウィッチ・エンゲージとかお馴染みのメタルバンド名が出始めて、彼も似たような道を歩んで来たのだなと僕にとっては微笑ましく思えた。

僕が昔やっていたバンドの話をして、アイポッドで曲を聞いてもらおうかと思ったところで、ちょうどスティーブンスがバスを降りてしまった。残念!!!

その後もバスを乗り継いでゴールデンゲートブリッジに到着。

おぉぉぉ!大学1年の時、大学内で数週間だけ通っていた英会話スクールの先生がくれたゴールデンゲートブリッジのキーホルダーと同じ景色ではありませんか!!

まさか実際にこの目で見る事が出来る日が来るとは思いもしなかったさ。

あまりにも壮大な光景だったので、物凄く大きなスクリーンに映し出された映像でも見ているような感覚になった。

記念撮影をしてから、実際にダウンタウン方面からサウサリート方面に向かって橋の1/4地点まで渡ってみた。

右手にはアルカトラス島が浮かぶサンフランシスコ湾、左手には太平洋が一望でき、実際に橋の造りを見てみると思ったよりもずっと頑丈だった。

1937年に完成以来、雨にも負けず風にも負けずにここに聳え立っているという事実が歴史を物語っていた。

橋はかなりの交通量だったので、現地の人にはなくてはならない橋なのだろう。

雨が降りそうな曇り空の中、かなり風が冷たくて初日から早速風邪を引きそうだった。

サンフランシスコは年間通して夕方、夜は気温が下がるそうだ。

第9話 カニ!クラムチャウダー!!サンフランシスコが大好きだー!!!

ゴールデンゲートブリッジから再びバスに乗り込み、続いてフィッシャーマンズワーフに向かった。

目的地近くなったところでバスを降り、そこからサンフランシスコ特有のアップダウンの多い坂道を抜けて、やっとの事でフィッシャーマンズワーフに到着。

フィッシャーマンズワーフは観光客向けの賑やかな観光地らしいが、もう夜だったのでそこまで活気はなかった。

旅行前に会社の客先の人に、「サンフランシスコのカニを食べて来た方が良いよ!感動的な程旨いから!」というアドバイスを頂いてはいたが、サンフランシスコとカニがなかなか僕の中で結びつかなかった。

ミヤタさんは美味しいカニが食べられるスポットを知っているらしく、ラッキーな事にそこに連れてってもらえる事になった。

そのスポットというのは屋台が沢山並んでいるところで、各屋台にはカニがうようよ並んでいた。

日本だったら値段見る前に「高そうだからいいや」と目もくれないかもしれない状況だったが、そんな中、ミヤタさんは店員さんにいろいろ聞いてくれて、小さいカニだったら$10くらいで調理して出してもらえる事になり、それを2人で分けて食べる事にした。

「$10なら安いよなぁ」と思いつつ店員さんが調理を始めるのを待っていると、店員さんがミヤタさんに何かを問いかけていた。

どうやら、「やっぱカニ味噌も食べたいよね?」と僕等に確認してくれていたらしく、値段は同じで大きいカニに置き換えてくれたようだ。

本当なら$20近くするかもしれないのに何て感動的な出来事なのだろうだと思った。

こんな事までしてもらっては、また来たいと思わざるを得なくなり、ここの屋台の店員さんはまさに道理にかなった商い方法をしているなと思った。

ミヤタさんは、カニよりもクラムチャウダーの方をお勧めしていて、是非それも食べてみたいと思い$6くらいだったからそれも注文した。

冷たい霧雨が降る中、適当にベンチを見つけて食べてみたのだが、カニもクラムチャウダーもめっちゃくちゃうまくてびっくりした!!!

正直、「なんじゃこりゃ!こんなのありか!!山田君、座布団10枚持ってきて!!!」といった気分だった。

こんなに贅沢にカニを頬張ったのは生まれて初めてだし、日本でこんなにサービスや値段や味や量に限界を感じないカニに出会う事は不可能だとも思った。

実際、かなり大きなカニ一杯分を2人で分けて食べた訳だが、2人分のお腹を満たすには十分過ぎる量で、絶品のカニをお腹一杯になるまで食べ続けられるこの幸せ・・・

恐らくここでしか味わえないだろう。

殻の内部を一かきすればドバッと身が雪崩のごとく出てきて、口に入れると確かな噛み応えがある。

噛めば噛むほど眠っていた旨みがジュワっと出てくるこの味わい。

当然、食べている間の会話は一切なく、ただただ心の中で「アイル・ビー・バック!」と唱え、将来この地でこの屋台でこのカニを食べに来る事を誓ったのだった。

同時に、クラムチャウダーは初めて食べたと思うけどこれまた絶品で、かなりの量があった訳だが、周りのほのかに酸味のある酸っぱいパンも残らず平らげた。

実は、この旅行で食生活をどうするかが一番ネックになると予想していたが、初っ端からこんな美味しいものに出会えるとは夢にも思わなかった。

お腹も満足して元気回復したところでまた歩き始め、ピア39という有名な観光スポットでシーライオン(アザラシ)の群れを見た。

辺りは既に真っ暗で、何が起こっているのか良く分からなかったが、何かの轟音が暗闇の中で不気味に鳴り響いている。

なにやら、これがシーライオンの鳴き声なのだそうだ。

それも、100匹くらいはいるとは聞いていたが、間違いなくそれ以上いる。

気持ち悪いくらいうようよしていて、縄張り争いの為ケンカしているシーライオンもいる。

この不気味な風景をどう形容する言葉は、残念ながら僕には持ち合わせがない。

どうしてここに居座っているのか良く分からなかったが、これがフィッシャーマンズワーフの一つの観光ポイントになっているらしい。

その後、ピア39の木製の桟橋を通って商店街を軽く見てから帰りのバスに乗った。

この時、僕が持って来たスーツケースはホテルにおいて来たものと思っていたらしく、僕の荷物がリュックとウェストポーチだけだと話した時にミヤタさんはひどく驚いていた。

自分では普通だと思っていたのだが、荷物に関しては常人離れな事をしているという事がだんだん分かり始めた。

第10話 アメリカでの暮らしに密着

旅行前の計画段階でミヤタさんとメールで軽く現地で回るコースについて話したときに、「誰もが行くような観光スポットより、出来ればミヤタさん宅の近くまで行ってみたい」と子供みたいなおねだりもしてあった。

気を遣ってくれたのか、ピア39からの帰りに、ミヤタさんは「うちに寄ってく?」と僕を家に招待してくれたのだ!

この願ってもないチャンスに僕は「是非!」と即答し、バークレーのホテルに向かう前にミヤタさん宅に訪問していく事となった。

ミヤタさん宅はジャパンタウン内にある立派な高級マンションで、同じ学校のマサさんとルームシェアをして暮らしていた。

サンフランシスコのアパートやマンションの賃貸料は、アメリカの中でも最も高いらしく、その中でも、このマンションは最も高い部類に入るマンションなのかもしれない。

ロビーの受付には常時セキュリティガードも兼ねたようなゴツめの人もいたし。

パウウェル駅に向かう途中で立ち寄ったスーパーでも全体的に商品の価格が高くて、将来的にここに住むのは大変だろうなと思った。

部屋の中はかなりゆったり広く眺めも良いときて、試しに家賃を聞いてみたところ、その家賃を2で割ったとしても明らかに僕のアパートより大分高かった。

実際に部屋にお邪魔すると既にマサさんとその友達のモトコさんがいて、これまでのいきさつなどいろいろお話した。

ミヤタさん宅では、このマサさんとモトコさんの他に学校で仲の良い韓国人や中国人も集めてよく簡単なパーティーをするそうだ。

この日はたまたまなかったようだが、ミヤタさんはこのアメリカ留学生活を最大限にエンジョイしているようだった。

これまでのいきさつや今後の旅の計画など話をすると、皆、口を揃えて「そんな計画で、しかも一人でアメリカに乗り込むなんて自分には到底出来ない」と言っていた。

この時点では、こんな無謀な旅なら早く終わって欲しいと僕も心底感じていたかもしれない。

だって、油断しようものならすぐにハプニングが僕を待ち受けてるんだもん・・・

荷物もいつ取られるか分からなくて常に見張っていないといけないし、本当に息が詰るような思いだったのだ。

ミヤタさんにビールを一本おごってもらってすっかりほろ酔い気分になりながら時計を見ると既に20時30分過ぎ。

今から向かってもバークレーのホテルまで行くのに確実に22時を過ぎてしまう時間になっていた。

早めに連絡しておかないと予約が無効になってしまう可能性をマサさんに指摘されてしまい、確かにそんな遅くなってチェックイン出来るという保障はどこにもなかった。

そう考えれば考える程凄まじい不安が押し寄せてきた。

そんな時、ミヤタさんが進んでホテルに電話をかけてくれて特に遅くなっても問題ないという事を確認してくれた。

何て頼りになる人だと思い、ミヤタさんには本当に感謝でいっぱいだった。

21時頃にマサさんとモトコさんと別れの挨拶をしてミヤタさん宅を後にした。

この時点で、この日は時間の感覚が麻痺するほど長時間起きていた訳だが、極度の緊張の為か体の感覚も麻痺していて逆に疲れをあまり感じていなかった。

外は大粒の雨になっていて、ミヤタさんは「サンフランシスコに来てからこんなに雨が降ったのは3度くらいしかない」という事を言っていた。

僕は究極の雨男なのかもしれない。

そんな雨の中、ミヤタさんは近くのバス停まで見送ってくれて僕がバスに乗り込むまでサポートしてくれた。

ミヤタさん、有難う御座いました!

本当に感謝しています!!

第11話 長い長い旅行一日目は尚も続く

信じられない事にまだまだ旅行1日目は続くのだ。

ミヤタさん宅近くのバス停からバスに乗ってパウウェル駅でバートのチケットを買おうとするが、まだ買い方が良く分からず券売機の周りでまたうろちょろする羽目に。

既にこの時点時計を見ると21時30分くらいで、こんな遅くに大きなリュックを背負った観光客丸出しの日本人がこんなところで一人でうろうろしていると悪い人に狙われる格好の的になるだろう。

そんなことは分かっていたが、この時はどうしようも出来なかった。

冷静になって券売機のタッチパネルを見てみると、$単位と¢単位のボタンがそれぞれあり、単にそのボタンを押して希望額を加算していくだけだった。

こんな簡単な仕組みに気付かないなんて、相当神経が参っていたか、ただの機会オンチかのどちらかだった。

とりあえず切符を購入して電車の時刻表を見てみると、パウウェル駅から直でバークレーまでいける直通電車は既に終了していた。

「ここまで来てそりゃないよ」と思ったが、ここで立ち止まっていても仕方がないので出来るだけ近くまで行こうと急いで電車に乗り込んだ。

電車に乗り込むと、「ホテルのチェックインが問題なく出来るかどうか」という事より、「タクシーで行き先をうまく説明できるか」という目の前の小さな事ばかり心配していた。

やがて、電車は、マッカーサーという分岐点の駅に到着したのでとりあえず電車を降りた。

辺りを見渡すと、そこからバークレーまで行けるリッチモンド行きの電車が無事運行していて、何とかバークレーまでは電車で行ける事が分り難を逃れたかに見えた。

しかし、いじめにも近いピンチは尚も続き、ダウンタウンバークレー駅で下車後ホテルに向かおうとガイドブックやら駅に備え付けの地図を見るが、方向がさっぱり分からない。

試しに適当に歩き始めたが、全く的外れな方向だったりして薄暗い22時過ぎの人通りのない道をしばらくうろちょろした後、やっと方向がはっきりしてきてその方向へ歩き始めた。

ガイドブック上は歩いていけそうな距離だと思ったが、とんでもなかった

結局、ダウンタウンバークレーから1時間くらい薄暗く人通りのない道で危険に身をさらしながら、僕はホテルを目指して歩いた。

サンフランシスコは治安が良いとは言え、このシチュエーションに一時間も身を投じるという事は想像を絶する恐怖で、思い出すだけで尿が出そうだ

途中、極度の疲労により足が絡まってしまい、転ぶまでは至らなかったのだが、足で踏ん張る過程で物凄く大きな音を立ててしまい、反対側の歩道を歩いていた人に感付かれたと思い、僕は最後の力を振り絞って走り出した。

暗すぎて表情が見て取れないこの恐怖は経験者にしか分からないだろう。

たまにその他の歩行者を見かけても、逆に僕を見るや否や足早に逃げ出す人もいたほどなのだ。

何とか23時過ぎにホテルに到着し、無事チェックインの手続きが出来た。

部屋に入るや否や携帯の目覚ましをセットし、風呂にも入らず泥のように眠りについて長い長い旅行一日目はようやく終了した。

極度の寝不足の中、初日からハプニングだらけで嵐のような一日だった。

僕のような日本しかしらない無知な人間にとって、この旅は究極のサバイバルだ。

こういったサバイバルから得られる危機回避能力って、本当の危機に遭遇して始めて培われるものだと思う。

もちろん、無謀すぎる冒険は控えなければならないけど、自分を世界のスタンダードに近づけていく為にも、ある程度は危険な状況に身を置いてその都度危機を回避する訓練をしていかなきゃ行けないなと思った。

第12話 旅行2日目、目覚めた後に待ち受けていたものは・・・

11月4日、金曜日、旅行2日目が始まった。

何かのアラームの音で目を覚ますと外はすっかり明るく、時計を見ると既に11時3分だった。

「チェックアウト時間の11時を過ぎているではあ~りませんか!!!」

昨夜、泥のように眠る前に携帯の目覚ましを朝7時頃にセットしておいたが、それには全く気付かなくて、代わりに昨日購入した腕時計のアラームがたまたま鳴った格好だ。

昨日、この腕時計の時刻合わせをしている時に、てっきり日付を入れるものだと思って設定した「11:3」という設定が実はアラーム設定だったようだ。

このアラームが鳴らなかったら、間違いなくルームメイドさんが来るまで寝ていただろう。

「飛び起きる」とはまさにこの事で、前日に散らかした荷物をリュックに押し込み、チップを$1だけ枕の下に置いて夜逃げする人みたいに部屋を出た。

シャワーを浴びられない事も、洗顔出来ない事も、歯磨き出来ない事も、寝癖だらけだって事も、この時の僕には関係なかった。

フロントに行って、フロントの人に不審な目で見られながらも何とか無事チェックアウトの手続きをしてもらって何とか追加料金とかの話にはならなくてホッとした。

実際、日記にこんなにも面白おかしく書けるネタを自然と提供できた天然な自分に、素直に感謝出来たのだった。

さて、今日の予定は次の通りだ。
1.UCバークレー訪問
2.空港に向かいロサンゼルスへ
3.ロサンゼルスのダウンタウンにあるホテルに宿泊

まずは、UCバークレーを訪問するのに、ダウンタウンバークレーまで行く必要があった。

昨夜危険に身を晒しながら1時間くらいかけて歩いて来た道を引き返すのは現実的ではなかったので、その途中にちらっと見かけたバートの駅らしき場所に行ってみる事にした。

すると、そこはダウンタウンバークレー駅の隣のノースバークレー駅だという事が分かり、何とか現実的な交通手段が見つかって安心してUCバークレーを目指せる事になった。

昨夜の格闘により、バートの切符の買い方は心得ていたので、難なく切符を購入し自然に電車に乗りこむ事に成功した。

しかし、朝からこんなにも抜けている調子だとこの日も昨日のようにバタバタする事がある程度予想出来てしまった。

さらに、これからのアメリカ滞在日数の事を考えると、それが1年間にも感じられて凄まじい重圧となって僕に襲い掛かってきた。

この時の僕には目前に広がる厳しすぎる現実しか見えず、日本に帰国後の事も、日本にいた時の記憶さえも現実に思えなかった。

頭の中は混乱の極みで、このまま一生アメリカでの過酷な日々が続くのだとさえ錯覚してしまっていたのだ。

第13話 UCバークレー訪問

ダウンタウンバークレー駅に到着すると、まず駅前にある地図で方向を確認したのだが、やはり分かり難い地図だなと思った。

日本にあるこういった地図だと大抵パッと見れば分かりそうなものだが、何故だかここの地図は分かり難い。

とりあえず適当に歩いてみる事にした。

途中で銀行があったので、クレジットカード経由でお金がおろせるのか試してみたところ問題なくおろせた。

これも僕にとってはこの旅で培った立派なブレークスルーの一つだ。

何となく学生街らしき風景になってきたところで、やっとそこがUCバークレーだという事に気付いた。

スタンフォード大学と違って自転車は少なかったので、スタンフォード大学ほどは大きくはないのだろうなと察しはついた。

しかし、名門校らしく建物がいちいち立派だった。

適当に歩いていると、バンド演奏が繰り広げられている広場に出くわした

お昼休みらしくオーディエンスも沢山いてすごく雰囲気が良かったので、学生達に混じって暫く見てみる事にした。

オーディエンスは白人ばかりでなく、日本人を始めアジア人も何人かいた。

やはり、アメリカ人は大抵若くても大人びて見えるものだが、このバンドのメンバーも例外ではなくとても大人びていて、だんだん学内のライブとは思えなくなってきた。

演奏の途中、ついでに昼食もここで取っちゃおうと思い立ち、近くの学食に向かってサンドイッチのHam Comboを注文したのだが、「ハムコンボ」とそのまま発音してもなかなか通じずに「ヘァムコンボ」と言って始めて通じた。

「ハムコンボ」だと27年間信じてきたのに本場の英語は違ったのだ。

こんな事は山ほどあるとは思うが、こんなにも通じないものかと一種のカルチャーショックを受けてしまった。

広場に戻り、そのヘァムコンボを食べながらバンド演奏を最後まで観賞した。

いいなぁ、青春だなぁと思った。

僕も日本の大学生時代は何度か学内のライブに出演したが、アメリカの大学でも彼等と一緒に出演してみたいと思った。

楽しいだろうなぁ。

その後、再び校内を歩き始めると賑やかな校内のセンター通りに出くわした。

女の子のコーラスグループのパフォーマンスもすごくキュートで楽しそうだったし、他のサークルの活動なんかも活発ですごく活気があってみんなとっても楽しそうだった。

ちょうどお昼休みで一番活気がある時間帯だったからかもしれないが、この旅行で訪れた大学の中でこの大学の印象が一番良かった。

そういえば、今日は歯も磨いてないし顔も洗ってないという事に気付き、ちょっと落ち着ける場所を探し求めて行き着いたのが図書館のトイレだった。

このトイレにはあまり人が入ってこなかったので、用を足すだけでなく荷物の整理をして歯を磨き、顔を洗ってからも暫くトイレ内でのんびりしていった。

アメリカに来て以来、このトイレ程落ち着けた場所はなかった気がして、このトイレが旅の疲れを癒す憩いの場となった。

物凄く短いサンフランシスコ滞在だったが、今夕のフライトでロサンゼルスへ発つ予定だった。

あまり根拠はないが、自分なりにフライトの時刻に間に合う安全圏と思われる時間に、UCバークレーを後にした。

第14話 最大のピンチが訪れる

 サンフランシスコ~ロサンゼルス間のフライトが16時26分で、僕なりに安全圏と思われる13時30分頃にはUCバークレーを出発した。

しかし、ダウンタウンバークレーから直で空港の駅まで行けると勘違いしていた僕は見事にハマってしまった。

途中のデイリーシティ駅を過ぎたあたりから電車が不穏な動きをしだして、終には途中で止まってしまった。

ドアが開く気配がなく、ドアが開いたとしても降りられそうな場所でもなく、乗客は僕以外一人も乗っている雰囲気でもなく、ただただ動揺しながら電車内を彷徨う事しか僕には出来なかった。

そうしているうちに、一人の男性がこちらへ向かって歩いてきた。

「あの人は僕と同じように困惑して彷徨っている人なのか?それにしては足取りが軽やかだ。とにかくこれがどういう状況なのか聞かなきゃまずいだろう。だけど何て言えば良いのか?やっぱりやめておこうかな。とにかくどうなってるんだこりゃ・・・」

と、この時は自分の中でかなりの葛藤があった。

幸い、聞こうかやめようか迷ってもじもじしている僕に、その人から声をかけてくれた。

彼:「どこに行く予定なの?」
僕:「空港に行きたいんです!!」
彼:「電車が動き出して、ここにいて大丈夫。デイリーシティ駅が、反対側にあって、行けるから、とにかく、ここで暫く待つように」
僕:「??・・・オーケーサンキュー!」

と、ちんぷんかんぷんにも拘わらず僕は理解した振りをしてしまった訳だが、彼が去って行った後になって、やっと、彼がその電車の運転手で、彼は折り返し運転の為、反対側の運転席に向かっているところだという事に気付いたのだった。

やがて、電車は反対方向に動き出し、デイリーシティ駅に着く直前で運転手から僕だけに向けて空港までの行き方を再確認する為のアナウンスがあり、初めて彼の指示が僕の中で完全になったのだった。

この場を借りてお礼を言わせてください。本当に助かりました!

デイリーシティ駅に到着すると、ホームで電車を待っていた人達からの「何で乗ってるの?」的な視線を一瞬感じたが、そんな視線には目もくれずに慌てて逆ホームへ走って空港行きの電車を待った。

こういう急いでいる時に限って電車ってなかなか来ないもので、タクシーで行くべきなのか判断に迷ったが、下手に動くと本当に取り返しのつかない事になりそうなのでそのまま電車を待つ事にした。

ちょっとでも油断すればすぐにハプニングに見舞われてしまう。これからどうなるのかなんて誰も教えてくれないし、うまく行くように誰もサポートしてくれない。

結局はなるようにしかならないのだが、結果が出るまでの間はハラハラドキドキしながらそれを待つしかないのだ。

結局、空港の駅に到着したのは15時30分過ぎだった。既にこの時点で、出発まで1時間を切っていた。

「そりゃぁ走ったさぁ。走ったけどさぁ、並ぶ列がよく分からなくてよぉ!明らかにここじゃないと思ったけど、空いている列に並んだ訳よ。でさ?カウンターの人に、「急いでるんです!」と訴えてみた訳だが、「例外は認めません、あちらに並んで次のフライトのチケットを購入して下さい」ってきっぱり言われちまってよ?その時は万事休すだと思った訳よ・・・」

と、後に筆者が語ったように事態は深刻な局面を迎えていた。

そうこうしているうちに、本来並ぶべきだった列にはどんどん人が雪崩れ込んでいってしまって、僕の番が来たときにはカウンターの係員さんから切り捨てるようにまず一言「トゥーレイト(遅すぎる)」と言われてしまった。

これまで幾度となくピンチはあったが、こんな大きなピンチはさすがになかった。

チケットを新たに購入するといくらなのかを考えると、僕の頭はその事を考える事を拒否し始め、ただただ絶望的な不安が僕の胸を圧迫した。日本への帰国がどんどん遠のいていくような気さえした。

そんな風に絶望を最大限に表情に表している僕を哀れと思ったのか、たまたま次のフライトに空席があったのか、今となっては知る術はないのだが、カウンターの係員さんが次のフライトの手配をしてくれて、ただで乗せてくれる事になった。

この時は正確に聞き取れなかったのだが、未だ追加料金の請求は来ていないのでやはりただでやってくれたみたいだ。

本当に助かりました!

ただし、夜のロサンゼルスのダウンタウンは治安が悪いという噂はかねがね聞いていて、それを恐れてフライトの時刻を早めたのに、せっかくの努力が水の泡になってしまった.

はい、そうです。自分のせいですよ・・・。

次のフライトは2時間後で、ロサンゼルスのダウンタウンのホテルに着く時刻も単純計算で2時間遅れとなる。

その分、到着時刻のダウンタウンの危険度も比例して高くなると思い込んでいた僕は、鬼が島にでも行くような心境で命の危険さえ感じていた。

不安にばかりなっていても仕方ないので、とにかく先に進む事にした。

アメリカ国内便のセキュリティチェックでは靴も脱いだ。

最初は勝手が分からず、他の人のセキュリティチェックをしばらく観察してから臨んだ訳だが、すっかり動揺していた僕はセキュリティゲートを潜った後に財布をなくしたと勘違いして係員さん達に向かって大騒ぎしてしまった。

実は、自分のズボンのポケットにしっかり入っていたなんて事は思いもよらずに。本当にご迷惑をお掛けしました・・・

すっかり意気消沈してしまい、とぼとぼと搭乗ゲートの前まで行ったところ、前の便(僕が乗るはずだった便)はまだ出発してはいなかった。

それも、時計を見るとぎりぎり搭乗時刻に間に合う時間だったので、カウンターの人に止められなければ実は普通に間に合ったようだった。

なるほどこういうオチかと、僕の運命がドリフ色を加えられて誰かに弄ばれているような気さえした。

第15話 非常口付近の席は要注意ですから!!

ロサンゼルスへのフライトを一本逃してしまいホテルのチェックインがまた遅くなりそうだったので、この日宿泊予定のデイズインというホテルに電話して大体の到着予定を伝えて問題がありそうか聞いてみる事にした。

英語で要件を伝えるのはやはりかなりの難関で幸い時間はたっぷりあった訳だが、電話をかけるまでの準備に相当の時間を要した。

まぁ何とか問題ない事が確認できて良かったのだが。

搭乗時刻までまだ時間があるので、どこかでディナーにしようと考えたが、どこも値段が高かったので結局我慢する事にした。

これは貧乏性の定めなのか・・・

時間があるだけに動いてないと不安になるのだが、だからと言って何かを実行に移そうとすると躊躇してしまうというかなり不安定な状態だった。

いよいよ搭乗時刻となり英語が盛んに飛び交う中で航空機に乗り込み指定の席に着いてやっと僕の心に平安が訪れたかに見えた。

しかし、どうやらその席というのが非常口のある窓側の席で、突然、客室乗務員の人が僕に向かって目にも止まらぬ早業、でなくて、耳にも止まらぬ早口で緊急時の説明を捲し立ててきた。

不意打ちをくらって頭が混乱していて僕にそれを聞き取とる術はなく、イエスもノーも言えぬままただ時間は緩やかに流れて周りの乗客をただ不安にさせてしまったようだ。

席に備え付けてあるガイドを見て何とか非常時の対応内容については理解出来たのだが、その後も前の席のおばちゃんが客室乗務員にさかんに話しかけていて、不安を訴えていたようだ。

被害妄想かもしれないが、その会話が「英語もろくに話せないのにアメリカにくるな」みたいに感じられてしまい、一種の人種差別みたいなものを感じてすごくほろ苦い思い出になってしまった。

それとは裏腹に、航空機の窓から見るサンフランシスコの夜景は息を飲むほどの美しさだった。

町中の明かりの加減で島の形がくっきり見えて、まるで風の谷のナウシカでオームの怒りが大地を満たしている時のようだった。

第16話 ピンチは続くよ、どこまでも

サンフランシスコからのフライトを1本逃してしまった為、予定より2時間ほど遅れて19時頃にロサンゼルス国際空港に到着した。

国内便なので入国審査などの面倒な手続きはなく、そのまま出口まで行く事が出来た。

だが、実はここからが問題で、ホテルまで行けるバスの乗り場がさっぱり分からず、30分以上その辺をうろうろしながら立ち往生する結果となってしまった。

これ以上遅くなるとダウンタウンの治安は悪化するばかりで本当に命に関わると勝手に思い込んでしまっていた僕は、禁断のタクシーを使う事を決意した。

ガイドには、安全なイエローのタクシーが止まるタクシー乗り場から乗るように書いてあり、それらしき乗り場でタクシーを待ったのだが、僕の番になってたまたまイエローではなく明らかに一人乗りではないワンボックスカーが止まった。

かなり不安になったので、運転手にガイドブックを見せて「ここまで行きたいんだ」というジェスチャーをして「ハウマッチ?」と聞いてみた。

僕にだってこれくらいの英語は使えるさ!!バカにしないでくれ給え!!それはさておき、僕の質問に対して、運転手は「$40くらいだ」と答えた。

後で後悔するのが嫌だったので「この車が大き目だからその分高いという事はないか?」という事を片言の英語で聞いてみたところ、運転手はタクシーの料金表を僕に突きつけてここのタクシーは全部同じ料金だという説明をした。

まぁそれなら仕方ないかと結果的にはOKしてしまった。

実際、現金でチップ含めて払えるだけの現金を持ち合わせているかは全く気にしていなかったのだが。

タクシーの運転手はサービスのつもりなのだろうがすごく良くしゃべった。

「狂っている」という日本語を知っているようで「アメリカ人は狂ってる狂ってる~、狂ってる狂ってる~」と盛んに言っていた。

日本人は「シャイ(恥ずかしがりや)」だという事も言っていて、僕がまだあまり英語がしゃべれないのを見て「ちゃんと勉強してから来なきゃダメだよ」みたいな事を言っていた。

「大きなお世話だよ」と言いたいところだったが、全くその通りなので何も言い返せなくて悔しい思いをした。

元々「大きなお世話だよ」というフレーズを英語で言う事さえ出来なかった事に後で気づいてさらにしょんぼりしてしまう結果となった。

運転手の話しは尚もやまず、「迷惑なんだよビーム」を絶えず送り続けたが、よほど自分の話に夢中なのか全く気付いてくれなかった。

最終的にタクシーの料金は$38ちょっとだったのだが、チップの計算が良く分からなかったので持ち合わせの全財産の$45で払った。

クレジットカードもトラベラーズチェックも使えなかったのでこれが全財産だった。

彼なりのパフォーマンスに比べてチップが少なかったからなのか、運転手は少し不機嫌になってさっさと去っていってしまった。

んな事言われてもないものはないのだった。

第17話 不安で不安で眠れない夜

ロサンゼルスのダウンタウンにある宿泊予定のデイズイン前に到着したのは21時10分頃だった。

辺りを見渡すとそんなに危なそうなところにはとても見えず、こんなに焦って高いお金払ってまでタクシーで来ることなかった事をかなりの勢いで後悔した。

なにせ、$45と言えばこの時のレートで日本円にすると5400円ほどになり、このタクシー代がこの旅行で二番目に高い買い物となった。

チェックインしようとホテルのフロントに行ってみたところ前に手続きをしている人がチェックインするのに時間かかっていて結構待たされた訳だが、チェックイン一つするのに会話が弾んで彼等はそれを楽しんでいるように思えた。

いよいよ僕の番になって「電話を使うか?」とか、「紙(何の紙か結局聞き取れず)を持っているか?」などいろいろ質問されたのだが、ほとんど正確に聞き取れないままフロントの人に見放され気味で会話は終わってしまった。

この違いは一体何なのだろうか・・・

あんな風に楽しく会話出来るようになるにはどうすれば良いのだろう。やはりアメリカに2、3年住むしかないと決意を新たにするのであった。

部屋に入るとダブルベッドが2つあり、何をするにも物が2セットずつあって明らかにシングルの部屋には見えなかった。

これはもしかして予め予約されていた部屋ではなくて新たに新規で手続きをしてしまった訳じゃないだろうなと猛烈に不安になり、フロントでトラベラーズチェックを崩しがてら聞きに行こうと考えた。

だが、

「何だかしっくりくる質問のフレーズが見当たらないなぁ。これで質問して伝わらなかったらどうしよう。またあのフロントの女性のきつい眼差しに曝されたらさすがに耐え切れないかもしれない。だってあれ明らかに客商売している人の対応じゃないもの・・・」

というようなやり取りが頭の中でループのように繰り返されて決断するまでに時間がかかった。

意を決してフロントの人に質問してみると案の定、うまく伝える事が出来なかった。これだけ自信を失っている状態では何をやってもうまくいかないものなのだ。

フロントの人は呆れながらも何となく僕が言いたいことを察したようで、どこか面倒臭そうに「ノープロブレム」とだけ言った。

この時の僕はかなり精神的に参ってしまっていたので、何に対してもネガティブに考えてしまってどこまでも不安の泥沼にハマって行けた。

部屋に戻るとすぐに風呂に入った。

アメリカに来てやっと風呂に入れた訳だが、目に見える体の汚れはキレイに洗い流せたのだが、僕の胸の中にある不安だけは、物凄くしつこい油汚れのようにいくら擦っても洗い流す事は出来なかった。

22時30分頃にはベッドに入るが、時差ぼけの為か、まだ緊張している為なのか、なかなか眠りにつけなくて、結局23時30分頃起きてこの日記を書いていた。

この日の僕の日記にはこう綴られていた。

「今日、一日、いくつもピンチがあって、たまたま運が良くて何とか乗り切れたけど、これからはそうは行かないかもしれない。このメモが僕から公開されずに、ニュースとかで公開されたりしなければ良いのだけど・・・(本当に有り得るから恐ろしい・・・)」

この日記からも分かるように、この夜は本当に不安が僕の心を支配していた。

眠りにつけない理由も、その不安から来るものだったのだろうと今は思う。本当に、こんなにも不安で眠れない夜は初めてだったのだ。

ロサンゼルスのダウンタウンは、夜中も盛んにパトカーが行きかっていて、そのサイレンの音が僕の心の中の不安を増幅させ続けた。

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