見出し画像

3/8 鯵のあじ

さあ、春だ。札幌の路面はひどいものだ、びっしゃびっしゃで、ばっちゃんばっちゃんだ。車道と歩道の間に高く積まれた雪が溶け出すと、長靴なしでは歩けないほどの水たまりがそこかしこに出来はじめる。今日の仕事の帰り、踏み抜いた水たまりはひとつもなかったはずだったのだけれど、ハイカットのスニーカーでは装備が甘く、家に着いてみたら靴下まで濡らしてしまっていた。ああ、春だ、また寒の戻りもあるのだろうが、春だ。

春といえばアジフライである。
山菜の天ぷらもまた良し。筍ご飯はもう少し先だろうか。
アジフライ 食べたし食べたし 地物がなくとも スーパーにぞあり
……と思ってスーパーの鮮魚コーナーを見つめてみるも、未だアジの気配がない。……まだなのか。鯵は。北海道にはまだ流通しないというのか。それとも単に全国的に出回っていないだけなのか。
インターネッツの情報によると、3月は九州で鯵が獲れるらしいが、他の地方はまだ先で、東北に至っては7月からが時期らしい。
あっ、あっ、鯵って春の魚じゃないの??!!
どうも山口県に長らくいたせいで、北海道的な旬感覚と齟齬がでているらしい。たちうお。たい。ひらめ。今は懐かしき魚たちよ。
食べたい……鯵が食べたい……。
どうしてもアジフライが食べたい……。
しかし総菜売り場に出回っているのは未だホッケフライである。鮮魚売り場に並ぶのはタラにニシンである。ちくしょう、ちくしょう、……まだか、春は…………。

腹が減ったのでグーグルマップで和食屋さんを検索して、入ってみた。
店前の看板には”アジフライ XXX円”とあった。魚や肉のメニューが並ぶ中、定食の1つのようだった。
入った。
売り切れていた。
仕方ないので違う定食を選んだ。
アジフライはなかった。
なかったのだ。

カウンター席で、6~70くらいの男性と、その息子さんくらいの歳の人が、ちゃきちゃきと料理を作っていく様を見ていた。
夜はお酒とおばんざいを出すような、お昼だから定食を出してくれているけれど、定食屋さんではなくて、和食屋さん。
1000円もしない定食に、小鉢に煮物、お漬物、ごはんに味噌汁、あとはメインの焼き魚。しっかり盛られた白米が美味しい。
お魚も、きれいに焼かれていた。
職人さんのやる仕事だ。家の食事では出されることのない、お店の、丁寧な仕事。
昔はもっと、美味しかったのだろうか、と思った。
虚の味がした。
ちゃんと発酵されていない調味料。店に取り付けられた、ワイドショーを流すテレビ。ビニールの匂いのしそうな床板。木のカウンターに吹きかけられるアルコール。
わからない。昔は本当だったのか、どうか。
わかっている、私が家の調味料の質を上げすぎたことも。
ただ、おおよそ私に確信のあることは、昔の職人は、もっと美しい動きをしていただろう、ということだ。
體が悪くて、料理人の動きが最適化されていない。
しんどそうな腰。巡りの悪そうな顔。
體が悪ければ悪いほど、動きは粗雑になっていく。
動き方が美しければ、大抵…なのか絶対なのか、ああ、おれはそこまで勝負師めいた確信はないが、美しけりゃあ、いいんだよ。
いいんだ。
おれも今、美しくなろうとしている最中だ。
うまいもんは、美しいんだ。
美を見いだせ。

日本の底はどこだ。
ここか?
……と、そんなことを考えていた。
誰も彼も病み、美しさを失い、肚を括れずうろうろとしている。
おれから見えている世界。
食がくすりとして機能しない、医食同源どころか、病院通い”医”も、日々の食事…”食”も、なんら體に資していない、家族やご飯屋のおっちゃんやバイト先のお客さんや……日々目にする人々、その大勢。
うまいもんが食べたいと思っている私。

……であるなら、おれが全員治していくしかないのではないか。
アジフライ。

正直、手段は全然見えない。
でも、どいつもこいつも、おれが治しちまうしかないんじゃねえのかって思った。
私は食欲に負けている。
精々力をつけるしかない。

アジフライ。
一番うまいアジフライをくれ。


おこづかいちょーだい!