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テレビを見ると胸が締め付けられる自分。

ここ数年、私はテレビを見る機会が本当に激減した。

今に始まったことではないが、てっきり番組の内容が現在の私にとってつまらなくなったからだと思っていた。

しかしながら最近は、もっと違う別のベクトルがあると思う。

こんな事があった。

たまたま昼食を取りながら何気なくテレビ番組を見ていると、
何とも言えぬ居心地の悪さと、胸を締め付けられる様な息苦しさを感じた。

その時に視聴していた番組の内容はというと、
高校生の部活動を紹介するもので、番組内では互いに好意を持つ野球部のキャプテンと女子マネージャーを中心に、大会を目指し日々汗を流す野球部の青春が番組内では紹介されいた。
冷静に内容を俯瞰すれば、いかにも大人が推奨する「青春ドラマ」、
出演者は素人の学生達だが勿論、演出脚本はあると思うし、
放送された内容が全て真実か否かわからない。

だがそれは学校生活が苦痛で、日々心をすり減らし隠れる様に
学生生活を過ごしてきた私には、
憧れこそすれ手に入れる事が出来なかった物だった。

そんな手に入れらないキラキラした宝物、それを画面越しに見せつけられた事が苦痛だったのか?
これが「リア充爆発しろ!」という感情なのか?
画面の向こうので懸命に青春を謳歌している罪無き若者達の
ささやかな幸せを見て苦しくなる自分の情けなさと浅ましさ
で悲しくなり、力なくチャンネルを変えた。

だがその時は、たまたま番組の内容が自分に合わなかったのだと思うことにした。
そもそも今の自分には他人の高校生活なんて、今更興味ないはずだから。

しかしテレビを見て胸が締め付けられるような感覚は、
その後も突然地雷のように発生する事にになる。
生まれたばかりの赤ちゃんを若い夫婦が紹介する番組、
芸能人が一般人を弄る番組、
人気の料理店やグルメを紹介する番組、
名も知らない芸人達が雛壇でわいわいする番組、
バラエティ番組なのか報道番組なのか判別出来ないニュース番組、
正義に燃える警察官が悪者を成敗する刑事ドラマ・・・
挙げればキリがない。
内容はバラバラだが、まるでテレビから自分が責めれている様な感覚を
何度も味わい、自然と私のテレビの視聴機会は減り続けた。

もちろん番組そのものには何の罪も無い事は言うまでもない。

しかしながら、気づけば私はテレビを付ければ視聴するのはBSが主で、
一般人が街中に設置してあるピアノを演奏する番組、
火野 正平さんが自転車で地方を旅する番組、
岩合光昭さんが全国の猫の日常を映す番組、
等々がもっとも個人的に見る機会が多いプログラムで、
後はもっぱらyoutubeばかり見ている現状。

思い返せば子供だった頃の私はテレビっ子だった。
人気芸人のお笑い番組で爆笑し、
悪を成敗するヒーロー達の活躍に胸躍らせ、
トレンディドラマの展開にヤキモキし、
ミリオンヒットの音楽に酔いしれ、
憧れのアイドルの番組出演に胸躍らせた。
本当にテレビにはたくさんの夢を見せて頂いていた。

あの頃は自分にも漠然と、
そんなキラキラした未来が待っていると思っていた。
だが時間が経ちテレビが見せてくれた夢は自分にとっては幻だったと知る。
それを自覚した頃から私のテレビの視聴時間は年々減り続け、
今やテレビが見せる一般大衆のささやかな幸せすら見るのが辛い現在の
自分が居る。

きっとテレビが対象としている「普通の人」や「一般大衆」には自分は
いつの間にか該当しなくなっていたのだろうなと思う。
それが視聴の際の息苦しさや居心地の悪さの正体なのかもしれない。

嫌だ嫌です、
おテレビ様よ、
日蔭育ちの泣きどころ、
眩しすぎます、
オイラには


路地裏のアウトロー




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