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”カオス力”があるってひとつの魅力かもしれない

今日,私のビジネスパートナーである亀岡と話していて,”カオス力(かおすりょく)”がある人って魅力だよねという話になりました。

「混沌」「無秩序で入り乱れている様子」という意味のカオス(Chaos)ですが,この状態に慣れていると,人は落ち着いて見えるみたいです(亀岡の持論)。

幼少期のカオス

私は,佐賀県のド田舎で育った田舎っ子です。
父も母も厳格で,どちらも「わがまま」「人に迷惑をかける」「怠ける」ことに対して狂気的な叱り方をする親でした。
小学校2年生のとき,妹のおもちゃを取り上げて自分のものにしてしまった私に激怒した父親が,私を小屋の柱に縛り付け,一日中放置するという小事件が起きました。(これはあくまでしつけのひとつで,虐待などではありません。今になっては,感謝すらしています)
実家が山の中にポツンと建つ家だったため,近所はなく,小屋の前は人ひとり通りません。泣き叫ぶ様子など親はつゆ知らず,お昼になりました。12時ごろ,母親がご飯を持ってきて,スポーンで食べさせるとそのまま去ってしまいました。
夕方になると泣き疲れて,縛られたまま寝落ちしていました。すると,父親が縄をほどきにきて,「入れ」と一言だけ。あまりの嬉しさに安堵したのを覚えています。

小学校4年生のころには,お風呂に入りたくないとごねる私を母親がつまみ出し,家から追い出すと,家のすべてのドアや窓に鍵をかけてしまいました。近所がないので,あたりは真っ暗です。泣きながらドアを叩いて謝ってもなんの返事もありません。野犬や鹿などと遭遇したらどうしようなどと子供心に考えていたのを覚えています。
実家が養鶏業を営んでいるため,近所の鶏小屋まで歩き,鶏がいる隣の空きスペースでブルーシートにくるまり,一晩過ごしたのを覚えています。

亀岡いわく,これは”カオス力”を鍛えている経験とのこと。
確かにこうした経験のおかげか,多少のしんどさには抗体がある気がします。

大学時代のカオス

大学時代,私はパティシエの修行がしたくなり,フランスに留学していました。当時,フランス語は勉強していたのですが,お菓子作りに関しては全くの素人でした。いろはもわからないまま現地の専門学校に入り,その傍ら現地のお店で働くという暴挙に出ていました。

当時,15歳のAntonieという男の子が私の指導係で,彼がまたやさしいできた男でした。

そのお店のオーナーシェフがかなり厳しい人で,ある日私にクロワッサンを作るように指示して売り場に去っていきました。Antonieはタルト生地を作っており,クロワッサンは私ひとりで作ることに。生地を作り,バターをはさんだ生地を何層にもして,クロワッサンの形に成形し,釜に入れます。いざ釜から出そうとしたその瞬間,シェフがやってきて,焼き上がったクロワッサンを見るなり,「これが日本人のクオリティか」と一言つぶやくと,目の前にあったゴミ箱にすべて捨ててしましました。
その後,Antonieを呼び,私には一言も話すことなく,ひたすらに彼に叱り続け,また売り場に去っていきました。
「気にするな。今日はシェフの機嫌が悪いんだ」と私に怒る素振りもなく,笑顔で対応してくれるAntonie。しかし,その後スタッフルームに入り,ひとり男泣きをしている姿を見たとき,あまりの辛さに私も胃が痛くなってしまい,その日の夜,胃腸炎になりました。
ただ,泣き言を言っているひまなどないため,その日から死ぬ気でお菓子の勉強をし,常にシェフやAntonieたちのやり方をメモして真似ることを意識した生活を送っていました。

このおかげか,多少のことでは物おじしない体質になった気がします。

要は,いろいろ経験しようってこと

今の世の中,いろいろな考えの人がいて,いろいろな文化があり,環境も常に変化しています。それってある意味でカオスなのかもしれません。そうした状況で自分らしく生き生きといきていくためには,いろいろな経験をして,いろいろな環境に慣れる必要があると思います。
いろいろな考えの人に会い,いろいろな文化に触れ,いろいろな環境で生活することで,「こういう人もいるんだな」「ここではこんな文化なんだな」などとどんな環境でも受け入れる姿勢を持てる気がします。
人生そのほうがはるかにラクに生きられると思っています。

すごくありきたりなまとめになってしまい恥ずかしいのですが…,
生き生きと肩の力を抜いて生きていくためには,いろいろな経験を積んで”カオス力”を鍛えることが大切なのではないかと思った今日この頃です。

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