破天荒板さん



部屋の掃除をしていたら、2014年に使っていた手帳を見つけた。
当時の私は毎日、手帳に日記をつけていた。妙にテンションが高く、絵文字が多くて馬鹿っぽい文章なんだけど、カラッとしたニュアンスで結構読みやすい。
読んでいると、今とは全く違う環境でがんばっている自分が何ともうい奴に思えてきて、エモーショナルな気分になってくる。
当時働いていた職場の方々は、癖はあるが面白い人が多かった。
今日は、その中でも特に印象に残っている人について記したいと思う。


十年前、私の勤めていたのは温泉旅館。
地元の人々に愛される温泉は、リウマチや関節痛がよくなると評判で、県外からの宿泊客も多かった。


その旅館の調理場は、一人の板前さんが仕切るスタイルだった。食堂担当のパートさんが調理補助で入るものの、宿泊客の会席料理や宴会の鍋などすべて、この料理長が担っていた。今思えばものすごいワンオペ状態だ。


高齢の板前さんが辞めてから、四十過ぎのシュッとした板さんが入ってきたのだが、この人が色白で男前で、私は一目見て好きになった。
いなせな兄ちゃん、的な感じでいい雰囲気。関西の方言が飛び交うなか、板さんの標準語はスッキリとして、声は凜々とよく通る。


食堂のホールや洗い場の受け持ちもしていた自分は、ちょっぴりドキドキしながら調理場に入った。
調理場は板さんのオン・ステージで、板さんはくるくる動き回りながら大声で指示を飛ばし、カッとしたらすぐキレた。瞬間湯沸かし器みたいにキレて怒鳴った後、ぶつくさ言いつつも手は休めず誰よりも働いている。
新しい板さんは気性の烈しい人だった。


調理場の外ではシュンとして大人しく背を丸めているのに、自分のテリトリー内では烈火のごとく怒って笑って、やりたい放題なのだ。
私は困惑した。板さんの不安定な情緒もやりにくいが、事あるごとにしょうもない下ネタを連発するので、ヒヤヒヤして仕方なかった。
なにせ声を張り上げるから、調理場から食堂まで喋りが筒抜けなのだ。


宿泊の常連・一人客の女性Oさんは、食事中に板さんの下世話なジョークが聞こえ、不愉快になり、今後夕食なしのプランにすると宣言。
まさかの料理以外で早々に嫌われてしまった。


それを聞いた板さんは分かりやすくシュンとし、その後、下ネタを極力、抑えるようになった。
というかそもそも真面目な人で、たぶん女性の多い職場において、何とか打ち解けたいと冗談を飛ばしていたふしがある。(そう思いたい)


仕事は手を抜かず、文句を言いながらも急な夕食人数の追加や、料理内容の変更に臨機応変に対応してくれた。
そんな板さんの料理、美味しいと評判がどんどん上がってきたのだ。常連客の間でも新しい板長の料理が話題に上ったらしく、毎月泊まりに来ているOさんも、再び夕食を予約してくれるようになった。


板さんが調理帽を取ってあいさつに行くと、Oさんは満面の笑顔で、「おいしかったわあ。これからも、よろしくお願いします」と。
それから板さんの一番のファンになった。夕食の席に着くたび「瓶ビール、板さんにあげて。伝票に付けといてね」と嬉しそうに笑っていた。


私は食堂やフロントでお客さんの声を聞ける機会が多かったので、板長が代わってから、明らかに料理への満足度が上がったことを肌で感じた。
前の板さんも人気だったけど、今の板さんは仕事への熱量が半端なく、完璧を目指すので、料理の見た目にも明らかな違いがある。


たまにキャンセルが出て、余った料理をまかないとして食べられることがあった。刺身や鯛のあらだき、茶碗蒸しなどを頂き、旨っ!と感動した。
すごいな板さん、叱られることはあるけど頑張って食らいついていこう。と元気が出た。


キレやすく誰にでも容赦ない板さんだけど、私も激務を必死でこなしている身だったので、わりと可愛がってくれた。
私が数日休むと「何だか、この旅館の灯が消えたみたいだったよ」と嬉しい言葉をかけてくれた。
勝手に戦友、というか上官みたいな感じで慕っていたのに、ある日、板さんは突然、居なくなってしまった。
 

事務方の上司と喧嘩して、帰っちゃったのだ。普段から、忙しい時に悠々と昼食を食べにくる上司の事を「現場のことが分かってない」と言って、不満をこぼしていた。
気持ちは分かるけど、ぶつかって、プイと帰ってしまったもんだから大騒ぎになった。
翌日、板さんは頭を冷やして反省した様子だったけど、社長の耳に入って風向きが悪くなったのか、すぐに辞めてしまった。
短気は損気というけれど、こんな鮮やかな実例を見たのは初めて。
私は悲しくて寂しくて、やりきれなくて、ペーペーにも関わらず社長に直談判しようとして先輩に止められた。


誰も、お客さんの事を考えてない。
こんなに評判のよい料理を作る板さんが辞めるなんて!とカッカしてた私は幼かったのかな?
日記を読み返して思い出した。
激情型の、忙しすぎる時は絶叫するように文句を言ってた、全力投球のおもろい人。


個性の強い、癖ありな人ほど鮮明に記憶に蘇ってくる。
板さん、怒りすぎて、倒れてないといいのですが…。
元気にしてたらいいな、としみじみ思う十年後の今日です。

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