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「あんのこと」を見て思ったこと書くつもりだったのに全然違う内容になった

映画を見て思い出したことの記録。
ストーリーには全く触れてません。

映画を見終わって「え…こんなことがあっていいの?」「どこまで実話なんだろう…」と、検索したらほぼそのままらしいではないか。

こんなに辛く悲しい女性の人生があっていいの…?


以下は「あんのこと」を見て考えたことや思い出したこと。
(…を書こうと思ってたけど全然違う内容になった)

私は子どもへの虐待、DVや自殺などのニュースから目をそむけてしまう。
不意に流れてくるニュースはすぐに消音しちゃう。
だが、その当事者の苦しさや孤独や感情などに心は奪われてしまって…
事実はわからないので自分なりの理解だが、つらくなってしまう。

それはなぜなんだろう…と考えてみた。

もちろん私が母親であるってことと、
「される側・する側」に近い(?)経験をしていることや、医療職として当事者と関わったからだろうなぁと思う。

暴力を受けた経験
恐怖のあまり自分の精神が崩壊することの経験
他者や自分の死を真剣に考えた経験
一瞬の感情で虐待という行動になりうる孤独な子育ての経験
感情を子ども達にぶつけたことの経験(きっとこの経験をしているお母さんは多いかな)

具体的な出来事の記憶は薄れているけど心がズシッとする感情は覚えている。

出来事の重みはそれぞれ違うけど、それを(それ以上のことを)今、誰かがどこかで感じているという事実に心が奪われてしまう。

だからだな。(結論)


私は幼い頃から感受性が強いように思う。
でも、それを表現はしたことがない。
自分とは関係ない出来事に対して自分のことのように感じたり、ザワザワと感情が揺れうごいたりする自覚はあるのだが、表現はできない。

幼い頃は皆がそうなんだろうなと思っていた…というかその感情に違和感がなかった。
だから、それを誰かに言う必要もなかった。

中学、高校生あたりからは友人との会話に感覚の違いを感じ…
「あれ?そうなの?」「それって楽しいの?」「私は苦しいけどみんなは違うの?」「みんな本当はそんなこと考えてないのに合わせてるだけでしょ?」「え?違うの?」って思うことが増えた。

そんな感じで友人との会話に違和感は感じていたが、輪を乱さないタイプなのでそれなりに平穏には過ごしていた。

だからなのかその頃からわりと1人でいることがラクだったんだけど、お年頃特有の1人でいることの恥ずかしさみたいなものもあったしね。


20歳、「母親」になり、周囲に親どころか知り合いもいない子育てが始まった。

初めての子育て。
子どもの成長発達を相談する相手はいなかったがその環境を悲観することはなかったように思う。
「私が選んだことだから!」と息巻いていたわけではないが、心の底では覚悟のようなものがあったのかもしれない。

それに30年ほど前にはSNSなんてものもなく、他の人の情報がなかったのも良かった。

時々日記を書き、自分の心の声を吐き出すことで少しバランスを取っていたように思う。(全然アンバランスだけど)

ほぼ子どもの成長を書いてあるけど、時々吐きだされる夫婦関係の不安やつらさは今見てもしんどい。

離婚してからはyahooblogを書き、今はnoteを書き。

話さないかわりに書くことで自分の心のうちを吐き出させてもらっている。
その時の感情を思い出し、自分を労ったりしている。(頑張って生きてきた私。えらいぞ) 

「生きづらさ」とまでは思っていないし、当時はそんな価値観もないから当てはまる言葉が見つからないけど、学生の頃の私はいつも「何かつまらない」って思っていた。

ハイ。
今回も何を書いているのやら。
「あんのこと」とはかけ離れた内容になってるし。

まぁいいか。
私のnoteだしね。

今は幸せに生きてます。



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