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【199】日本グローバリストの濫觴

【199】日本グローバリストの濫觴」
  落合が、これまで部分的に引用しただけで本格的に解読していなかった吉薗周蔵の「敗戦カラノ記」(敗戦記)の解読を始めたのは、そこに現下の世界政治を支配する「グローバル主義」がそのまま出てきたからです。
 「敗戦記」はWW2直後に周蔵が書き始めたもので、昭和十四(1,939)年に石原莞爾の日本敗戦予想を聞いた周蔵が、「マフ日誌ハ終リトス」として閉じた「周蔵手記」の戦後編にあたるものですが、本紀の編年体と異なり紀伝体を採用(というか事象ごとに分けて記述)しています。
 「敗戦記」の冒頭は周蔵が自分の身辺を語りますが、やがてWWⅡで日本が敗戦に至る原因の考察に移り、連合艦隊司令長として戦死した海軍大将山本五十六にまつわる売国疑惑に論点を絞りますが、ここで山本の思想について考えた周蔵は、年来の知人薩摩治郎ハ、の「世界平和主義」との類似性に思い当ります。
 そこで周蔵は山本の事を後回しにして、薩摩治郎八に関する記憶を「敗戦記」に述べることになります。それを見ると薩摩治郎八の信奉する「世界平和主義」は、今日内外の識者がその是非を論じあう「グログーバル市場主義」そのもののように落合には思えます。
 一方、「グローバル市場主義」の方から見ますと、別名で「グローバル資本主義」とも「新市場主義」とも呼ばれていますが、要するに「国境の存在」と意義を否認する思想です。
 つまり、地球上の下記地域国家に存在する地域国家それぞれの國體を否認して全世界を一色に染め上げようとする思想で、政治・経済・宗教・文化など全ての面に「世界統一基準」を及ぼすことが目的ですから、薩摩治郎八らが唱える「世界平和思想」と同じものとみてよいのです。
 治郎八がこの思想に染まった時期は未詳ですが、大正十一(1922)年からのフランス留学がこれに関係していると落合が思うのは、その二年前父治郎平父の希望でオックスフォード大学に留学した治郎八が、この年にフランスに移った事の意味を考えるからです。
 折からhランスには陸軍少佐侯爵前田利為(17期)が私費留学してきて大正十一(1922)年一月から翌年六月までフランスに滞在します。
 「世界平和主義」を信奉する結社に加盟した薩摩治郎八の親分は、フランス人では教育大臣アンドレ・オノラですが、日本人では加賀藩主の後裔たる侯爵前田利為です。前田利為とアンドレ・オノラと薩摩治郎八の三人を落合が「グローバリスト」と断定する根拠は「周蔵手記」と「敗戦記」の記載で明らかです。
 薩摩治郎八の加盟した秘密結社の上司が陸軍少佐前田利為少佐(17期)であることは、在仏の画家藤田嗣治が大杉事件で入獄中の甘粕正彦に書き送ってきた暗号手紙によって明らかです。甘粕が周蔵を千葉刑務所に呼んでその解読を命じたのは暗号解読術を教えるためですが、その過程で周蔵はそれを知ったのです。

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