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〔86〕落合莞爾の「我観國體史」 クリミア半島の意義

〔86〕落合莞爾の「我観國體史」 クリミア半島の意義
 ロシア大統領ウラジミル・プーチンは、「今の東ローマ皇帝」である。東ローマは祭政一致であるから、プーチンはロシア正教の最高位者でもある。
 1991(平成3)年のソ連邦崩壊に当り、新生ロシアの大統領ゴルバチョフがロシア國體に背いてウクライナ共和国の分離独立を承認したのは、ロシアの国力が最低だったから、せざるを得なかったのである。
 ウクライナ共和国が独立に際して編入した領土には「クリミヤ半島とロシアからクリミア半島に至る黒海沿岸の回廊地帯を含む國體天領」が入るが、この時の独立は一応現行国際法では合法とされるから、クリミア半島とロシア領は国際法的に隔絶されてしまったのである。

 この時に生まれたウクライナ共和国の領土と住民は、大雑把に言えば、何組かの対立する要素から成り立つ。すなわち①ドニエプル川の西岸と同川の東岸(ガリツィア)、②ロシア語話者とウクライナ語話者、③コサック系とユダヤ系である。
 ロシア語話者が多いクリミア半島はほんらいロシア國體の特区で、ロシア國體からすれば新生ウクライナに含めてはいかぬ地域なのであるが、その理由を知る日本人はほとんどいない。

 國體特区としてクリミア半島に相対する地は、現在は北朝鮮領の羅先特別市(もと咸鏡北道羅津)であろう。
 ちなみにユーラシアの東西を結ぶ面状地帯が天山北路(ステップロード)と天山南路(シルクロード)で、後者はタリム盆地の北側を通る西域北路と南側を通る西域南路に分かれるが、ユーラシア大陸の東西両端を規定する地は、ステップロードの起点クリミア半島が西端を成し、シルクロードの終点羅津が東端をなす。この両地が國體特区となった経緯は、ワンワールド國體勢力が有史以来蓄積し、信用財として運用してきた黄金の秘匿場所であったからで、そのことは、拙著が年来説いてきたところである(落合莞爾『ワンワールドと黄金』など)。

 太古以来の國體特区で近世から後はロマノフ王朝が護っていたクリミア半島を、ロシア革命以後に護ったのがスターリンである。スターリンが護ったものはクリミア半島だけではない。ロシア革命前後のどこかの時点でンワールド國體勢力と接触したスターリンはその要請を受け、幽囚中のロマノフ一家を秘かに救助したものと思われる。
 歴史の定説では、ロマノフ一家は幽囚先で監視隊長のヤコフ・ミハイロヴィチ・ユロフスキーにより銃撃等の方法で殺害されたとされているが、真相とは思われない。
 ロマノフ皇帝一家殺害事件の真相を示唆するものは、そのユロフスキーがユダヤ系の金細工人で後にソ連の国有黄金の管理人となったことである。

 1991年のソ連解体の時、39歳の陸軍中佐がKGB情報部員を辞職してサンクトペテルブルグで政治活動を始めた。すなわちウラジミル・プーチンであるが、この時のプーチンは國體特区がむざむざウクライナ領に編入されるのを黙ってみている他なかったのである。
 1996年にエリツィン政権に参加したプーチンが、ロシア連邦保安庁長官、安全保障会議事務局長を経て1999年8月に首相に就き、エリツィン大統領の辞任を受けて大統領領代行に指名されたのが同年12月である。
 2000年のロシア大統領選挙で当選したプーチンは、以後現在まで事実上の大統領職(任期制限を免れる目的で2008年から2012年まで首相)にあるが、ソ連邦崩壊のあと塗炭の苦しみの中で低迷していたロシア経済を蘇らせた功績はロシア史に永遠に刻まれるものである。
 これをもたらしたのはロシアの輸出の主力を占める石油と天然ガスの価格高騰であるが、原油価格は2014年に低落した。

 ここ迄見ると、プーチンの壮年期の順調すぎる栄達と政権掌握後の経済運営成功の原因となった石油・ガス価格の高騰には國體勢力の支援があった、とみるのはあながち不合理ではない。
 ロシアの政権を握ったプーチンが、2014年に「ウクライナ領内のロシア語話者を政権による虐待から保護する」との大義名分を立ててウクライナに軍事介入した背景を、ロシア國體奉持の観念とみるのも、また不合理ではあるまい。

 2022年に始まる今回の鷺烏戦争もまた同じで、ロシア國體の天領たるドニエプル川左岸を確保せんとする信念は、ゼレンスキーが唱える失地奪還と正面衝突するが、かくいう落合は、國體観念を奉じ國體史観を持す立場から、プーチンの行動を正当と考えるのである。


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