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〔163〕ポストWWⅡの第二通過点はアジア通貨危機の1997年 時制の誤りを重要修正し、3/17に加筆 必読 

〔163〕ポストWWⅡの第二通過点はアジア通貨危機(1997)
 ポストWWⅡ時代の第一通過点となった1971年以後の通貨本位制について述べてきた本稿が、「人民元のドルペッグ制」について考察する段階になって、いきなり「中国流土地本位制」に飛んでしまい、話の展開が後先になってしまいました。
 そこで今から「人民元のドルペッグ制」について述べます。「ドルペッグ制」とは為替政策の一つで「ある国が自国通貨を米ドルに連動させる固定相場制度」を謂います。
 そのメリットとしては、「米ドルに対する為替レートを安定化(固定)することにより貿易や投資を円滑でき、とくに自国金利を米国より高く設定すれば、海外からの投資を呼び込むことができる」からで、経済基盤や政情が不安定な国が用いることがありますが、デメリットとしては「自国通貨の為替相場を維持するために米国の金利政策に追随しなければならない事です。

この方面に詳しい宮野宏樹氏に教わったところ、平成六(1994)年に中国がこの制度(ドルペッグ制)を採用したのは、投資銀行のゴールドマンサックスに勧められたからだそうです。
 平成九(1997)年にタイを震源地として発生した「アジア通貨危機」の原因は「ドルペッグ制」です。アメリカがIT景気に沸いたことで米ドルが高騰すると「ドルペッグ制」のもとにあったタイ通貨バーツも連動して高騰したことでタイの輸出が目に見えて停滞します。
 ドルペッグのおかげで生じたこのバーツ高が、到底持続しえないこと見透かしたヘッジファンドが、大量のバーツを空売りしたことで生じた通貨暴落が、近隣のアジア諸国に波及したのがアジア通貨危機です。その影響をもろに受けた韓国は、経済が破綻してIMFの管理下に置かれることになりました。
 中国がこのとき通貨危機を免れたのは、預金のほとんどが国内預金で当局の監視の下に置かれていたこと、及び、人民元が事実上のドルペッグであったにもかかわらず為替取引が事前申請を必要としていたこと、が大きいとされています。ともかく、大方の予想に反して人民元の切り下げが行われなかったのです。
 

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