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〔99〕落合國體論断片 昭和帝の岸信介観(結) 7/3Ⅰ完了 請う必読

〔99〕落合莞爾國體論の断片「昭和帝は岸が嫌い」は本当か?(結)
 落合は〔97〕〔98〕で「昭和帝は岸が嫌い、は本当か?」を論じましたが、関連して述べたいことがあり、以下に論じます。
 まず國體奉公衆の事です。
  日本史はおろか世界史の奥底に横たわる「ワンワールド國體勢力」の概容と現下における活動について洞察を凝らしてきた落合莞爾が、十年を経て朧気ながら覚ったのが「國體人脈」の存在です。
  高松宮喜久子妃殿下から國體舎人を通じて國體秘事伝授を受けた落合(本名井口莞爾)が、それを統合通観して得た國體史観によれば、國體奉公衆が悠遠の太古から存在することに疑念の余地はありません。國體奉公衆とは、その名の通り「國體に奉公することをみずからの存在意義とする人々」のことです。
    國體とは広く云えば「国家・社会の在り方」のことです。地球上に存在する地域社会を物理学に準えて「熱力学系」とみた場合、各地域国家はそれぞれが「社会的熱力学系」ですが、その集合たる地球社会も一つの「熱力学系」とみることができ、これを「ワンワールド」と称します。
  熱力学的では系を構成するのは「分子」の集合たる気体ですが、社会的熱力学系で分子に相当するものは「個人」です。つまり「個人」を個人としてではなく、巨視的に「系を構成する要素」とみなすのが「社会的熱力学」で、その概容については、すでに本項に先立ち「白頭狸の時務随想」として語りましたので、それを御覧ください。
   さて「社会的熱力学系」としての各地域国家においては、それぞれの国家としての在り方が先天的・自明的に定まっており、これを(地域国家の)「國體」と呼びます。
 それぞれの「地域国家系」の内外に、その國體を護持する勢力が自づから潜んでいることを唱える落合が、その勢力を「國體奉公衆」と呼ぶのは、彼らの活動が「私利私益」でなく「國體の護持」を目的とするからです。
 世界史に眼を向ければ、モンゴルが統合したユーラシア社会の崩壊による影響(かどうか未検証ですが、ともかく)として「私産主義的制社会観」が地域国家の枠を超えてワンワールドに拡がり、明永楽帝の宦官鄭和による海上貿易網の開発(1405~1433)と、これに並ぶ、ポルトガルの航海王子エンリケのアフリカ進出(1414~1443)から大航海時代が始まります。
 この時期に成立した(落合説)のが人類社会の駆動力を「王侯・個人の経済的私欲」とみなす皮相的な歴史観で、各国の政体とユネスコに採用されて今日の「教科書歴史」をなしているのです。
 そのような皮相な「私益史観」では説明できない「國體史観」を奉じるのが國體勢力で、その構成員が國體奉公衆です。
 國體奉公衆はほんらい特定個人で、活動の便宜のために小集団を為していますが、奉公衆の中核をなすものはズバリ「家系」で、結局遺伝子を基盤とする血統集団とみて誤りはないようです。

 
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