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魚釣りから考える肉食と殺生     その3 仏教の戒律と肉食(古代インド)

「うちは魚釣りはできない。殺生だから」との言葉をきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその3、今回は仏教の戒律と肉食(古代インド)として、少し整理してみたいと思います。

・仏教の戒律の根本「不殺生戒」

 おそらく多くの方々は仏教には「不殺生戒」というのがあることはご存知かと思います。生き物のいのちを奪ってはならない、という教えです。他に「盗むな、不倫をするな、嘘をつくな、酒飲むな」と合わせて五戒という戒がありますが、その筆頭が「殺すな」です。
 法句経(ダンマパダ)というかなり古いお経の中にお釈迦様の超有名な言葉があります。
「すべての者は暴力におびえる。すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
 他のいのちを自分のいのちと考えて、いのちを奪うことを止めなさい、という教えです。この言葉を筆頭に様々教えがあり、「不殺生」が説かれました。まずここが起点です。一方で、お肉や魚を食べることはどう考えるのでしょうか?

・お坊さんは肉を食べる?

 10年ぐらい前、テレビのバラエティー番組であるお笑い芸人が東南アジアでのロケの話をしていました。
 「現地のガイドさんが、『その地域でとても有名なお坊さん(仏教徒)が近くで滞在されているから、ぜひ会いに行きましょう』となった。『功徳があるでしょうから』との言葉で、タレント陣や撮影スタッフと向かった。そうしたら『○○師はいま食事中です。それでもよければ、、、』と面前に通された。有名なお坊さんのの食事、さぞかし立派な精進料理を、、、と思っていたら『ハンバーガー』を齧っていました。笑」
という話でした。私もつられて笑ってしまいました。
 ただ、これがウケるのは日本だけです。本当はそのお坊さんは間違っていません。托鉢でいただいた食べ物はお肉であってもお魚であっても残さず食べることがルールだからです。たまたま頂いたものがお肉であってもその中身は問わない。さらに、出家者の体調が悪い時に、栄養を摂取するためにはお肉を食べることは許されました。

・三種浄肉というルール

 ただ、やはり教えの上での不殺生との矛盾からか、三種浄肉というルールが生まれます。いただいたお肉が
「殺されるところを見ていない、自分に供するために殺したと聞いていない、自分に供するために殺したと知っていない」
そういう肉であれば出家者は食することが出来る、というルールです。

 これは四分律という律の中に規定されています。このように、お肉を食べること自体は一定のルールの下で、容認されていたのがインドでの仏教のあり方でした。
 つまり、「肉食」は「不殺生戒」と関係しながらも、条件付きで托鉢によって両立するというのがインドでの肉食のあり方でした。
 しかしこれだと、日本での伝統的なイメージである「本来はお寺ではお肉食べないもんでしょ?」「精進料理ってどういうことなんよ?」ってなります。実はこれは中国へ仏教が伝わる中での変化でした。ここを次回整理します。


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