努力が苦にならない、それがあなたの「道」

あだち充のコミック『H2』のなかで、こんなくだりがあります。

比呂「がんばってますなァ。」
春華「国見くん達の練習ほどじゃないわ。」
比呂「勉強と比べられてもなァ。」
春華「目標に向かって
 がんばってるのは同じでしょ。」
比呂「ふ――む。」
「どうして
 この根気と集中力が
 ほかのことには回らねえんだろ。」
春華
「その道を行けっていってるのよ、
 自分が力一杯がんばれる道を――」
「みんな探してるのよ、
 そういう道を――」

道教の影響か、日本人は「道」という概念が大好きです。書道、茶道、柔道、華道、弓道など、何らかの専門を通して、「道」に至るという考え方は、古くから日本にありました。

最近、ある精神科医の著作を複数読んでいると、究極の成功法則は「継続」であるとのことでした。けれど、それと同時に、辛い、苦しいことは、10年、20年と継続することはできない、とも書かれていました。「楽しいから続けられる」とその著者は述べるのです。
よく「努力が苦にならない」という成句が用いられますが、そのような事柄でなくては、10年以上も継続することは不可能でしょう。辛い、苦しい努力の持続可能な期間はせいぜい1ヶ月らしいのです。

私は、夏目漱石が好きで、『虞美人草』や『明暗』などの長編をよく読みますが、こんな大作を書き上げるのは、やはり文章を書くことが「好き」だったのだろう、と思うのです。

その夏目漱石の著作のひとつ『野分』にこんなくだりがあります。

「ただこう働かなくっては満足が出来ないから働くまでの事です。こう働かなくって満足が出来ないところをもって見ると、これが、わたしの道に相違ない。人間は道に従うよりほかにやりようのないものだ。人間は道の動物であるから、道に従うのが一番貴いのだろうと思っています。」

こうやってnoteで文章を書いていて、ふと思うのです。文章は我が「道」ではないのかも知れない、と。

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