何故「政治」よりも「教育」が大事なのか
明治時代の初頭に、岩倉使節団が渡米したとき、新島襄は使節団に協力したことから、新島は中央政界に太いパイプを築いていた。そして、新島が帰国した際、木戸孝允は新島に中央政府入りを勧めたという。けれども、新島はその誘いを固辞し、自分は私立大学設立に尽力したいと述べたのである。私たちの感覚からすれば、もし自己の理想を社会に反映したいと望むならば、中央政府に入ったほうが賢明であると思うだろう。しかし、新島は教育事業を選んだ。このことには、深い哲理が潜んでいる。
明治時代は現代と比べて、民権は国権に対して遥かに小さかったが、それでも、民主主義社会の黎明期であった。そして、戦後、主権が国民に移され、象徴天皇制が敷かれ、日本は完全な国民主権を実現した。主権が民に在るということは、政治の結果も国民自身が負わなければならない。つまり、国運を担っているのは、国民自身なのである。その国民の教育水準が劣悪なものであれば、国政の行き先も間違えかねない。
功利主義には2種類がある。ベンサムの量的功利主義とミルの質的功利主義。前者は「最大多数の最大幸福」をモットーとし、現在の選挙制度とよく適合している。後者は、幸福に「質」を認め、肉体的快楽よりも精神的快楽の方が高質であるとしている。
現代の民主主義は、裏を返せば大衆社会によって支えられた量的功利主義である。ミルの表現を借りれば、「満足した豚」も「不満足なソクラテス」も「同じ1票」である。そうであるから、他の時代にもまして、国民【全体】の教育水準を高くすることが求められる。ミルの主張を受容するならば、貴族政治、寡頭政治の復活に繋がりかねない。しかし、それを否定してきたのが近代社会の歴史である。
「一国を維持するは、決して二三英雄の力に非ず、実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず」
この新島襄の言葉が示しているように、民主主義社会においては、人民全体の教育が国運を左右するのである。
ここでやや卑近な例を用いよう。大阪維新の会が大阪府の教育行政を担うようになってからの経過を説明したい。橋下徹氏は、大阪府立高の難関大学への進学実績に不満を覚え、それまで9つあった学区を段階的に撤廃した。そして、府内10校を進学特色高として選定し、重点的な【エリート教育】を行った。その結果、最難関国立大学に多くの合格者を輩出するようになった一方、教育格差は広がり、弱者切り捨てとも取られかねない状況になっている。しかし、これでは少数のエリートが国政を先導する事態に逆戻りである。なおかつ、選挙制度は旧態依然としているにもかかわらず。
民主主義社会においては、ミルの言う「豚」も「ソクラテス」も同じ1票の投票権なのだから、大事なのは【エリート教育】ではなく【ボトムアップ教育】なのである。昨今の政治家の軽佻浮薄を見るにつけ、その背後に、国民自身の教育の退廃を推し量ることができる。
新島襄は次のような言葉も遺している。
「邦家のために尽さんとなれば、まず自己の改革を要するなり。まず人心の改革を要するなり。人心の改革なくして、物質上の改革なんするものぞ。」
もし日本社会を改革したいと望むのならば、政治(物質上の改革)ではなく教育(人心の改革)に一身をなげうつことが、抜本的な改革なのである。新島襄は、政治と教育の、そのような関係を見抜いていたからこそ、政治ではなく、教育事業に身を投じたのではないか。教育は国家百年の大計と言われる。読者のなかに、日本の改革を志す方がいれば、政治を志すのではなく、教育家を志した方が、よりチャレンジングな人生を送ることができると述べて、擱筆としたい。