腰椎椎間板ヘルニアと私。⑩~保存療法闘病日記~


一進一退を繰り返しながら子供達の冬休み突入。
クリスマスもなかなか買い物に行けなかったので、例年通りのパーティーはやってあげられなかった。お望みのケーキも頼めなくて残念な仕上がりに。来年はちゃんとやってあげたいな。

年末の家族旅行は私抜きで子供3名と夫とで一泊してきた。
やはり不思議なもんで家事炊事をしなくてもよいとなると途端にちょうしが良くなる。
そこでストレスで痛むの意味が分かったような気がした。自分はストレスまみれだったんだ。三食昼寝付きの主婦だけど。なんで?

発症してから1か月間大好きなしまむらやイオンモールに行ってなかったので、行ってきた。
今まで痛みが怖くていけなかったのに。
運転中が痛いだけで、歩行していれば痛みは気にならない。あれほどしゃがめなかったのにブーツの試着でしゃがめたのにはビックリ。やればできる。

子供達と自分の服だけさっさと買って二時間位で帰宅。帰り道にセブンティーンアイスを買ってきて夜の一人時間を充実させた。夫には感謝しかない。

ヘルニアになって本当に結婚していてよかったと思った。夫への感謝もました。
若い頃は一人でも生きていけると思っていた。
でも、夫婦は助けあって生きていくために結婚するんだろうな。
私の意識改革があったのはまさしく母のヘルニア入院だ。
私が20代後半くらい。母には夫や私という娘がいるので入院準備やパンツの洗濯などやってくれる人がいたけど、当時独身のわたしは?果たして私が中年女性になったら誰も助けてくれないのでは?と心配になった。
辛うじて兄が居たが、兄は結婚していたため私だけがおんぶに抱っこという訳にはいかないだろう。そのような事から次の世代に繋げるという意味でも結婚して出産して家族や時に親族で助け合って生きて行きたい、私もその一端を担いたいと考えて今に至る。
まさか子育て真っ盛りの幼児のいる段階で同じヘルニアになるとは思わなかったが。そこだけは誤算だった。

続くよ。




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