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仏教資本主義を実現する。
明治維新以降、日本は西洋文明の資本主義を導入してきました。
しかし、ここにきて、西洋文明及び資本主義の限界が明らかになりました。
ハッキリ言います。
私たちが今、コロナで苦しんでいるのは、人間が欲望のために自然を破壊しすぎた因果応報です。
地球上の大型哺乳動物の構成比
人類30%
人間のための家畜60%
野生動物10%
今まで、未知の危険なウイルスは野生動物の世界にとどまっていました。
しかし、人間が欲望資本主義のために自然を破壊しすぎてしまった結果、
野生動物の生息域を破壊しました。
そして、
野生動物→家畜→人間
と未知のウイルスが広がる構造になりました。
ですから、
人間は、自然との関係を根本的に反省しなければなりません。
山川草木悉皆成仏。
森羅万象に神聖な存在が宿る。
明治の廃仏毀釈の前までは、
日本人には、そうした自然すなわち森羅万象の中に、目には見えないけれども何か神聖な存在の存在を感じる感性がありました。
今こそ、潜在意識の奥底に封印されてきた、その感性を取り戻す時です。
古来、日本人は、森羅万象に宿る神聖な存在を八百万の神々と呼んで畏敬の念を抱いてきました。
日本の自然には二面性があります。
お米を中心とした豊穣の実りと恵みをもたらす【慈母】の側面。アマテラス大神に象徴されます。
地震や台風や大雨や洪水や火山の噴火などを引き起こす【厳父】の側面。荒ぶる神々。スサノオのようなイメージでしょうか。
日本列島は、人間だけのものではありません。
日本人は、森羅万象に宿る八百万の神々とともにあります。
そして、人間の所業が悪ければ、神仏の怒りをかい、地震や台風や大雨な洪水といった天罰を受けます。
さて、西洋文明では、例外もありますが、基本的には、
自然は人間が克服すべき対象物であり、
科学技術の進化によって人間が自然の制約を克服することが人類の進化である、
というパラダイムに基づいています。
これは、日本人の昔ながらの精神性と相容れないものであり、この西洋文明のパラダイムと今こそ決別しなければなりません。
また、資本主義では、経済成長のためには、
人間の欲望を刺激しなければなりません。
欲望を刺激すればするほど商品やサービスが売れて儲かり、経済が成長します。
そして、今の社会は経済成長がなければ成り立たない構造になっています。
しかし、仏教の観点では、
欲望のほとんどは煩悩です。
敬天愛人の西郷隆盛のように、
小欲を捨て大欲に生きよ
ということであれば問題ありません。
しかし、人間の欲望のほとんどは煩悩であり、
かえって苦しみが増すだけです。
欲望を満たして一時は楽しくても、
かえって罪障をつくり、生老病死、輪廻転生の苦しみが増すだけです。
私は、欲望を刺激すればするほど儲かるという資本主義社会は間違っていると思います。
戦争になれば軍需産業が潤い、武器商人が儲かるなど、あってはならないことです。
仏法では殺生は最大の罪障になります。
武器商人が教会で懺悔すれば自分の罪が許されると思っているらしいですが、とんでもない間違いです。
今こそ、西洋の資本主義をやめ、
仏教資本主義社会へと転換しなければなりません。
目に見えない神仏を畏れ、
生きとし生けるあらゆる命を大切にする経済を実現しなければなりません。
なお、私は、江戸時代の寛政の改革の老中松平定信と同じ間違いはしません。
あのお方は、潔癖症すぎて失敗しました。
田沼意次の重商主義を廃して重農主義に転換した。
田沼意次の金権腐敗政治を打破して、エリートの規範として朱子学を導入した。
人足寄場を設置して、今でいうホームレスを救済して職業訓練を受けさせた。
江戸から地方へのUターンを奨励して、農村で農耕に従事させた。
さて、今、政治は統一教会はじめさまざまなスキャンダル。邪教がはびこり正しい教えが廃れる有り様。故に、民百姓の苦しみの止むことがなし。
世界は今、食糧危機。
八代将軍吉宗の治世を理想とした松平定信の寛政の改革は今日的な文脈でも正しいです。
でも、あの人、潔癖症すぎてやりすぎてしまった。
寛政異学の禁で、朱子学以外の学問を弾圧した。
お上が庶民を統制しすぎて、庶民のささやかな楽しみを奪ってしまった。
潔癖症でやりすぎてしまって、庶民の恨みをかって失脚した。
私は、同じ間違いは繰り返しません。
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