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バイオレンス

 あなたは頭痛を訴えて仕事を休んだ。ひとまずの鎮痛薬で和らぐはずの痛みも引かず、あなたは寝台の上で熱を上げていた。念のため病院に行ったら? と提案してみたけれど、病院はいやだ、医者は嫌いだ、と子どもみたいなことをわめいて聞かない。シーツに皺が寄って、ずれた掛け布団が寝台からずれ落ちている。そんなこと言ってたら治るものも治らないわよ、変な病気だったらどうするの? と言ったらあなたは「もう寝る」とうずくまった。
 二三時を過ぎていた。あなたのうめく声の奥に洗濯機の回る音を聞いていた。がらん、ごろん、と割に大きな音を立てて回る洗濯機の中には、彼と私の服と、下着と、残り湯と、生活によって付着した疲れの汚れが混ざって、泡立ち、ひとつの渦になる。温水がするすると水位を上げて私を呑み込むように、渦の音はだんだん遠のいてゆく。
 他部署のサクさんが小学生女児に鍋を振る舞っていた。鍋の中には蟹の脚と、もやしと白菜とタンドリーチキンと駅前の塩パンと、何やら白と桃色のマーブルの柔らかいものも入っていて思わず、「私もひとつほしい」と言ったら、サクさんはこっちみて何か云った。けれどもそのサクさんには顔がなかったからなんと云ったのかはわからず、そのまま目を覚ました。
 翌朝、あなたのつむじから芽が出ていた。カーテンの隙間から漏れる光は曇り空の光で、その芽はもう二十センチくらいの長さに伸びていた。ハサミを持ってきて根本の方を切ってみると、ちょうどタンポポの茎を落としたみたいに白い液がとろとろ溢れてきて気持ち悪い。あなたはそれについて痛がる様子もなく、眉根を寄せて眠っている。
 半ば無理やり連れて行った近所の脳神経外科で、あなたは顔を真っ青にしていたけれど、仕方ないじゃない。薬を飲んでも、寝ても、治らないような頭痛はおかしいもの。診察を受けて、MRIも通してもらって結果を待つ間、あなたは疲れと不機嫌と具合の悪さを混ぜたような表情をして、足許に履いた緑色のスリッパを凝視していた。そんなあなたの様子を隣に、私はあなたがこの頭痛を理由に亡くなるところを想像していた。私はあなたの棺の前に立って、花を添えて泣く。水で濡れた菊や薔薇や桃色の花をあなたの顔の周りいっぱいに添えて、膝から崩れ落ちたりもしてみる。
 窓に、雨のぶつかった水滴がぽろぽろとついて、それらは互いにくっついて勢いよく流れたりする。帰りの車の中であなたは窓の外を見ていた。運転する私からは表情は読みづらいけど、まだちょっと不機嫌な顔しているんだろうな。良かったじゃない、なんともなかったみたいで、と話しかけても、あなたはむっとした声で、行かなくったって治ってたんだ、とねちっぽく溢している。でもちゃんと調べてもらった方が安心じゃない、と返す言葉が浮かんだけれど、それを言い出すとあなたは手を上げてきそうだから喉の奥に引っ込めた。
 信号に車が停まり、ねえ、と私は言う。なに、とあなたは云う。朝食に出した炒め物にあなたの頭に生えていた芽を入れたのよ。気がつかなかった? と言うように間を置いて、なんでもない、と私は笑う。




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