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まだ、いたい


また、あそこに落ちていくのか。もう、あの時代には戻りたくない。
 
新卒で入社した会社で、入社7年目の終わりに、初めての人事異動を告げられた。
それまで私が所属していた部署は、会社の花形部署であり、そこから異動することは、事実上、左遷を意味している。
 
仕事で必要な資格は、誰よりも早く取ったではないか。
社内で一番、昇進が早かったではないか。
業績が上位に入り、社内若手の個人賞を受賞したではないか。
どうして。どうして。どうして。
 
 
「栄転おめでとうございます」
上司は言ったが、本当にそうだろうか。表向きは「栄転」だが、実態は「左遷」ではないのか。仕事内容が、異動前の部署と比べものにならないくらい、簡単なのである。
 
この会社に新卒で入社して7年、私だけ、やたら異動が多い。良くも悪くも、この会社で私は目をつけられている。
もう学生時代のように「透明人間」ではないのだ。
 
「透明人間」になど、戻りたくもない。もう何がなんでも、あそこには落ちたくないのだ。
 
 
目の前に崖が見えた。中学3年生のことだった。
私はこれからどうなっていくのだろう。
精神的な理由から学校で一言も声を発することができない私は、直近で控えている高校進学、その先に控えている大学進学のあと、普通の就職ができるのだろうか。
このまま声が出せなければ、普通の就職は難しいのではないかと思う。
学校の成績が良かったとしても、声を出せなければ、高校・大学を出てから、普通の人生は歩めないだろう。
そう思うと、目の前が真っ暗になる。ここにいる実感が持てない。私は、ここに生きている実感が持てない。
 
学校で一言も話せないため、気軽に話せる友達がいない。
小学校低学年のときは、「話せない私」を人形のように面白がって多くのクラスメイトが集まってきた。だが高学年にもなると、趣味が似ている人を中心にグループが出来上がってくるため、何も話すことができない私からは、自然と人が離れていく。
私は、どのグループにも属していない。私は、クラスで話題にされなくなる。
居ないものになっていく。「透明人間」になっていく。
そうなると、自分を肯定的に捉えることができなくなってくる。人より勉強が多少できたとしても、「友達のいない自分」に自信を持つことなどできない。
居て居ないようなものになっていく。自分がここにいる実感が持てない。
 
 
居るのに居ない透明人間。自己肯定感も低い。
あの時代になど戻りたくもない。
 
私には戻りたい過去などない。戻りたい過去がないことは私にとってある意味財産である。前だけを向いていられるから。いまを向くしかない。ここでやっていくしかない。私には、たまたま就職したこの会社、この業界しかない。そう思って、覚悟を決めて、この会社である程度の成果を残してきた。
 
「やりたい仕事ではないからこそ、この業界で成功してやる」
大学4年の内定者時代に、就職予定の会社でホストコンピュータを初めて見た。
私の知らないところに、こんな世界があったのか。専用のマシンルームに何台も並ぶ大型コンピュータに、純粋に感動する。
それと同時に、学生時代に向き合ってきた法律の世界とのお別れでもあり、悲痛な思いもこみ上げてくる。就職面接に受からないということは、もう私はあの世界からは追放されたのだ。それと同時に覚悟を決めた。私はここでやっていく。
 
覚悟を決めて、このIT業界、この会社に入った。「やるからには一番上を」と思い、25歳で業界トップの国家資格も取った。
逆説的だが、やりたい仕事とは違う仕事であれば、いかに楽しくやるか工夫する余地があるのでワクワクして取り組むことができる。
 
前向きに、この会社で8年間やってきた。
それなのに、ここにきて左遷である。今、この会社はこっちを向いてくれていない。
この業界には残るつもりだが、この会社とはお別れ時なのだろう。会社の外で、もっとやりたいことを探そう。
そう思って、9年目の半ばに、同じ業界の別の会社に転職した。
 
 
「私には戻りたい過去はない」と言ったが、今は戻りたくてしかたない場所がある。転職した今は、転職前の会社に戻りたくなる。
ただ、あそこに戻るのは現実的ではない。客観的に見ても、転職後の今のほうが、各段に条件がよい。給料も高い。やりたいこともできている。
 
それでも私はまだあそこに居たい。私の胸はまだ痛い。新卒から8年いた会社、嫌なことも嬉しいことも経験し一緒に育ってきたこの会社を、「もう、終わったからいいや」と片づけることはできない。これからもしばらく、「戻りたい、戻れない」にもがき続けることになるのだろう。
 
私は、過去を思い出すことをやめられない。
特に、過去の嫌な出来事が、他の人であれば忘れてしまうであろう出来事が、何年、十何年と私の心の中に残り続ける。
 
小学生の頃、休み時間に遊ぶ友達がいなくて、一人でずっとトイレに隠れていたこと。
中学生の頃、修学旅行の最終日に一人で清水寺をまわったこと。
新卒で入った会社での新人時代、配属直後に放置されて、数ヶ月、何もすることがなかったこと。
 
でもそれは、「過去を引きずっている」のではないのだ。
強いていえば、「前向きに引きずっている」のである。
過去を思い出すのは、未来のためなのだ。また同じ出来事が起こっても対処できるように思い出すのだ。
「もう、前を向いて」
人からそう言われることもあるが、とっくに向いているのだ。
 
過去を思い出す自分からは逃れられない。それならば、もがき続けていくしかない、苦しいけど。過去を思い出しながらも前に進んでいくしかない。新卒のときの覚悟だけは、まだ持っている。


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