ボーはおそれている 映画感想
先日観た。これを公開するか否かは関係無く、感想として残しておきたいと思った。
書くにあたって、感想の先入観として持っているもの、まずそれを吐き出してしまって、もっとニュートラルになりたい。
・コメディだ。笑える。
・長い。
・可哀想。
・何だかよく分からない。
・長い末に得るもの(おみやげ)が無い。
・ユダヤ教がテーマ。
・ユダヤ教故の罪悪感に結び付いた作品。
・母親が監視と管理して裁きを下した話。
・妄想か現実としてかの区別や視点。
ひとまず主要なものはこういったもの。
私が好きな専門家や愛好家の評価などから得た情報。
とても参考にはなるけど、自分に照らし合わせたい。自分として何かを受け取りたい。
自分として何を受け取ったのか。
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アリアスター監督から受け取った、と感じた。監督として、映画という手段(映画ができること)を使って。
私が渡されたものは何なのか。
罪悪感やおそれについての共感とデフォルメして笑いに拡大したもの。それから何を受け取ったのか。
映画が長いのは、罪悪感やおそれの感情のしつこさと鈍重さと合っていると思った。被害者意識のキリの無さも。
この感情が軽やかさや晴れやかさに繋がらないということの、明確な示し方だったと思う。
でも、デフォルメすると笑いになったりもする、単純ではない魅力があるから、こういう感情を私はなかなか手放さないでいるのかも。
映画では、最後無理やり苦しんで恐怖や絶望感を与えて死なせて終わらせた。
映画を終わらせるためかもだけど。
映画の中の観客は、いいとこキリがついたらもう飽き飽きしてかバラバラと帰って行きはじめた。
もう、みんな飽き飽きしてバラバラと帰る(手放す)という段階なのかも。ボーは死ぬ段階だけど。
だとしても、私はどうするのか。
そういう感情に、いい加減飽き飽きできるのか?
面白さをまだまだ追及したいのか?もういいのか?足りないのか?
もう十分、疲れた、とも思う。
でも癖もあるしまだまだ続けたい、もったいない気もする。
ボーはキリをつけられず、死ぬことで終わりが来た。
私は死ぬことで終わりが来るのは、さすがに詰まらない。罪悪感やおそれ、被害者意識にさすがにそこまで人生かけたくない。
あの映画だって、序盤の面白さはどんどん勢いを失って、面白がるより退屈が増していくようだった。
もっと色んな面白いあれこれをして人生を生きたい。もったいない。
だから、もうそういう感情も状態も、癖も、手放して、もっと面白いこと、どんどんやっていかにゃならない。
そんな感覚になった。
これが受け取ったものかも。
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