私と発達障害

 精神病院へ入院の経緯は前の記事に書いた通りである。入院生活についてはこれから少しずつ綴っていきたいと思う。

 この病院の担当医との診察の中で、「発達障害の疑いがある。」と言われた。別に驚きはしなかった。私の中で「ああ、やっぱりなぁ。疑いがあると言われて当然だ。」と冷静に受け止めた。
 なぜそうだったのか、私は、幼いときから、まず、整理整頓が苦手であった。「お片付け」で、いつも親から叱られて、泣いてばかりいた。他の子は「お片付け」は「使った物を元に戻す。」、「きれいにする。」などをちゃんと子供心に理解し、ちゃんとやっていた。一方、私はどうしてよいか
分からず途方に暮れていたんだと思う。あと、「物をよくなくす」、「忘れ物をする。」、「時間を守るのが苦手」など、気をつけていても、やらかしてしまい、職場で注意を受けたり、なくし物をして、困ったり、出かける間際に「あれがない。」、「これがない。」と捜し物をすることが多い。
また、よく「動作の遅い子」と両親、学校から注意を受けていた。それに加え、運動が大変苦手であった。私にとって学校の体育の時間は本当に「苦痛」でしかなかった。運動会、マラソン大会は本当に地獄だった。

小学校5年生の時だった。「特訓」という大会に向けて、水泳、陸上などの練習に参加する児童がいた一方で、私のように運動音痴な子供は、参加できるものがない。
 
 この時の担任が大変厳しい人で「『特訓』で頑張っている人がいるのだから、参加していない人は、鼓笛隊か、合唱に参加しなさい。」と私のクラスだけ言われた。しかし、これは学年全体の方針ではなく、このクラス担任の一方的な指導であったことは後で知った。だって他のクラスはそういったことはなかったのだから。
 私はその時、鼓笛隊への参加を希望した。この時のことを思い出すと、悔しい思いが今でもよみがえってしまう。
 鼓笛隊を指導していた音楽教師から、私が運動が苦手で、動作が遅いから鼓笛隊への参加は断る、と一方的に告げられてしまった。
 この音楽教師は私の3年生、4年生の時の担任だった。正直、私もこの担任が苦手で嫌いであった。えこひいきも多い教師でもあった。受け持った経験から、私の特性を知っていてのことだったのだろう。
 しかし、「運動が苦手で、動作が遅いから」という理由で参加拒否されたことは大変ショックだったし、納得ができなかった。当時のクラス担任を通じてこのことは知らされたわけだが、聞かされた理由に対して、悔しくて数日間泣いた。今思い出しても悔しい。

 この子供の頃からの悪癖を改めようと務めたが、「改めること。」が困難であった。こういうことを繰り返していると、自分自身が日常生活を送るにも支障を来すわけだし、社会人になって職場からの信用を得ることができず、人間関係も悪化し、結局、職場に居づらくなって退職、という経験もしてきた。
 「なぜ、他の人がちゃんとできることが、私にはできないのだろうか?」という漠然とした思いがいつもあった。

 数年前から、「大人の発達障害」という言葉をよく聞くようになった。私の友人、知人の中にも大人になってから発達障害と診断された人が数人いる。その時は、、「え?あの人がなぜ?」と思うものの、他人事として捉えていた。
 しかし、私自身も前述のような困りごとが顕著に表れており、大変な生き辛さを感じてどうしようもなかった。思い切って、家族に「私、発達障害なんじゃないだろうか。」と話してみても、「困りごとや苦手なことは誰にだってある。別にお前に限ったことじゃないし、考えすぎなんじゃないか。」と一蹴されてしまった。
 
 自分一人で悩み、思い切って障害者の相談室や。発達障害の相談機関に家族には内緒で相談しに行ったことがある。そこで言われたことが、
 
「大人の発達障害は、子供と違って特にこれといった支援があるわけではないので、『工夫し、暮らしやすくしていくしかない。』」
 
 という回答であった。ごもっともなのかもしれないが、どうしていいかわからないから相談しているのに、という思いもあった。
 このことで何年も悶々と悩んできたのである。

 しかし、前の記事のように別な理由で精神病院へ入院したにも関わらず、
その時に長年悩んできた「発達障害かもしれない。」という問題を取り上げてもらえて、私は運がよかったのかもしれない。

 私の発達障害についてはまた後日詳しく記してみたい。



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