がむしゃらに頑張った先


私は出来ないことが嫌いだ。


なんでも出来るようになりたいと言うより、出来ないことが嫌いなのだ。


出来ないことが嫌いな割に、すぐに出来る能力はない。

ただの凡人だ。



だけど、よく出来るね、そう言われると嬉しかった。

単純な人間だ。



だから、練習をした。



出来るようになった。



それは、サッカーも勉強もその他の何かも。


勉強に関しては、割とやればすぐに出来る方だったかもしれない。


が、サッカーは決してそうではなかった。



リフティングは小3で2000回以上出来た小学生時代。


だけど、実力が伴い始めたのは、小5ぐらいからだった。



練習の走りで上位に食い込めなかった中学生時代。


その日の練習帰り、駅から自転車で約1キロの池に向かって、タイム走をした。



誰にも何でも負けたくなかった高校生時代。


自分が出来ないこと、苦手なこと、人に劣っていることは何か痛いほど分かっていた。



練習した。

他の人とは違うかもしれないけど、形として、結果として出来るようになった。




ただがむしゃらに頑張った。


普通の人からしたら、出来ているように見えるようになった。




私は、言われたことがある。2人の指導者に。


「サボるな、」と。



サボっているつもりはなかった。



「サツは女子の高校レベルでは出来てしまうからなぁ」と。




褒め言葉だと思ったけど、そうでもない言葉でもあるというのはすぐに気づいた。




とても覚えている。


この2人は、元プロの選手で、中学・高校に観てもらったことのある指導者。




そして今、痛いほど分かることがある。




がむしゃらに頑張ったから、サッカー選手になれたけど、がむしゃらに頑張ったから、サボっていたことが周りには分からず、今に至るのだと。




私は、別の問題で解決してしまうのだ。



それで今まではやれた。



だけど、この先これ以上上に行くにはそれではいけないと感じた。



例えて言うと、私は背中の筋肉であげなきゃいけない錘を腕の筋肉であげれてしまうのだ。



結果的にその錘は上に上がった。


だから良しだった。



しかし、それは10キロまでだろう。


もっと重い錘を上げるには、背中の筋肉を鍛える、使う必要があるのだ。



私は全てをそうやって、誤魔化してきた。


決してサボってたわけじゃない。



だけど、がむしゃらに頑張って、違う力をつけたからこそ誤魔化されてきたのだ。



そうだ、あの人たちはそれを私に言いたかったのだ。



誤魔化すな、と。



パーソナルトレーニングに通い始めて2週間。



自分の身体能力の無さや、身体機能の悪さを痛感する日々。



よくこれで自分ってサッカー選手なれたよな。と思う。




がむしゃらに頑張ったから得れたものが、今の自分を良くも悪くも作った。



その先に行くには、がむしゃらではなく、質を問う必要がある。



出来ないことを把握して、出来ないことを認めて、出来ない理由を見つけて、出来るようにする



この、「出来るようにする」は正直もう自分1人で出来ることではない。


だから、人を頼って、人を使って、やる。



だって考えてみ?


それ出来るようになったら最強ちゃん?



やれよ




#日記 #がむしゃら#サッカー


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