見出し画像

人間くさくていいじゃないか

どちらも持ち合わせているのが人間。コインの裏と表があるように、必ず真逆のものが存在する。


月と太陽、隠と陽、光と影、明暗、プラスとマイナス、上下、左右、善と悪、長所と短所…というように、どちらも必ずあるのだ。


いいトコどりはできない。太陽だけがいいわけじやない。だからといって月だけってのもない。


だが見せたいのは、善、長所、プラス、ポジティブ、光など、いいところと思う部分のみ。


それだけだと人間らしさがなくなる気がする。受け入れやすく、見たい、見せたい部分だけになってしまうと途端に光は弱くなる。


誰しもとまではいわないが、人には大きさは違えど闇の部分は存在していると思う。


それは見たくない部分だし見せたくもない。なんなら受け入れたくもないから、気づかないフリをする。


でも本当は、闇の部分だってわたしの一部。


いい悪いとジャッジしようとするから、フタを閉めたくなる。


そう思ったんだね〜。以上まる。である。


30代前半のころ、わたしは、大好きな友だちの口から出る不平不満の言葉に嫌気がさしたのにも関わらず、好きだからという理由で離れられず、ほぼ毎日愚痴や不平不満を聞きつづけていた。


そのうちわたしの心は闇に蝕まれはじめ、しまいには外に出ることも起き上がることもできず、強制終了になったことがある。


そのころのわたしは、それでも友だちが大好きだったし、元々そんなに愚痴や不平不満を口にする子じゃなかったので、わたしの内でうずまく黒い想いに気づかないフリをしていた。


でも心の中では、


助けて
話を聞いて
何で気づいてくれないの?


誰かに何かに助けを求めすがっていたように思う。


このころは精神状態が非常に悪く、毎日、暗闇の中にいて、溺れてるような感覚で過ごしていた。


いまはとてつもなく元気なのだが、そんなことを思い出して考える。


わたしの内側にある黒い闇を見なきゃと。


"みんな死んでしまえ"と本当は怒りに満ちていたのだと。


そして助けを求める声は、わたし自身へ向けていたものだと今更ながら気づく。


ねぇ、わたし。
助けてよ。
わたしの話を聞いて。
何でわたしの感情を見ようとしないし、気づいてくれないの?


わたしが見ないフリをしてフタを閉めていた黒い闇は、いま考えると大したことじゃないではないか。


みんな死んでしまえばいい。
世の中クソだ。
こんな苦しい想いをするぐらいなら、いっそ死んでしまおう。


そう思っちゃったんだね、以上。


そんなこと想っちゃいけない。こんな感情はダメだ。人として最低すぎる。なんてジャッジするから、黒いイヤな感情を見たくなくなる。


人は誰だって、いいところもあれば悪いところだってあるのだ。


だって、人間なんだもの。みつを。で、いいじゃないか。


自分の見たくない部分、イヤな部分、受け入れたくない部分を受け入れない限り、友だちがわたしに代わり、その部分を見せてくれていただけの話。


仮にいまその友だちに会って、あのころの話をしたとしてもきっと覚えてないに違いない。


むしろ、
「え?わたしってそんなんだったっけ?」
と、頭の中がクエスチョンだらけになるであろう。


なぜなら、わたしのために、わたしの内側を映す鏡としてそのキャラを演じていただけだから。


気づかない限り出演者が変わるだけで、永遠につづく、エンドレスゲーム。


気づいて手放す。それって、ただ手放せばいいってことじゃない。


気づいて、見て、感じて、聞いて、受け入れて、認めてはじめて手放すことになるのだろう。


そう思っちゃったんだもの。だって、クズでもダメでも最低でも、それが人間くさいわたしなんだもの。それでいいじゃないか。みつを。


以上、まる。で、おわり。


自分自身にそれを許可しつづければ鏡となり、周りも同じように、人間くさくていいじゃないかと許可してくれる人たちになる。


そして自分自身も周りに対して、そう思っちゃったんだね、以上まる。とジャッジしなくなる。


あ〜今日も頭にワカメが乗っかってるように、訳ワカメ状態の吐き出すだけの内容になっちまった。


100日チャレンジDay94クリア!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?