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スピリチュアル難民と思って現実をこじらせる遊び

前に、わたしはスピ難民だ的な記事を書いたことがある。なんでスピ難民になるんだろう?そもそも本当にスピ難民なのか?ってことをずっと考えてた。


ウォーキングをしてるとき、どの道を選んでも必ず家に帰って来れるな〜ってあそびをしてて、ハタと気づく。


あれ?もしかして、こういうことなのでは?と。


わたしが見てるのはつねに目の前の現実だ。


だけどもっと高い視点から自分を見ると、行き止まりや迂回路や崖などはいともたやすく見える。


でも目の前のことばかりにとらわれてるわたしには、見えないわけで。


高い視点から見てるわたしはわかるのだ。どんなに遠回りしていたとしても、必ず目的地に着けるのだと。


とすればどんな選択をしても間違いではないってことだ。わたしが選んでいるのだから、すべて正解なはず。


たとえ右の道を選んでも左の道を選んでも、まっすぐ行こうがUターンしようが、どっちに行っても潜在意識や魂にインプットされている目的地にたどり着くようになっている。


どっちを選んでも、たのしいこと悔しいこと、つらいこと悲しいこと、迷うことや悩みはある。それが人生をおもしろくする。


高い視点から見ているわたしにお願いすれば、近道を教えてくれるだろう。


ただそれに気づかず道をそれたとしても必ずサポートが入る。それは強制終了ってカタチかもしれない。いろんなサインやシンクロといった他力かもしれない。


望むような人生を送れていないって思っているだけで、本当はいろんな力のサポートを受け取って「今」を創ってるのだとしたら、すべて順調ってことだ。


この経験がだれかの役に立つことなのかもしれないって。


そう思ったら「な〜んだ」と、なんか安心した。もしかするとスピ難民って思ってるあなたもそうかもしれないなって。


スピ難民と思って現実をこじらせるあそびをしてるだけで、でも本当はそれで合っているんだよ〜ってことに気づくか気づかないかで、気持ちが変わると思う。


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